3話
太陽がオレンジ色に変わり、青く晴れていた空は夕暮れによって夕焼けの色に染まっている。
時刻は夕方の17時50分。霞ヶ丘高校の在校生達は、部活に打ち込む生徒もいれば、今から帰ろうと下校する者もいる。
そして、相田と宇垣の2人もまた、霞ヶ丘高校から自分達の家へと一緒に帰宅していた。
「はぁ……やっぱ遠いね。もう疲れたよ」
「いや、まだ近いだろ。それに、まだ歩いて10分も経ってないじゃねーか」
宇垣は気だるい感じでそう言った。そんな宇垣に、相田は自転車をひいて歩いては、ついツッコミを入れてしまう。
相田の家は隣町であるが、宇垣の家は霞ヶ丘町内にある。霞ヶ丘高校からはやや近く、歩いて20分くらい。もし、宇垣が自転車に乗っていた場合なら、10分もかからない距離である。
そんな距離に住んでいる宇垣が自転車に乗らないのは、中学生の頃に一度だけ田んぼの中へ落ちてしまったことがあった。それ以来、宇垣は自転車を乗ることを極力避けるようになり、学校には歩いて行くようにしている。
「そういや、涼平って中学の時、部活は書道部だったんだっけ?」
「そうだよ。でも何で?」
「いや、もし部活してたら、俺も涼平も何か変わっていたのかなって。ちょっと思ったから」
「どうかな? 自分はそんなのはあんまり考えないからさ」
相田はさきほど、部活動に勤しむ生徒の姿を見かけた。その時に、相田は自分がもし部活に入部をしていたらという想像を浮かべてしまっていた。
そんな相田に対して、宇垣はどうでもよさそうに返答をする。
「ただ、自分は部活に入ったところですぐに辞めていただろうね」
「なんでだよ?」
「前に話したかな? 自分って、中学の頃に書道部の先輩に誘われたんだけど、その先輩に憧れて部活に入ったんだよ」
「そういえば、そんなこと前に言ってたな」
「その先輩、
「へー、そうなんだ」
書道に関しては全く興味のない相田は、適当に相づちをうちながら言葉を返す。そんな相田を無視して、宇垣は懐かしむように当時のことを思い返していた。
「ん? それじゃあ、なんで部活入らなかったんだよ」
「……だってその豊条先輩は、もうここにはいないからさ」
「え? もしかして、死んじゃったのか?」
相田は聞いてはいけないことを聞いてしまったのかと思い、しまったと言わんばかりの苦しい表情を浮かべる。
その様子を見て、宇垣は焦って訂正し始める。
「あ、そういうわけじゃないんだけど……ちょっと色々あってね。2年ほど前に引っ越しちゃったんだ」
「ああ、なるほど。そういう感じか」
「だから、部活に入る意味はないんだよ。そもそも、書道なんてべつに家でだってできるだろ?」
「うーん、たしかに。それもそうか」
宇垣の言葉を聞いて、相田は頷く。宇垣の言わんとしていることが分からないでもない。そう思って、納得した顔をする。
「なんか、涼平が部活に入らない理由が分かったわ」
「でも、もしあの豊条先輩がこの学校の書道部にいたら、きっと入っていただろうね」
「なんかそれって、運動部に入るマネージャーみたいだな」
「うん? それはいったい、どういうこと?」
宇垣は相田の言うことに、疑問を問いかける。運動部に入るマネージャーと自分との共通点がいまいち分からないでいる。
困惑気味に問いかける宇垣に、相田は少し笑みを浮かべながら疑問に答え始める。
「いや、部活でマネージャーとして入部する女子ってさ。なんで、部員ではなく、マネージャーになるか分かるか?」
「それは、その部活には入りたいけど、女子は部員として入れないからじゃないの?」
「それがさ、あいつら、憧れの先輩とか好きな男子と一緒にいたいのが理由で、単に彼氏が欲しいからなんだぜ」
「え、そんなまさか。そんなくだらない理由で?」
「でも、それ以外の理由が思いつかないだろ?」
相田にそう言われ、宇垣は考え込む。しかし、相田の言う通り。それ以外の納得できる理由があまり浮かばない。考えれば考えるほど、宇垣は相田の言う理由が本当にそうなんじゃないかと思えてきていた。
「そうだね……なるほど。つまり彼女らは、部活の中身ではなく部員を目当てとして入部していたわけか」
「そういうこと。だから、涼平もそれに似てるなって思ったわけ」
宇垣は難しそうに苦笑いを浮かべ、また考え込んでいく。そんな人達と自分が一緒にされたくない想いもあってか、宇垣は考えを終えると、また話しだした。
「でも、自分はべつに豊条先輩に憧れているだけだし、あの人の彼氏になりたいわけでもないから。なんか一緒にはされたくないかな」
「……え、彼氏? ちょっと待ってくれよ」
「うん? どうしたんだい、政」
「その憧れてるっていう豊条先輩の名前は?」
「“
「つきな? ってことは、その人は女なのか?」
「え、そうだけど?」
驚きの表情を浮かべる相田に、宇垣は戸惑ってしまう。相田が何を気にしているのか分からないだけに、不思議そうに顔を見つめる。
「はー、マジかよ。男の先輩だとばかり思ってたわ」
「あれ? 言わなかった? 自分はてっきり、女だと分かっていたからマネージャーの話をしてきたのかと」
「そんなわけないだろ! てか、それだと涼平の好きな女性ということになるじゃないか」
「いやいや、今はもう好きとかそんな次元じゃないから。単に憧れているだけだからね」
宇垣がそれを言った瞬間、相田がニヤリと笑みを浮かべる。そんな相田を見て、宇垣は少し不気味に感じてしまう。
「今はもう、ということは、昔は好きだったのか?」
「ええと…………」
相田の言葉に、宇垣はなんて言おうか悩んでしまい、つい言い淀んでしまう。悩んだ末、言い逃れはできないと思い、宇垣は重たい口を開いて話し始める。
「正直のところ分からない。けど、好きじゃなかったのかと言われたら、きっとそれは嘘になってしまうのかもね」
「じゃあ、やっぱりそうか」
相田は予想が的中し、嬉しそうな様子で指パッチンを鳴らす。
しかし、宇垣は何かを思い詰めたように段々と険しい顔になっていった。
「でも、あの頃の自分はなんて言うか……自分が分からなくてね。あの人のことばかり考えていたから」
「それ、完全に恋しているじゃねーか」
「そうだね。だから自分は後悔しているよ。あの後、転校してしまったしね」
「それは、その先輩に告白をしなかったことを後悔してるってことか?」
その問いかけに、宇垣は黙って歩いて行く。宇垣の反応を待ちながら、相田は宇垣の顔を見つめる。
「いいや、後悔しているのは……」
さきほどまで険しい表情をしていた宇垣だったが、少しだけ目を閉じると、目を開いた瞬間に微笑み始める。少し悲しげに、弱々しく、宇垣は答えを告げた。
「恋愛だよ」
「え?」
「残念だけど、続きは今度だね」
「な、なんで……ってそうか。もう家の前か」
歩きながら喋り込んでいるうちに、2人は宇垣の家の前まで来ていた。
相田は宇垣の話に集中していたせいか、宇垣の家の前まで着いたことに今気づく。
「またね、政。また明日」
「ああ、また明日な。涼平」
宇垣はそう言って軽く手を振ると、相田もそれを返すように軽く手を振る。宇垣が家の扉を開けて入るのを確認すると、隣町である自分の家に向かって自転車を押しながら歩き始める。
ただ、歩き始めながら、相田は少し考える。何故か、考えてしまっていた。宇垣の言った、あの言葉を。
「しかし……恋愛ってどういうことだろ?」
宇垣は相田が予想とは違う答えを言った。
後悔しているのは、“告白”ではなく、“恋愛”であると。
失恋したのであれば。好きであることを好きな人に伝えて、拒絶されたのであればだ。きっと、告白したことに対して後悔していることになる。
だが、宇垣は後悔していることは恋愛であると言った。それは、彼女を好きになったということを後悔しているということ。恋してしまったことを後悔しているということ。そこが、相田には理解できないことであった。
たしかに、告白できない状況で、付き合うことも好きと伝えることもできないのであれば、恋なんてしなければよかったと。好きで居続けることが辛いと。恋愛感情を抱いたことに対して後悔することはある。
だが、恋愛をあまりしてこなかった相田には、その気持ちや感情は分からない。考えたところで、そこは相田が経験したことも知ることもなかった未知の領域である。そのため、その考えに至ることは出来ず、渋い顔を浮かべたまま悩み続けていた。
ある程度歩いたところで、相田はくしゃくしゃと頭をかく。考えたところで分かりそうにない。それはまた今度聞こう。相田はそう思い、自転車にまたがって漕ぎ始める。
夕焼け空は暗くなり、太陽は落ち始めていた。相田は、朝に鬱陶しく感じていた太陽が沈みかけているのを見て、今回は落ちないでくれと思いながら、足早に自転車を漕いで帰っていった。
× × × ×
あれから、1ヶ月ほどが経った。辛かった期末試験が終わり、三者面談も終えた生徒達はこれから始まる夏休みと8月の創設祭に期待を膨らませていた。
そんな7月19日の火曜日。4限目の体育の授業が終わっての昼休み時間。相田と宇垣は教室で昼食を食べて雑談をしている。そんな中、相田が眠たげな表情で宇垣に言う。
「すまんわ」
「ん? どしたの政?」
「さすがに眠いから寝るわ」
「そっか。じゃあ、自分はちょっと用事あるから。また後でね」
4限目にあったのは体育の授業。内容は学校のプールで水泳するというものであった。プールに入れる数少ない機会というのもあり、相田はつい、はしゃいでいた。その結果、相田は昼の休み時間が始まって昼食を食べ終えた後、疲労による眠気に襲われてしまう。
宇垣が教室から立ち去ると、相田は机に顔を伏せて眠る。そこで相田は目を閉じながら、プール学習で椎名の水着姿を思い出した。眠りの世界に誘われているのもあってか、気が緩んでいく。相田の表情が段々と綻んでいき、ついでに鼻の下まで伸びていく。
脳内で鮮明に思い出せるくらい、相田はプール学習の光景が印象に残っていた。滅多に見れない肌を露出させている椎名の水着姿が、相田をドキドキさせる。ましてや、濡れているというだけで、相田の視線を釘付けにさせていた。
椎名の水着姿。それは相田にとって椎名に対する可愛いイメージが余計に拍車をかけ、可愛いという感情が頭を埋め尽くしていく。椎名の可愛さで心が満たされていくと、相田は幸福感も相まってぼんやりと眠りについていく。
寝始めて15分くらい経った辺りで、相田は目を覚ます。眠たい目をこすっては、教室の時計に目を向ける。
時刻は1時18分。15分ほどぐっすりと寝ていたことに少し驚くが、それ以上に休み時間が少ししかないことに、気持ちがブルーになっていく。
「あれ? 宇垣は?」
相田は眠たげな眼差しで教室の中を見渡すが、宇垣の姿はどこにも見当たらない。
しばらく見渡して、相田は自分が眠る前に宇垣が言ったことを思いだす。宇垣が何かしらの用事があって、教室から去ったんだと今になって理解した。
次の5限目の授業まであと10分弱。それまでにトイレだけは行かないといけないなと思った相田は、あくびをして背伸びをする。そして、椅子から立ち上がって近くのトイレへ向かった。
教室を出て近くの男子トイレに入り、相田は頭がぼんやりとしたまま次の授業のことを考える。次の授業の科目は英語であることを思いながら小便を済ませ、洗面台で冷たい水を顔に何回か浴びる。少し頭が冴えてきたのか、持っていたハンカチで顔を拭いた後は眠たげな表情は消えている。相田は顔を軽く叩いては次の授業に対して気持ちを切り替え、トイレから出た。
その瞬間、横から来た女子生徒に肩がぶつかる。トイレが階段のそばにあるのもあり、相田からは死角であった。相田にぶつかった女子生徒は少しよろめいている。
「あ、すみませ……っ!?」
「ご、ごめんなさいっ!」
相田自身もまさかトイレから出て横から急に来るとは思っていなかった。そのため、反射的に肩がぶつかった女子生徒の謝ろうとして、女子生徒が倒れた方に視線を向ける。
しかし、女子生徒の姿を見た瞬間、相田は驚きのあまり硬直してしまい、言葉を止めてしまう。そんな相田を無視するように、女子生徒は口元を手で隠したまま、男子トイレの隣にある女子トイレの中へ慌てて入って行った。
「え、なっ……なんで椎名さんが!?」
相田はひどく動揺する。今ぶつかった女子生徒が、相田の意中の相手である椎名智華であったこと。椎名が涙を流しながら、トイレに駆け込んで行ったこと。辛そうに、自分の悲しみを隠すように、女子トイレの中へ逃げていった様子が、相田の心に刺さる。
いったい何が。何がどうして、椎名さんは泣いているんだ。どうしよう。もしかして、俺がぶつかったせいなのだろうか。それとも、他に何かあったんだろうか。
相田はそんなことばかりが頭によぎって、今の状況が飲み込めないでいる。
「あ、政じゃないか」
「うえっ!? りょ、涼平?」
宇垣が階段から下りてくると、ずっと女子トイレを見つめたままでいる相田に気付いて肩を叩く。相田自身は、後ろから急に肩を叩かれて驚いてしまう。そんな相田の態度に、宇垣は心配そうに尋ねる。
「どうしたの? こんなとこで、女子トイレなんか見つめて」
「えっと、それがさ。椎名さんとさっきぶつかって」
「ああ、なるほどね」
相田の言葉に、宇垣は頷いては微妙な表情を浮かべる。困惑気味の相田は、宇垣が何故そんな顔をするのか分からない。
「うーん、なんて言えばいいのかな。もっと時期を見て言おうと思ったんだけど」
「え、涼平。もしかして、椎名さんのことで何か知っているのか?」
「知ってるも何も……いいや、とりあえずどこか別の場所に行こう。話はそれからにしよう」
宇垣は少し悩ましげな表情で言い淀んでいたが、周りにいる他の生徒を見ては、相田の手を取って男子トイレから離れる。相田は宇垣が人気のない場所で話したいのかなと思い、とりあえずそのまま宇垣についていく。
学校の中庭へと出られる場所を通っては、学校裏の人気の無い場所に行く。周りから見られない場所ではないが、人があまり通らない場所なので、宇垣はそこで足を止める。
「で、なんで椎名さん泣いてたんだ?」
「それは……」
相田が椎名について追及すると、宇垣は困った表情を浮かべる。普段の宇垣は割と率直に言うことが多い。今回もそうだと思っていた相田は、珍しく言うことに悩んでいる宇垣の様子が珍しく感じた。それだけに、宇垣から語られる言葉が何なのか緊張してしまう。
「実は自分、椎名さんに告白されたんだ」
「は? え、あ……はあっ!!?」
相田は、宇垣が何を言っているのかがすぐに理解することが出来ないでいた。むしろ、本能的に理解したくないと思っているのか、言葉の意味を理解することを躊躇していた。
しかし、しばらく考えれば誰にだって分かる。宇垣が椎名に愛の告白をされたことは、さすがの相田も考えがついた。
「どういうことだ? え、椎名さんが涼平に告ったって……そういうことなのか?」
「うん、そうだね」
「………マジで? 嘘だろ?」
「嘘じゃない、本当だよ」
「そんな……」
かつてない現状に、相田は開いた口が塞がらないでいる。好きな椎名さんが、友人である涼平に告白をしたこと。それが嘘偽りのない真実なのだとしたら、自分はどうすればいいのか。2人はこの後、どうなっていくのか。相田は戸惑いを隠せず、宇垣のそばへ行って問いただす。
「って、え? じゃあ、涼平は椎名さんと付き合うのか!?」
「いいや、それはない。自分は断ったから……」
「そ、そうなのか」
宇垣が椎名と付き合うことになっていないと分かると、相田は少し落ち着きを取り戻していく。
だが、宇垣に聞きたいことは山ほどある。相田は続けて宇垣に問いかける。
「え、でも、なんで?」
「なんでって、それは……その」
宇垣は相田に告白を断った理由を聞かれると、理由を言いたくないのか視線を下に向けて考え込む。言いたくなさげな宇垣を、相田はずっと見つめる。
「それは……?」
「……そうだね、政には話そうかな」
相田の表情は真剣で、椎名の告白を断った理由を聞きたいという意志を感じ取れる。そんな相田に宇垣は観念したのか、断った理由を話すことを決める。宇垣は意を決したように視線を相田に向ける。
「私は……いいや、自分はね。椎名さんを愛せないんだ」
「愛せない? どういうことだ?」
「だって、もし愛してしまえば、彼女はもう“人”ではなくなってしまうから」
「え? どういうことだ?」
「……つまりね、政」
宇垣は目を逸らさず、相田の目をじっと見つめる。しかし、宇垣の顔が歪む。まるで、笑みを堪えているかのような、宇垣は何とも不気味な笑みを浮かべる。
その笑みを含んだ表情と、その真剣で苦しむような目と、その震えるような声。
次の宇垣の言葉を聞いた瞬間、その言葉で相田の背筋は一気に凍っていき、目を見開かせてしまう。
「愛すれば、自分はその人を殺してしまうんだよ」
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