2.選択、私、ひとつへ

5話


 霞ヶ丘高校から自転車で15分ほどしたところに、最近出来た霞ヶ丘公園がある。その公園の中にあるベンチにて、相田は呆然と座っていた。


「はぁ……っ」


 相田はベンチに座ったまま、悩まし気にため息を吐いた。指と指をからませ、両腕のひじを足の上に置く。そして、指をからませた両手の上に額を乗せ、地面を見るようにして目を閉じる。


 今から1時間ほど前の出来事。相田と椎名が、霞ヶ丘高校の中庭のベンチにいた時のこと。2人の間で何があったのか、相田が告白をした後、どうなったのか。相田は頭の中で思い返していく。


 相田は勢いにまかせて、椎名に告白をしてしまった。椎名のことが好きだという想いを言葉にして、目の前で口に出して伝えた。

 その結果、椎名は逃走してしまう。“ごめんっ!”という言葉だけ言い残し、何かに堪えるような表情で、走り去って行った。そんな椎名の姿が、相田の脳裏に焼き付いて離れない。


「どうしよう……」


 相田は苦悩する。好きな人に好きと伝えることが、これほど辛いものであったなんて。こんな後味の悪いものだったなんて、思いもよらなかったと。相田は告白することが素敵なことであると思っていただけに、理想に裏切られた気分になっていく。

 それと同時に不安と煩わしさが心の中を占領していき、おかしくなりそうになっていく。むしろ、おかしくなりそうなのを堪えていると言った方が近い。


 しばらくして相田は顔を上げる。今の時間が気になった相田は、折り畳み式の携帯電話を開いて画面を見る。画面には4時40分という文字が待ち受けの画像の上に表示されている。

 この後、どうやって時間を過ごそうかと相田は考える。夜までには家に帰らないといけない。だが、このまま家に帰る気が起こらない。だからと言って、どこかに行く気力も今はない。それに、親になんて言い訳をすればいいのか。そんなことを頭の中で思考しては、携帯電話のアドレス帳を開く。


 あ行からの名前が並ぶアドレス帳の画面が映ると、上から2番目にある宇垣 涼平の名前に相田は目を止めてしまう。

 相田は携帯電話を見つめながら、ふとした思いが浮かんでいく。今頃、宇垣は何をしているのだろうか。体調不良なら、見舞いに行くべきじゃないのだろうか。それ以前に、宇垣と話をしたい。宇垣に話すべきなんだ。学校裏でのことを。今日のことを。自分の想いを。


「…………よしっ!」


 相田の中で思い浮かんだものが、決意に変わっていく。

 今からすべきことは、宇垣に会うこと。そうすることで、自分は心が軽くなる。そうしなければ、胸の中のざわめきは消えない。そう思うようになっていった相田は、宇垣の電話番号を押して電話をかける。呼び出し音が聞こえ始め、少し緊張感が高まっていく。


「はい」

「あっ……」


 電話をかけて2秒も経たずに宇垣の声が聞こえてきた。あまりの電話にでる早さに相田は驚いてしまう。まるで、相田から電話がくることを知っていて待ち受けていたかのようであった。


「もしもし。俺、相田 政だけど」

「うん、知ってる。それはケータイ見れば分かるから」


 宇垣は元気そうな声で、軽く笑って答える。相田は思っていたよりも宇垣の明るい雰囲気に、緊張していた心が少し和らいだ。


「そういえばそうだったな」

「でも、ちょうどよかったよ。自分も今から政に電話しようと思っていたから」

「そうだったのか」


 宇垣もまた、相田と同様に電話することを考えていた。

 そのことを知り、相田はなぜ宇垣が電話に出るのが早かったのか納得する。でも、宇垣が電話をしてきた理由は分からない。相田は疑問を浮かべたように宇垣に問いかける。


「でも、なんで?」

「やっぱり、この前のことについて政に謝りたいと思ってね。今日は気分も落ち着いたから、夜くらいに会えないかなと」

「そうか。それなら話が早い。俺も涼平に会わないといけないなと思って電話したからさ」

「……そうなんだ、それは良かった」


 宇垣は嬉しそうに少し小さい声で答える。

 相田も宇垣が同じことを考えていたことに、親近感を抱いていく。


「なら、政はいつ頃来れそう?」

「えーっと、そうだな。今は霞ヶ丘公園にいるから、今からでも会えるぜ?」

「そうなんだ。でも今はまだ親がいるからダメだね。申し訳ないんだけど、6時以降でもいいかな?」

「そうか、父親がいるんなら仕方ないな」


 宇垣の父親のことを知っているだけに、相田は察してしまう。

 宇垣の父親は夜の仕事をしていて、夕方まで家にいること。仕事に行く前に、なるべく息子に家に帰るように言っていること。他にも色々と宇垣の口から、宇垣の父親のことを相田は聞いて知っていた。


「じゃあ、6時でいいか?」

「夕食はどうする? なんなら、自分の家で食べてく?」

「え、マジで!? 家の中に入っていいのか?」


 相田にとって、宇垣の提案は予想外であった。なぜなら、てっきり家ではなく外のどこかで会うことになるとばかり思っていたからだ。

 今まで宇垣は、相田が家の中に入ってみたいと言っても決して入れてはくれなかった。その理由のほとんどが父親のことが関連していたが、それ以前に宇垣もあまり人を家に入れたくない雰囲気をいつも醸し出していた。

 そんな宇垣が、今日は家の中に招待すると言った。しかも、夕食まで用意してあげるとまで言ってきた。そのことに、相田はなんだか新鮮な気持ちと宇垣の心境の変化を強く感じていく。


「あまり外に出たくないからね。今日は謝りたいし、特別にね」

「それなら、6時に家に行くわ」

「了解。6時までに色々と準備しとくね」

「おう。ついでに、なんかお菓子かジュースでも買ってくるわ」

「いいの? ありがとう。じゃあ、また後で」


 宇垣はそう告げて、電話を切る。いつの間にか相田の表情は、明るい表情へと変わっていた。

 相田は自分のカバンを持ち、座っていたベンチから立ち上がる。そして、自転車をとめてある場所まで歩くとカバンを自転車のカゴの中に入れ、サドルにまたがっていく。


 太陽は夕焼け色になりながらも地平線へと進んでいく。ただ、相田はそんな太陽には目もくれず、自転車を漕ぎ始める。目の前の、太陽に照らされた風景を見つめながら。近くのスーパーマーケットへと向かった。




    ×     ×     ×     ×




 宇垣の家に着いた相田は、重そうにお菓子やらジュースやらが入ったビニール袋を片手にさげて玄関の前に立つ。もう片手にさげていた自分のカバンを地面に置き、家のインターホンのボタンを押して呼び出し音を鳴らす。すると、しばらくして玄関の扉の奥から足音が段々と近づいてくる。


 玄関の扉が開き、そこから普段着姿の宇垣が現れる。服装は白いポロシャツにハーフパンツという、いかにもラフな格好をしていた。そんな宇垣を見て、相田は新鮮味を感じながらも笑みを浮かべる。


「はい、いらっしゃい」

「おう、久しぶり」

「3日ぶりだね。どうぞ、あがって」

「お邪魔しまーす」


 相田は地面に置いといたカバンを手に持って、玄関の中へと入る。初めて入る宇垣の家だというのもあって、相田は玄関や廊下をじっくりと見回していた。

 宇垣の家は、まだ建てられて10年も経っていない。どちらかというと家の中はまだ綺麗な方であった。そのことが、木造の古い家に住んでいる相田にとってはすごく羨ましい限りであった。


「ん?」

「どしたの?」

「今、廊下の奥に誰かいなかったか?」


 相田が玄関や廊下を見回していると、ふと廊下の奥の方で誰かが顔を覗かせている。相田が見ていることの気付いたかのように、奥にいた誰かは顔を引っ込める。


「ああ。親戚の子だよ。今、遊びにきてるんだ」

「そうなのか」

「てつくん、大丈夫だよー。このお兄ちゃん、お菓子くれるから」

「ほんと!?」


 宇垣の呼びかけを聞いて、廊下の奥から小さい男の子が顔を出した。そして、嬉しそうに走って玄関の方にやってくる。身長は低く、だいぶ幼い顔をしたその男の子は目を輝かせている、相田の目の前までやって来ると、お菓子に期待を込めた表情で相田を見つめる。


「ねねぇ! なにあるの!?」

「えっ!? えっと……」


 急にやってきた男の子。宇垣の言う親戚の子に対して相田はどう反応したらいいのか分からず戸惑ってしまう。そんな間に、男の子は相田の持つお菓子の入ったビニール袋に手を入れていく。

 しばらくして、男の子は欲しいものを見つけたのか、チョコレートスナック菓子の1つを取り出しては2人に見せる。


「あ、僕ね、このチョコがいい。これ好きなんだ!」

「へ、へー。そうなんだ。じゃあ、あげるよ」

「えへへっ、おにいちゃんありがとう!!」


 男の子は満面の笑みを浮かべ、何の躊躇もなく相田に抱きついた。とっさの行動に相田は硬直してしまうが、それを解くように宇垣がそばに来て男の子の頭を撫でる。


「てつくん。ちゃんと、ありがとう。って言えてえらいね。それじゃ、お名前は言えるかな?」

「うん。僕ね、てつくんって言うんだ。このまえ5歳になったんだよ」


 男の子は相田から離れると、嬉しそうに右手の指を開かせては、相田に5歳になったと分かるように手の平を見せていた。それを見て、相田は苦笑いを浮かべる。


「そうか、5歳になったのか」

「うん!! もう、プールで顔もつけられるんだ。すごいでしょ!」

「お、おう。すごいな」


 男の子の言葉に対して、相田はつい棒読み気味に答えてしまう。どう答えたらいいのか分からないし、何もすごいと感じない。そう思ってしまっただけに、相田の口からは適当な言葉しか出てこなかった。


「この子、倉田くらた 哲治てつじくんって言って、昨日から家に泊まってるんだ」

「僕ね、保育園お休みしてるの」

「そういや保育園は夏休みがないんだったな」


 保育園というものは教育機関ではなく、根本的なものから言えば子どもを預けて見てもらう場所である。だからこそ、小学校に入学するまでの子どもには夏休みが必要ない。

 そのことを覚えていた相田は、目の前の男の子が少し可哀想に感じた。夏休みを知らないなんて、人生を損しているように感じてやまない。そういう心境に至っていた。


「とりあえず、リビングに行こうか」

「ん、そうだな」


 宇垣の言葉を聞いて、相田は靴を脱いで家の中にあがった。リビングに向かっている最中、男の子の表情が少し曇る。その理由を聞こうとする前に、男の子は口に出してしまう。


「……これ、チョコ溶けてるー!」

「え!? 嘘だろ!」


 男の子がすぐさま戻すように、相田の持つビニール袋の中に溶けたチョコをそのまま入れたので、相田の表情は引きつってしまう。

 そんな相田の表情を見て、宇垣は笑いながら2人の前を歩いてリビングへと向かった。




    ×     ×     ×     ×




 リビングの中央にあるテーブル。宇垣と相田でテーブルを挟むようにイスに座って、夕食を食べていた。そして、宇垣の親戚である男の子。倉田哲治は宇垣の隣に座って、カレーライスを美味しそうに頬張る。3人は仲睦まじく夕食を楽しんでいた。


「そういえば、学校の方はどうだった?」

「ん? どうだったって?」


 相田は宇垣の急な質問に、少し動揺する。相田がすぐに思いだしたのは、椎名さんのこと。特に、告白をしたこと。

 しかし、宇垣はまだそのことを知らない。何に対しての質問なのか分からないので、相田は質問に対して質問で返す。


「自分、休んでたからね。特に何もなかった?」

「あ、ああ。学校に関しては、特に何もなかったかな。伝えなきゃいけないことも特にない」

「そうなんだ。それはよかった」


 相田は含みのある言い方をするが、宇垣は気にせずに頷く。目線は相田の方ではなく夕食のカレーライスの方へと向けていて、もう相田を見てはいない。


「それより、涼平の方はどうだったんだ?」

「え? どういう意味で?」


 宇垣はまた相田の方に視線を戻す。相田と同じように、宇垣も質問されたことに対して質問を返した。それを聞いて、相田もさきほどの宇垣と同じように答える。


「だって休んでたからさ。どうしたのかなって」

「うーん、そうだね。割と辛かったかな。今日はだいぶ良くなったんだけどね」

「熱とか風邪か?」

「どちらかというと、熱かな。熱が上がり過ぎて、熱を抑えるのに苦労したよ」


 宇垣は少し考え込んだ後、眉根を寄せながらそう告げた。表情が笑えていない辺り、相当きつかったことが伝わる。

 そんな宇垣を見ながら、隣のイスに座っていた哲治という男の子は不思議そうな表情を浮かべる。


「でも、お兄ちゃん。昨日も元気だったよ?」

「そりゃあ、てつくんが来た時にはもう治りがけだったからね」

「じゃあ、なんで学校休んだの?」

「また熱が上がるといけないからね。念のために今日は休んだんだよ」


 宇垣は“仕方なかったんだ”と言いたげに頭を頷きながら、腕を組んで隣の哲治という男の子を見る。そんな宇垣を、相田は怪訝そうな表情を浮かべて見つめていた。


「それ、単にサボりたかっただけじゃないのか?」

「……ま、そうとも言えるかな」

「え、マジかよ」


 相田は宇垣が否定すると思いきや、サボったことを認めたことに驚いてしまう。

 いつもの宇垣ならきっと否定していた。真面目な宇垣が認めるなんておかしい。相田は頭の中でそう思いながら、今日の宇垣はいつもとは違う気がしていた。

 その原因は、もしかして涼平の家にいるからなのか。それとも涼平に久しぶりに会ったからなのか。何なのかは分からない。ただ相田は違和感のようなものを胸に抱きながら、宇垣を見つめていた。


「あ、これ僕のお姉ちゃんが好きなやつだー!」


 そう言ったのは、倉田哲治。テーブルから見える32型の液晶テレビの方を見て、嬉しそうにそう言った。テレビには、女の子向けのヒーローアニメが映っていた。


「てつくん、ごちそうさまは?」

「あ、忘れてた! ごちそうさまでした!」

「はい、じゃあ食器持っていってね」

「うん!」


 倉田哲治は食器を持つと、洗面台のところまで持っていく。食器を置くとすぐにテレビの前へと向かい、ソファーに座る。

 テレビに夢中になっている哲治をよそに、相田は夕食のカレーライスを食べ終わり、水を飲んだ。


「それにしても、夕食ごちそうになって悪いな」

「いいんだよ。どっちにしろ、夕食は作らなきゃいけなかったからね」

「とりあえず、食器は洗うわ」

「いいよ、ついでに洗っておくから。政はてつくんとアニメでも見てて」

「でも……」


 相田は時計を見る。時計の針は18時34分を示していた。

 そんな相田を見て、宇垣は少し焦ったようにイスから立ち上がる。


「えっ!? もしかして、早く帰らないといけない?」

「いや、そんなことない。親にも遅くなるって言ってあるし。9時までに帰れば」


 宇垣の家に行く前。相田は自分の母親に、宇垣の見舞いに行くついでにどこか夕食を食べていくと電話で告げた。相田の母親もそれを了承したので、相田が早く帰る必要はなくなっていた。

 相田の言葉を聞いて、宇垣はほっとしたようにイスに座る。宇垣が何故そんなに慌ててるのか、相田には少し不思議に思えた。


「そうなんだ。よかった。なら、ゆっくりしていきなよ。まだ、時間はあるんだからさ。」

「そうか? なんかすまんな」

「いいんだ、その方が自分にとっては都合がいいから」

「え? どういう……」


 宇垣は食べ終えた皿を持っては、ぼそっとそう告げた。相田は宇垣の言う言葉の意味がいまいち分からないので、問いかけようとする。

 だが、宇垣はすぐに洗面台の方へと行ってしまった。なので、相田は宇垣にわざわざ問いかけることを諦めた。


 相田はイスに座ったままグラスに入った水を飲みながら、倉田哲治の方へと視線を向ける。楽しそうにテレビに釘付けになっている哲治を見ながら、相田は右頬を上げていた。


「ほんと、子どもだな」


 夢中になっている哲治の姿を見て、相田は鼻で笑う。

 相田は水の入ったグラスを持ち、ソファーへと向かう。数時間前の学校の出来事を忘れながら、相田は宇垣の家で時間を過ごしていった。

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