3.空言、私、別の未来

8話

 夜も更け、空は星の見えない真っ暗な夜空へと変わっていた。そこにまるで穴でも空いたかのような。黒い夜空の中できらびやかな月が光を放ち、外を少しだけ照らしている。そんな夜空の下の霞ヶ丘町の霞ヶ丘公園。時刻が20時頃なのもあってか、霞ヶ丘公園の周りには人影が見られない。唯一、公園の中に制服姿のままの相田あいだ つかさと私服の水色のワンピースを着た椎名しいな 智華ちかの2人が外灯の下で立っている。


 椎名は相田に、何で相田が宇垣の家にいたのかの理由を問いかけた。その問いかけに対して、相田はその答えを考えている。2人は息を切らしてはいるが、少しずつ呼吸を落ち着かせていく。


 相田は今、まずは落ち着くことが大事だと感じ、咳払いをしては、目を閉じて深呼吸をする。思いっきり息を吸い、たくさん息を吐くと、相田は緊張していた表情を緩ませ、優し気な雰囲気で口を開く。


「実は、今日のことを言いに行ったんだ。涼平に会って、言わなくちゃいけないなって」

「何を?」

「俺が椎名さんに告白したってことを、だよ」

「それで宇垣くんは?」

「涼平は、えっと……その」


 椎名は鋭い視線と怒り気味の口調で、相田に問いかける。相田は恐い雰囲気の椎名を見て、余計なことは言わないようにと考え、必死に言葉を頭の中で選んでいこうとする。


「俺のこと、応援してくれた。椎名さんと付き合うべきだって」

「……そっか。宇垣くん、そう答えたんだ」


 椎名はさっきよりも弱々しく、少し気落ちしたような声を漏らした。相田の言葉を聞いて、宇垣がどういった反応をしたのかを知り、少なからずさっきまでの元気を失う。

 椎名としても、宇垣の反応を予想出来なかったわけではなかった。だが、あまり考えたくはなかった。もしかしたら、椎名にとって期待できる反応を宇垣がするかもしれないと。椎名自身、考えずしてそう思っていた。

 だからこそ、椎名はやや悲し気な表情を浮かべ、それを見た相田は罪悪感を抱き始めてしまう。


「あのさ、椎名さん」

「ん?」

「今日は本当にごめん! 本当は涼平に告白して傷ついているのに、急に俺が告白をしてしまって」

「ううん、そんなことないよ。その……あの時はちょっと、驚いちゃっただけだから……えへへ」


 相田は今日の昼、椎名に告白してしまったことを謝罪した。

 さきほど抱いた罪悪感が、相田に対して椎名に告白したことへの後悔を感じさせていた。相田は椎名を困らせてしまったという罪の意識から少しずつ堪えきれなくなっていく。そして相田は謝罪することで、椎名から許されようとしていた。


 そんな相田の姿を見て、相田の言葉を聞いて、椎名は我に返る。戸惑いつつも、さっきまで怒っていた自分を取り繕うための言葉を吐き出していく。相田が顔を上げた時には、椎名は可愛らしく笑っていた。その笑みを見て、相田は椎名に許されたような気持ちになり、罪悪感が和らいでいく。


「やっぱり、椎名さんは笑ってる方が良いと思うよ」

「え?」

「だって椎名さん。やっぱり辛そうだったから」

「え、そう? そうなの……かな」


 相田が優しく微笑んでそう言うと、椎名は苦笑いを浮かべる。

 椎名にとっては、今になるまで自分が辛いとは感じずにいた。好きな人のことをいつも考えながら、無我夢中に日々を過ごしていたからこそ、辛いと思うことなく今までの日々を過ごしていたわけである。

 しかし今、相田の言葉を聞いて、椎名は気づいてしまった。辛さを感じなかったのは、辛いということに目を背けていたからであることを。それに気づいた椎名は心の底から苦笑いしか出て来ないでいる。


「俺が涼平に会いに行ったのは、本当は知りたかったんだ。涼平が椎名さんのことをどう想っているのかを」

「……うん」

「椎名さんが涼平のことを好きだってこと、分かってる。それに椎名さんが告白する前から、涼平のことが好きだっていうのは……知ってた」


 椎名が宇垣に対して何かしらの好意を抱いていることくらいは、普段から椎名を見ていた相田にとっては分かることであった。

 でも、相田は見ようとしなかった。椎名のことが好きであるからこそ、盲目になっていた。椎名が宇垣に好意を抱いていることを認めてしまうのは、相田にとって容易なことではなかったからだ。


「今日の昼、椎名さんと会って、涼平のことが本当に好きなんだって分かって。それで俺、涼平に言ったんだ。椎名さんの気持ちに応えてくれないかって。そしたら……」

「……そしたら?」

「そしたら……その、涼平は……」


 相田は口が止まり、言い淀んでは考えている。涼平の言った言葉を、涼平の本心を、相田はどうしても口に出して言えない。


 今日、宇垣に会ったことで、相田は知った。宇垣が椎名と付き合う気はないこと。相田が椎名と付き合うべきであると思っていること。そして、相田が椎名と付き合おうとしなければ、宇垣は椎名を殺してしまうかもしれないということを。


 宇垣は椎名を殺したくないと思っている。最悪の事態にならないために、相田に椎名を本気で愛してほしいと。相田と椎名が結ばれて欲しいと、そう願っているわけだ。

 だがそれは、椎名と相田が結ばれなければ、宇垣は椎名を殺してしまうということ。椎名に宇垣のことを諦めてもらわないと、椎名が殺される可能性があるということであった。そんな現状であるからこそ、椎名に対して何を言ってあげるのが良いのか。それを相田は思考していた。思考して、悩んで、ひたすら沈黙の中で必死に相田自身がどうしたいのかを心に決めた。


「今は、椎名さんの気持ちに応えることは出来ないって。その……無理なわけじゃないけど、今は………好きな人がいるって」

「………そう、だったんだ。その好きな人って?」

「えっと……その」

「いや、やっぱりいいかな。相田くん、ありがとうね。私……なんとなく分かったから」


 相田が選んだ言葉は、椎名のことを想っての嘘であった。目の前にいる椎名のために、真実を隠して嘘をついてしまう。

 これ以上、傷つけたくない。本当のことを言ってしまえば、きっと不安にさせてしまう。そもそも、殺そうとしているなんて、納得してくれるわけがない。相田はそういった想いから、嘘をついてしまう。椎名に嘘をつくことしか、今の相田には出来ないでいた。

 相田の心情を知らず、椎名は悲しそうに笑う。椎名の悲し気な表情を見て、相田は胸が余計に苦しくなる。苦しくなって、すぐに言い訳をするように口を開いた。


「ごめん! 本当に俺、椎名さんに何もしてあげられなくて」

「なんで相田くんが謝るの? いいんだよ、もう」

「いや、でも……」

「それに、相田くんが私のことを想ってしてくれたのは嬉しかったから」

「それは……だけど」


 相田はまた、椎名に謝罪をする。椎名が悲しそうな表情をしたことで、まるで相田自身が椎名を悲しませてしまったように感じてしまっていたからだ。それによって、相田の中で消えかかっていた罪悪感がまたしても押し寄せて来てしまう。


 だが、今回はさっきの罪悪感とは違っていた。相田は謝罪の言葉を椎名に告げても、気持ちは晴れない。相田の心はどんどん苦しくなっていくままであった。

 なぜ相田の気持ちが晴れないのか。それは、椎名に対して嘘をついてしまったからである。嘘のことを告げたことで、余計に罪悪感に苛まされ、相田自身を苦しめていたからであった。


「むしろ、私が相田くんに迷惑かけちゃったね。私こそ、ごめん」

「そんな、椎名さんは何も悪くない。悪いのは……いや、違う。本当は誰も悪くない。これはもう、どうしようもなくて……」

「そうだよ。もう、どうしようもないの。どうしようもないから、私……わた、し……」


 椎名に謝られ、相田はとっさに言葉を返す。その途中で相田は、昼に告白した時のことが脳裏によぎり、言葉を訂正した。特に相田は、葛藤してきた宇垣に対して、またしても“宇垣が悪い”と言うことはさすがに出来なかった。


 椎名は相田の言葉を聞いて、少し泣きそうに声を震わせ、顔をうつむいてしまう。相田にとっても、椎名にとっても、“どうしようもない”という言葉は“諦めるしか他にない”と同じであることを知っていた。それだけに、その言葉が椎名にとって残酷なものであることを2人は痛感する。


「ねぇ、相田くん。今日のこと……あれは、本気だったんだよね?」

「……それって、告白のこと?」

「うん。私ね、相田くんに告白されて分からなくなったの。あ、べつにね。相田くんのことは嫌いじゃないよ。ただ、相田くんって宇垣くんといつも一緒にいたし、その、えっと……私、相田くんが羨ましかったというか、でも、その……えっと」


 椎名は話を続けようとするが、言葉がまとまらず、落ち着かない様子で言い淀んでいる。

 椎名の心の中では、相田に対して自分が感じていたことを相田本人に言っていいのか。それを自分の口から相田に尋ねてしまっていいのか。そういった、心の迷いが生じてしまい、どう言葉にしていいか分からなくなっていた。


「落ち着いて、椎名さん。頭の中でまとまってから話せばいいからさ」

「いや、でも」

「とりあえず、あそこのベンチに座って落ち着こうか」

「う、うん」


 椎名は視線を泳がせて困ったように言い淀んでいた。それを見ていた相田は、椎名に落ち着いてもらおうと公園のベンチに座ることを提案する。椎名が頷くと、相田が誘導するように先を歩いては公園内にある屋根付きのベンチへと向かっていく。

 相田と椎名の2人はベンチのそばまで来ると、椎名はベンチに腰をかける。しかし相田は、そのまま立った状態で近くの自販機を見つめている。


「ちょっと、飲み物買ってくる。椎名さんはお茶でいい?」

「え? う、うん」

「じゃあ、ちょっと待ってて」


 椎名にそう告げて、相田は自販機の方へと駆け足で向かって行く。

 相田は自販機の前に立つと、制服のズボンのポケットから財布を取り出し、小銭を入れてお茶のペットボトルを2本買う。出てきたお茶のペットボトルを手にすると、それを持って椎名が座っているベンチへと向かい、椎名に1本手渡した。


「ごめんね、相田くん。お金……」

「いやいいよ。あげるつもりだったから。それより、少し落ち着いた?」

「うん、落ち着いた。ありがとうね、相田くん」


 ペットボトルのフタを開け、椎名は少しお茶を飲む。お茶を飲んでいる椎名の様子を見つめては、相田は少し気持ちが軽くなったような緩んだ表情をする。

 相田はそれほど喉が渇いていたわけではなかった。だが、慌てていたとはいえ、先ほど椎名を無理矢理走らせてしまったことに負い目を感じていた。だからこそ相田は自販機で飲み物を買い、その飲み物を椎名にあげた。結果的には、椎名が落ち着いてくれていたので、そんな椎名の姿を見て相田はホッとする。相田の心も安らいでいき、落ち着いていく。


 相田もペットボトルのフタを開け、お茶を飲む。さきほど宇垣の家で飲み物をたくさん飲んでいたとはいえ、この公園まで椎名と走ったので、多少は汗をかいていた。失った分の水分を補給するように、お茶を美味しそうに飲む。


「私、本当に宇垣くんのことが好きなのかなって」

「んんっ?」


 お茶を飲んでいる途中で椎名が話を始めたので、相田は口に含んでいたお茶を飲み込み、ペットボトルに口をつけるのをやめる。キャップを締め、椎名を見つめた。


「えっ? どういうこと?」

「相田くんに告白された後にね、考えたの。私、本当に宇垣くんのことが好きなのかなって。なんか、分からなくなって」

「分からなくなった?」

「そう。それで不安だったから、宇垣くんに会えば……自分の気持ち、分かるかなって」

「それは……」

「だから今日、宇垣くんと会うことにしたの。会って、自分の気持ちを確かめようって。そしたら相田くんが……」


 その続きは相田も知っているため、椎名はそこで話すのを止める。

 相田は不安そうに語る椎名を見つめ、何故椎名が宇垣の家に来たのかの理由を知って納得していた。


 だが、その理由を聞く限りでは、まるで椎名が宇垣に会うことを決めたかのように思える。宇垣の部屋で宇垣が椎名を呼び出したかのような素振りを見せていたことを思い出せば、椎名に対して疑問を抱くのが普通ではあった。

 しかし、相田はそのことに気づかない。椎名のことを気にする余り、その言葉の違和感に気づけないでいた。


「ねぇ。そういえば、なんで相田くんはあんなに慌ててたの?」

「それは、椎名さんが宇垣に……その、なんていうか…………」

「ん? なんていうか?」

「…………」


 椎名からの質問に相田は戸惑いを隠せず、言葉に詰まったまま頭の中で必死に言葉を考える。事実を言うことは出来ない。なんて言えば納得してくれるのだろうか。相田はそう思えば思うほど焦りを感じてしまう。慌てていた理由をそのまま椎名に伝えられないのだから、相田はまたしても嘘をつくしかない。

 だが、下手な理由では椎名に怪しまれてしまう。だから相田は、しばらく難しそうに悩んでいる表情のまま、頭の中で都合の良さそうな理由を模索し続けていた。


 椎名は難しそうに考える相田の様子を見て、何故そんなに悩んでいるのかと疑問に思ってしまう。相田が悩んでいる理由を考えてみると、椎名はひとつの理由にたどり着き、相田に問いかける。


「もしかして、私が宇垣くんにまた告白するとか思ったの?」

「えっ? あ、ああ。そう、かな」

「そんなことしない。だって私、宇垣くんに告白して1週間も経ってないんだよ。何度も告白なんてできない。そんなこと、普通ならできないよ」

「……そう、だね」


 椎名の言葉を聞いた相田は、小さい声でそう呟きながら弱々しく頷く。それは、告白の辛さを今日初めて痛感し、身を持って知ってしまったからである。


 告白したからこその、もどかしさ、煩わしさ。その辛さは、告白をしたことがある人間にしか分からないものである。

 特に椎名の場合は相田と異なり、希望を持つことが出来ないことである。頭では分かっていても、自分の中にある自信や目標が脆く霞んでしまう。好きなものに対する活力は失われ、失われるのと同時に人間として弱くなる。心は衰弱し、思考は鈍り、普段通りに動くことが出来なくなる。弱体化した人間がもう一度同じ人間に告白をするという行為は、それなりの希望や自信や理由がなければできることではない。


「でも私。これで良かったのかなって思う」

「へ? どういうこと?」

「あ、宇垣くんに会わなくて、かえって良かったかなって」

「ああ。そういうことか」


 椎名が発言した言葉の意味を理解し、相田は納得した表情で頷いた。

 相田はてっきり椎名が、宇垣に告白を断られて良かったという意味で言ったのかと思っていた。だが、それが勘違いであったのだと知ると、相田は安堵して表情を緩ませる。


「だって、こうやって相田くんと話していたら……なんか私ね、気持ちが落ち着いてきたんだ。だから、今日は会うのはやめておこうかなって。もし今から宇垣くんに会いに行っても、きっと何を話せばいいのか分かんなくなると思うから」

「……うん。そうかもしれないな」

「それに、ね……」


 そこから椎名の口は止まり、なにか思い詰めたような表情へと変わっていく。

 相田は暗い表情の椎名を見つめながら、しばらく待ってみる。しかし、待ってみても椎名は相変わらず口を開こうとしない。なので、相田は不安に思い、椎名に問いかける。


「……それに? どうしたの?」

「……なんとなくなんだけどね。もし、今日宇垣くんに会ってたら……私が私じゃなくなってたかもしんないなって」

「それはどういうこと?」


 椎名が何を考えているのかは相田には分からない。だが、椎名の思い詰めたような暗い様子が、相田にはあまりよくないことを考えているように感じられた。相田は嫌な予感がして、不安な気持ちが大きくなっていく。


「きっと、私が私自身を見えなくなっていたのかなって。なんか、今はそう思うの」

「え、つまりそれって、椎名さんが自分を」


 だが嫌な予感は的中する。相田の脳裏に嫌なイメージがよぎる。もし椎名が宇垣に会いに行ったら。宇垣と会ったことで、強く傷ついてしまったら。その時、椎名は自分の命を絶ってしまうかのような。自殺をしてしまうような。そんな雰囲気が、椎名から感じられた。


「うん。もしかしたら、私……かも」


 そして、相田の嫌な予感は的中する。

 椎名の声色。椎名の表情。椎名が告げた言葉には。おぞましい殺意が込められていたのだった。

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