第2話 婚礼の旅路

 その日は旅立ちの日にふさわしく、雲一つない快晴だった。

 両親であるエネストローサ王と王妃に始まり、大勢の騎士や兵士、侍女や使者を引き連れてアウデンリートへ向かうレティシアだったが、その実、アウデンリートに留まってくれるのは筆頭侍女であるアマリアと、護衛役を兼ねているロサだけだった。婚礼が終わり次第、他の人間は故国エネストローサへ戻ってしまう。

 そのことを淋しいと思う反面、想いを寄せるディートハルトにようやく嫁げるという事実に心臓が跳ねる。

 国中の人間に祝福され、レティシアは意気揚々と生まれ親しんだ国を後にした。今後、大国・アウデンリートの王妃として生きるレティシアは、故国の土を踏むことはない。婚礼用に仕立てられた馬車に揺られながら、レティシアは愛した風景を目に焼き付けていた。


 婚礼の旅は、準備に準備を重ねられていただけあり、とても順調だった。立ち寄る街は決められていて、延期された間に宿泊予定地は綺麗に整えられている。婚礼の喜捨で建てられた礼拝堂で神に祈りを捧げたら、また次の街へと向かうのだ。

 レティシアは、最後となる両親との時間を楽しんでいた。彼女は国外に出たこと自体初めてだったし──婚約者であるディートハルトの戴冠式も、喪中であるディートハルトに遠慮したという体で参列しなかったのだ──なによりこの旅の先には愛する相手がいる。自分の未来は明るいものだと、そのときの彼女は信じて疑わなかった。

 行く先々で祝福を受け、レティシアは幸せだった。輝かんばかりの美貌を持つ若き王女に、人々もまた、この結婚の行く末が明るいものだと信じていた。


 エネストローサ王国はそう力のある国ではないが、アウデンリート王国とアンスラン王国という大国からしてみれば、交通の要所としてその存在は重要なものだった。

 なにしろ、アウデンリートとアンスランの二国は、約三十年前にひどい戦いを起こしている。そのとき、辛くもアウデンリートが勝利を収めたのは、南の小国であったエネストローサと、アウデンリートの属国であったベラルディが与したからだというのは広く知られていた。

 エネストローサ自体は峻険な山に囲まれた国だったが、アウデンリートとアンスラン、そしてベラルディにとって、農業大国のアイリッカラ王国や良質な鉄鉱石が採れるランドストレム公国などは、その間にまたがるエネストローサを通らなければ行き来できず、またエネストローサを攻撃しようにも、天然の要塞のような国土を持つこの国は安易に通行を許さなかった。

 結果兵糧攻めに遭ったに等しいアンスランは、耐えきれず白旗を掲げたというのが、かの戦争の結末であった。

 そういった事情もあり、エネストローサ王国の掌中の珠である末の王女を、アウデンリートの若き国王が娶るというのは、大きな意味を持っていたのだ。


 そんな旅を経てレティシアは、一月に渡る長い旅の終着点であり、新しい彼女の国でもあるアウデンリート王国に到着したのだった。

「ようこそ、アウデンリートへ! お待ちしておりました、レティシア姫。私は宰相補佐を務めます、ゲオルグ・ギーゼルヘーグ・ランゲルト・クラハトと申す者です」

 レティシアたち一行を迎えたのは、眼鏡をかけた長身の男だった。栗色の髪を灰紫色のリボンで一つにまとめたその男は、若きアウデンリート国王の腹心であった。

「ディートハルト陛下は、姫君のお越しを今か今かとお待ちでいらっしゃいます。さぁ、こちらへ」

「わかりました。お父さま、お母さま、それではまたのちほど」

 恭しい態度でレティシアを迎えたゲオルグは、彼の主が待つ部屋へ彼女を案内する。扇で口元を隠したレティシアは、ゲオルグの誘いに鷹揚にうなずくと、両親をはじめとする故国の人々と別れ、アマリアとロサだけ連れてその後を追った。

(アウデンリート語はちゃんと聞き取れるわ。よかった、わたくしちゃんとやれそう)

 正直、言葉がわからなかったらどうしようと怯えていた部分もあったので、ゲオルグの言葉がきちんと理解できたことは嬉しかった。

 かねてから言語の練習を兼ねてディートハルトと文通していたため、読むことは難なくこなせるようになっていたが、教師以外の話すアウデンリート語に触れたのは初めてだった。そのため、それを容易に聞き取れたことはレティシアの力になった。

 自分に自信を持ったレティシアは、改めて背筋をピンと伸ばすと、失礼にならない程度にあたりを見回してみる。

 アウデンリートの王宮は、エネストローサのものより巨大だった。華麗さはそう変わらないが、南の国であるエネストローサと、北に位置するアウデンリートでは、文化自体が違う。エネストローサと違って、冬の寒さを防ぐため開口部は狭く、窓にかかるカーテンも分厚いものだった。

(ここが、新しいわたくしのお城なのね)

 目新しい他国の品々に、レティシアは心を躍らせた。服一つとっても、流行も使っている布地の種類も違う。

(ここが、ディートハルトさまのお城……)

 大好きな人の住む場所だと思うと、恋する乙女にとっては思い入れもひとしおである。空気すら愛おしく感じてくるから始末に負えない。

 にんまりと緩みそうになる顔に力を入れて戒めていると、とうとうディートハルトが待つという部屋の前までやってきた。国王が在室しているだけあり、重厚な扉の両脇には槍を手にした兵士が立っている。

「陛下は中でお待ちです。レティシア姫、どうぞ中へ」

 ゲオルグにエスコートされ、レティシアは夫となる人の待つ部屋へ足を踏み入れた。

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