7話

 太陽は沈み、夕焼け色であった空は夜の真っ暗な空へと変わっていた。月の光は空を少し照らし、電柱の外灯の光は道路や電柱の周りの物を照らしている。外は完全に夜となっている。

 宇垣の部屋の中も、1つしかない電灯の光によって明るく照らされている。そんな部屋の中で、相田と宇垣の2人はジュースを飲みながら携帯電話を触っていた。


「さて、と……」


 しばらくして、宇垣は手に持っている携帯電話を充電器へと戻す。そして、ベッドの上に置いてある置き時計を見る。時刻は19時40分。外は真っ暗になり、完全に夜の風景へと変わっていることに気付く。

 宇垣は学習机のそばでイスに座ったまま、相田の方へと視線を向ける。すると、相田は少しニヤけた顔で携帯電話の画面を見つめていた。相田が好きな宮越 菜月の画像を見ていることを知ると、宇垣は複雑そうな表情で声をかける。


「そういえば政、今日は何か用があるんじゃないの?」

「……え? ええと……」


 ベッドに腰かけていた相田は、宇垣の言葉を聞いて視線を泳がせながら戸惑い始める。そんな相田の様子を見て、宇垣は少し笑みを浮かべた。相田の慌てている様子が、宇垣には少しおかしく感じていた。


 宇垣はそろそろ、相田から自分に会いにきた理由を聞かなくては、と思っていた。そう思ったからこそ単刀直入に相田に問いかけていた。

 その問いかけを聞いて、相田の表情は少し緊張したものに変わっていく。焦りを感じた声で、宇垣が問いかけてきた理由を尋ねる。


「な、なんでだ?」

「だって今日、政から自分に電話してきたでしょ?」

「ああ」

「きっと何かあったから電話してきたんじゃないのかなって。そう思ったから」

「それは……」


 相田は元々、椎名に告白したことを宇垣に話そうとして会いに来ていた。しかし、宇垣にその話題について急に振られ、少し動揺してしまう。

 そんな相田を宇垣は見つめながら、落ち着いて話をしてくれるまで待ち続ける。


「……実は今日、椎名さんに告白してしまったんだ」

「……そっか。それで彼女は?」

「それがさ。何も言わず、逃げてしまったんだ」

「何も、言わずに……か。なるほどね」


 宇垣は何かを察したように、腕を組んでうつむく。何故そうしたのか、分からなくもないといった表情を浮かべ、すぐに相田に視線を戻す。


「俺、どうしたらいいのか……まさか、逃げられるなんて思ってなくて」

「でも、何も言わなかったんだよね? なら、まだ希望はあるじゃないか」

「いいや、俺には希望があるように思えないな。だって、明らかに困ってた顔してたから」


 悲観染みた表情を浮かべ、相田は学校での出来事を思い出しながら語っていく。

 椎名の表情、声や言葉、逃げていく姿。相田は思い出せば思い出すほど、希望が持てなくなっていった。


「それはやっぱり、驚いたからじゃないのかな? 少なくとも、まさか告白されるなんて普通は思わないからね」

「たしかに驚いてたとは思う。けど、やっぱり……」

「それに、椎名さんは何も言わずに逃げたんじゃなくて、きっと何も言えなくなったから逃げたんじゃないかな」

「それは……いや、そうかもしれないか」


 相田は、宇垣の言葉を聞いて頷く。少しだけ表情に余裕が生まれていく。相田はさっきまで不安と後悔によって、椎名の反応に対してあまり楽観的に考えることが出来ずにいた。

 しかし、友人である宇垣の発言を聞いたおかげで、相田の悲観的な思考や思い込みを和らいでいた。


「だから、彼女からの答えが来るのを待つしかないね」

「……答えを待つ? 待つって、そんなの涼平を選ぶに決まってんだろ!」


 相田は声を荒げて、宇垣に自分の本音を言った。

 椎名さんが選ぶのは、きっと涼平だ。相田はそう思っていただけに、宇垣に対してつい本音を漏らしてしまう。


「そんなこと、ありえないじゃないか。自分は告白を断ったんだから」

「でも、椎名さんはまだ涼平を諦めてない。きっと、まだ涼平のことを想っているんだと思う」

「それでも、政は彼女に告白したんだろ? もしかしたら、彼女だって心変わりするかもしれない。想いは、変わるかもしれないじゃないか」

「そうかもしれない。けど、やっぱり無理だ。きっと、涼平を選ぶ。絶対そうだ。告白したって、変わらないんだから……なんで俺、あんなこと言っちゃったんだろ」


 相田は、学校で椎名が言った言葉を直に聞いた。告白を断られた今でも、宇垣のことを想っている椎名の姿を見た。だからこそ、そんな椎名に対して相田は希望が持つことができない。


 宇垣は、相田が椎名のことを想っていたのは知っていた。むしろ、相田が椎名に告白することを望んでいたと言っても過言ではない。

 だからこそ、宇垣は相田が椎名に告白したことを悪く言うつもりはなかった。相田が自分に対して何かしらの感情を抱いてしまうのも仕方ないと。宇垣は心の中でそう思っていた。


 だが、宇垣は相田の言葉に眉を寄せて険しい表情を露わにする。


「え、なに? じゃあ、政は諦めるの? 椎名さんのことは、諦められるの?」

「それは……」


 相田は告白したことを後悔していた。宇垣の前で、告白したことを後悔している素振りを見せてしまう。

 だからこそ、宇垣は苛立ちを抱いてしまう。宇垣自身にとっては、相田には後悔して欲しくはなかった。それも、人のせいにするような相田の物言いに、宇垣が静かに我慢して黙っていられるわけがなかった。


 宇垣はそのまま、相田に怒るように言葉を続けていく。


「さっきから、政は告白しなければ良かったみたいに言ってるけど、何? 何で椎名さんに告白したの?」

「それは、その場の勢いで……つい熱くなってしまって」


 相田の返答を聞いて、宇垣は溜め息を吐いた。すると、少し考え込むように額に手を添える。

 感情にまかせて怒っているだけでは、政の本心が見えない。本当の気持ちをここで答えてくれないと困る。宇垣はそう考え、真剣な面向きで相田に問いかけていく。


「じゃあ政が椎名さんに告白したのは、なんとなくってこと? それで告白して政は、彼女に対する想いは薄っぺらなもので、本当は好きじゃなかったんだって気づいたの?」

「…………」

「結局、椎名さんのことが好きだって想いは、政にとっては一時の感情だったってことでいいの?」


 宇垣の問いかけを聞いた後、相田は真剣な目で見つめている宇垣の視線から目を逸らし、目を閉じて考える。自分自身の本当の気持ちはどうなのか。真面目に、自分の本心に向き合おうとする。

 相田が椎名に対して感じて抱いてきたもの。それは決して偽物ではなく、椎名に好きな人がいても、簡単に揺らいで消えるようなものではない。それ以上に、椎名のことを想えば想うほど強くなっていった。


 一緒にいたい。力になりたい。守りたい。愛したい。

 偽物でも、薄っぺらなものでも、一時のものでもない。

 好きだから告白した。本当に好きだから、告白することを止められなかった。


 相田は自分の中の本心と向き合う。少しずつ考えがまとまり、椎名に対する想いが固まっていく。

 目を開き、強い眼差しで宇垣に視線を向ける。覚悟の決まった顔つきで、自分の本気の想いを語ろうとする。


「……いいや、一時の感情なんかじゃない。椎名さんのことは、ずっと見てきた。今でもずっと好きだ。今日だって、もっと好きになりたいと思った。これからもずっと一緒にいたいと思ったさ」

「なら、答えは出てるじゃないか。悩む必要はないだろ? 椎名さんだって、政の想いに気付いているはずだよ。きっと、応えてくれるはずさ」

「そんな……そんな都合のいいことが、あるわけないだろ! だって椎名さんは、今でも涼平のことが好きなんだ。フラレても、きっとまだ諦めていないんだ。だから涼平が…………っ!」


 そこで相田は言い淀んでしまう。その先を言うことを、相田は止めてしまう。

 相田の中で、それを言ってはいけないという言葉が脳裏によぎり、先ほど固まった本心と決意が相田自身を邪魔していく。


「だから、何? 政は自分にどうしろっていうの?」

「そんなの……分かってるだろ!」


 相田の中の本心が揺らいでいる。その揺らいだ本心を断ち切って、心の迷いを無くして、相田は決断した。

 相田が宇垣に会いにきた、本当の理由。椎名に告白して、宇垣と会って、相田が心の奥底で悩んで迷っていたこと。


「涼平が、椎名さんの気持ちに応えてあげればいい」


 それは、椎名を想っての言葉。椎名を想っているからこその言葉で、相田にとってとても辛い言葉であった。相田は苦しそうに、辛そうに、その言葉を口にして宇垣に伝えた。


「……無理だ。それは、絶対にしない」

「無理じゃない。いや、涼平は無理だって決めつけてるだけだ!」

「そうじゃない、本当にダメなんだ。さっきも言っただろ。誰かを愛することは自分には出来ないんだ」

「なんでだよ? 殺してしまうからか? そんな理由、やっぱりおかしい。本気なら、本気で頑張れば大丈夫なはずだろ!?」


 相田が今まで信じてきたもの。それは、本気で頑張れば何だってできること。

 本気になれば、諦めなければ、いつか願いは叶う。本気に誰かを想って頑張れば、いつか奇跡が起こる。諦めない限り、絶対に無理ということにはならない。相田はそう信じてきた。そうあるべきだと、そうあってほしいと相田は強く感じている。

 それだけに、相田は自分の想いを宇垣に訴えかけていく。それは相田自身のためではなく、椎名のため。好きな椎名のために、相田は宇垣に本音を訴えかけた。


「本気さ。本気だからこそ、自分には出来ないんだ」

「なら、本気で他の方法を探せばいい。さっきだって殺さないための方法をやっていたじゃないか。本気であれば、きっと殺さずに愛する方法だってあるはずだ!」

「……っ! 簡単に、言うなよ」


 宇垣は小さな声でボソッと呟く。怪訝そうな顔で、綺麗事を並べ立てる相田を睨み、怒りを露わにしていく。

 本気になったり、諦めなかったり、頑張り続けること。相田の言うことが間違いではないことは宇垣も知っている。

 しかし、それを実行することが容易ではないこと。本気で、諦めず、ずっと頑張っていくことの困難さを、宇垣は過去に痛感してきている。


「それが出来るなら……自分だって、こんなに我慢しなくて済むんだ! 本当は諦めたくないし、こんなに辛い想いをしなくてすむんだよ!!」

「涼平……もしかして」

「ああ。君が彼女を好きになる前から、私は好きだった。本当は好きで、愛おしくて愛したいと私は思ってる。彼女に対する想いをぶつけたいよ!」


 学習机のそばでイスに座りながら、宇垣はまっすぐに相田を見つめ、真剣そうな雰囲気でそう言った。宇垣の中で今まで抱えてきた1つの本音を、相田に告げてしまう。


 そんな宇垣を見て、相田はベッドに腰かけたまま驚きの表情を隠せないでいる。今までの宇垣の行動や言動を考慮すれば、そこまで明確な好意を椎名に対して持っているとは思えなかったからだ。

 しかし、相田が宇垣の本心に気付かないのも仕方がない。宇垣は自分の本音をバレないようにと、今まで隠してきた。相田にだけは自分の本当の気持ちや願いを気づかれてはいけないと思っていた。


「それなら、なんでだよっ! なんで椎名さんの気持ちに応えなかったんだ!!」

「出来るわけないだろ! 昔、自分は愛したかった豊条先輩を傷つけたんだから!」

「え? 傷つけたって……」

「そのままの意味さ。どれだけ本気で耐えようとも、どれだけ殺したいっていう欲求を抑えても、傷をつけてしまった。彼女を愛したことで、取り返しのつかないことになってしまったんだよ!!」

「そんな……昔、いったい何があったんだ」


 相田は知らなかった。宇垣が過去に何があったのかを。宇垣がどういった経緯で今まで過ごして来たのかを。宇垣が恋愛という病に伝染し、殺意と向き合ってきたのかを。詳しいことは何も知らないでいた。

 だからこそ相田は、宇垣の過去に何があったのかを知りたいと思って尋ねた。


「……中学の頃だよ。1年生だった自分は部活の先輩である豊条月菜ほうじょうつきな先輩と海に行った。その時に豊条先輩を見て、恋に焦がれた。先輩と過ごして、自分は焦がされてしまったんだ。それで、いつの間にか先輩に夢中になっていた。先輩を愛したいって、そう思うようになったんだよ」


 宇垣が過去に海に行ったのは、豊条月菜という同じ部活の女性の先輩に誘われた中学校1年生の時。その時が最後で、それ以来宇垣は海に行っていない。

 その時に宇垣は、豊条先輩の水着姿を見ていて一目惚れした。豊条先輩と一緒に過ごし、豊条先輩の姿を見つめれば見つめるほど、恋焦がれてしまっていた。豊条先輩に夢中になったから、日焼け対策を忘れ、宇垣はひどく日焼けしてしまっていた。

 皮膚は太陽の日差しに、心は豊条先輩に対しての恋の病に、宇垣は焦がされた。それが、宇垣の抱えている恋愛感情の起源であり、トラウマのきっかけであった。


「でも、その頃からだった。先輩を愛したいって感じるのと同時に、先輩を殺したいって欲求が出てきたのは。好きになればなるほど、愛したくなればなるほど、傷つけたくなった。殺したくなったんだ」

「なんで、そんな急に」

「そんなの、先輩に恋したからとしか言えないよ」


 宇垣は熱くなっていた感情を冷まし、少し落ち着きを払った声で話していく。


 海に行って、宇垣は恋を知った。しかし、宇垣は今までに恋愛をしたことがなかった。

 いつしか宇垣は、自分の中に抱えたものが恋愛であると気づく。世間で見知った恋愛は偽物で、偶像の産物フィクションであると知った。自分自身が抱いている恋愛こそが本物であると思い込んでしまった。それだけに、恋愛というものがどれほど辛く、恐ろしいものであったかを身に染みて覚えてしまう。

 その結果、相田のように恋愛もののドラマや作品は見なくなり、恋愛というものを詳しく知ろうとはしなくなっていった。


「それで、ある日。自分は放課後の学校で、豊条先輩を傷つけてしまった。血を流している先輩を見て、思い知らされたんだ。愛する人を絶対に傷つけまいとどれだけ本気で思っていても、愛してしまえば傷つけるって。愛さない以外に、愛したい人を殺さない方法はないんだって。そう、理解してしまったんだよ」

「そんな……そんなのって……」


 悟ったように語る宇垣を見て、相田は胸が苦しくなっていく。

 なぜなら相田は、愛したい人を愛せないという、そんな理不尽なことは現実にあってほしくないと感じていた。さらに、苦しんできたであろう宇垣に、自分自身がどうもしてやれないことに、相田は悔しくもあり、悲しさを抱いてしまっていた。


「その後、豊条先輩は引っ越してしまったんだ。自分が原因で、目の前からいなくなった。だから、自分はみんなの言う“恋愛”が理解できない。理解したいと思わないし、理解出来たとしても、違和感があって信じられない。それに、恋愛をしたいと思うことさえ、自分はできないんだ」

「…………じゃあ」


 相田は、思い詰めたように項を垂れたまま、重たそうに口を開いた。

 本気になれば。諦めなければ。別の方法を探せば。そんな言葉を言ったところで、宇垣はもうどうしようもないところまできているのだと。相田は、宇垣の言葉を聞いて気づかされた。

 それでも、相田は宇垣に聞かずにはいられなかった。宇垣が椎名に対してどうするのか。これだけは聞かないといけないと思って、宇垣に最後の確認をする。


「じゃあ、椎名さんは諦めるっていうのかよ」

「……そうだね」

「好きなのに。本当に、諦めるしか」

「うん。今日までそのつもりだったよ」

「……えっ?」


 相田は、違和感のようなものを感じ取って、瞬間的に頭を上げる。

 宇垣の声の調子が、雰囲気が、感情が、何もかも変わった。

 感傷に浸っていた雰囲気は消え、決定したことを語るような。淡々と、やや早めの口調で、決めてしまったことを伝えていくような。そんな雰囲気で宇垣は相田に話していく。


「本当は諦めるしかなかった。だから、椎名のことは避けたし、嫌いになってもらおうとした。だけどあの日。自分は政とケンカして、止まらなくなったんだよ」

「な、なにが?」

「愛したいっていう感情、だよ。あの日から自分が学校を休んだのも、自分の中の何もかもを抑えるためだった。必死に自分の中に存在する感情を抑えようと、今日まで気が狂いそうになるほど字文を書いてた。書いた字文を粉々にして、破いた。何度も何度も、欲求の熱を冷ましたんだ」


 やや笑みを浮かべながら、すらすらと語っていく宇垣。

 相田は、宇垣が何を思っているのか分からない。何を考えて、何を思って、言葉を口に出しているのか。さっきとは変わって、宇垣の心の底が見えない。


「だけど、やっぱりダメだ。どれだけ紙に字文を書いても、それを粉々にしようとも、消えない。書いた字文は捨てられても、自分の想いは捨てられない。やっぱり諦められないし、自分が今の自分でなくなりそうになるんだよ。だからね、決めたんだ」

「な、何を?」

「ずっと考えてた。ずっと考えてたけど、もう殺さずに済むことも、彼女の想いに応えることも、それから逃げることも出来ないって気づいたんだ。だから、自分はね」


 空気が張りつめる。宇垣の雰囲気に相田は飲まれる。

 相田はその場で固まりながら、相田の言葉をただ聞き続けていく。


 そんな相田を見ながら、宇垣は優しそうに言葉を言った。


「椎名を殺すことにしたんだ」

「なっ! なんでだっ!?」


 相田は立ち上がった。立ち上がって、イスに座っている宇垣を見下ろす。目を見開いて、驚きの表情で、宇垣に対してどういうことなのかを聞く。

 しかし、明らかに焦燥感を抱いている相田を、宇垣は相変わらず優し気な表情を浮かべたままで見ている。何も心が動じていない様子で、相田を見て微笑んでいた。


「政が椎名を本気で愛するのなら、自分はきっと諦められる。けれど、もし政が諦めるっていうなら、本気で彼女を愛さないのなら、きっと自分は椎名を殺し、愛したいと思う」

「そ、そんなの。涼平、嘘だろ?」

「自分は本気だよ。本気で傷つけて、本気で殺して、本気で愛す。きっと本気で殺して愛するしかないんだよ。だから、政。椎名のことが好きっていうのなら、本気で愛せる?」

「うっ……」


 宇垣が、優しい雰囲気で残酷な言葉を平然と言い放っている。そんな宇垣に対して、相田は背筋が凍る感覚を知る。

 戸惑いも葛藤も何も無い。感情の込められていない言葉。そうすることが必然のことであるかのような。まるで、それはとっくに決定されていることのように感じられる。

 そんな雰囲気が伝わってくる宇垣の言葉が、相田の心臓を握り締めるように恐怖がまとわりついていく。


「本当に……本気で椎名を好きになって、本気で彼女を愛する覚悟が、政にはある?」


 宇垣は微笑みながら、相田に問いかけた。重く、黒く、まるで底のない闇に引っぱられるような言葉が、宇垣の口から相田に向かって放たれた。

 宇垣の問いかけが、相田の心の中を埋めて、脳裏に焼き付いていく。そのせいか、相田はその場から動けなくなり、硬直する。動揺と迷いと恐怖が入り混じり、思考が働いていない。


 そして、段々と周りが見えなくなっていく感覚に相田は陥っていく。すると、玄関のインターホンの音が家の中に鳴り響いて聞こえる。誰かが、宇垣の家に訪ねてきたのだ。

 1階の方で誰かが歩いて行く音が聞こえると、宇垣は笑う。何もかも分かっていて、思い通りになっていることに喜んでいるような感じで、不気味に口を開いていく。


「ふふふっ、どうやら思ってたよりも早く来てしまったようだね。でも、間にあってよかったよ」

「ま……さか」

「その、まさか。さ」


 しばらくして、階段の方に歩いてくる音が段々と大きくなって聞こえてくる。しばらく階段を上がる音が聞こえると、宇垣の親戚の子どもである、倉田くらた 哲治てつじの声が宇垣の部屋の中まで響いてくる。


「ねねぇ、お兄ちゃん! お客さんだよー。なんか、女の人だよー」

「っ!!」


 相田は、瞬間的に自分のカバンを持って走った。思考がままならない状態で、とてつもない焦燥感によって相田は無意識に動いてしまう。

 相田は宇垣部屋を出て、階段を下りながら哲治を無視し、玄関の方へと走って向かう。ひたすら本能的に、心の赴くまま、全速力で走っていく。


「あ、あれ? なんで、宇垣くんの家に」

「椎名さん! 来てくれ!!」


 玄関には清楚な印象の水色のワンピースを着て、小さいリボンやフリルのついたバッグを持った椎名が立っていた。相田が階段から下りてきたことで、椎名は驚いた表情を浮かべる。そんな椎名に対し、相田は椎名の手を引いて玄関の扉を開けて出ていく。

 戸惑いながらも、椎名は抵抗することなく相田に走っていった。それだけ、相田は真剣で本気であった。


「え、なに? どうしたの?」

「いいから、はやく!!」


 椎名は今がどういった状況なのか。何が起こっているのか分からず、相田に問いかける。

 しかし、相田は話そうとせず、ひたすら走っていく。向かう先は考えず、ただ一目散に椎名を連れて走っていく。


 しばらくして、相田の足取りは遅くなっていき、椎名の手を取りながらゆっくりと歩いていく。だいぶ走ったせいか、相田は段々と落ち着いてきて、周りが見え始めていた。

 相田と椎名が今いる場所は、霞ヶ丘公園の敷地内。自転車置き場の近くで、屋根付きのベンチと電灯がそばにある場所で、相田と椎名は息を切らして立っていた。


「ちょっと相田くん! どうしたのよ!?」

「あ、ごめん」


 椎名は呆然と立ち尽くしていた相田に痺れを切らし、握られた手を振り払う。

 理由も聞かされず、このまま近くの霞ヶ丘公園まで走らされたことに、椎名は少し憤りを感じながらも相田に対して理由を尋ねる。


「まず聞かせて。なんで? なんで相田くんが宇垣くんの家にいたの?」

「それは…………」


 相田は迷った。椎名の質問を聞いて、迷わずにはいられなかった。

 何を話せばいいのだろう。何を椎名さんに話すべきなのか。そう思いながら、相田は必死に考える。考えて、選択肢を見つけていく。

 だがいくら考えても、最善の答えは見つからない。本気で考えても、相田は苦渋の選択をしなければならないことに絶望する。



 宇垣のこと。椎名のこと。相田のこと。

 誰のことを想って、誰の想いを裏切るか。

 選択をすることはいつだって残酷で、選ばなきゃいけない選択肢も、また残酷である。


 相田に迫られた選択は、2つ。

 椎名に真実を教えて守るべきか、椎名に嘘をついて守るべきか。


 本当に選ぶべきことは何なのか。

 他の人なら、どのような選択をするのか。


 それは、相田は知ることも分かることもない。

 全て、相田自身が考え、選ぶこと。

 だからこそ、相田にとって未来を分けるほどの、重大な選択することになる。



 相田は悩んだ末、真剣な面向きで椎名を見て、選択を1つにする。

 その答えとは……

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