2話

 霞ヶ丘高校の敷地には自転車置き場が2つあり、1つは学校の玄関のそばにある。そこは主に2年生や3年生が使うように決められていて、1年生は少し離れた駐車場の近くの自転車置き場に置くことになっている。

 

 相田は自転車置き場に自分の自転車を置いて、自転車についているロックに鍵をかける。カバンを自転車のカゴから取り出しては玄関へと向かって歩いた。学校の玄関が見え始めたところで相田は宇垣を目で探す。


「……ん? あれ?」


 ところが、宇垣の姿がどこにも見当たらない。普段なら、宇垣は玄関の扉の前でいつも待っている。今日もそうだとばかり思っていた相田は、周り玄関以外の周りも見渡してみるが、やはり宇垣の姿は見当たらない。


 もしかしたら玄関の中にいるかもしれない。相田はそう思って玄関の中に入って探してみると、何かを見ているのか呆然と立ちつくす宇垣の姿が見えた。


「あ、いたいた。何見てんの?」

「ん? 別に何でもないよ」

「あ! これ、宮越菜月みやごしなつきじゃん!」


 玄関を越えた先にある掲示板に、最近話題の人気女優が写っているポスターが貼ってあった。

 長髪の髪の毛を後ろで縛っては、キリッとした表情をしている女優の宮越みやごし 菜月なつき。その女優が袴姿で、白い墨で文字が筆で書かれてある黒い紙を堂々と掲げている。持っている紙には“絶対阻止!”と達筆な字で書かれ、『薬物に染まるな!』というキャッチフレーズが大きな字でポスターに描かれてある。

 そんな薬物乱用の阻止を促すポスターを、宇垣はずっと見つめていた。


「もしかして、涼平も好きなのか!?」

「ううん、じぶんは……ただ、すごく綺麗だなと思ってさ。つい目を奪われてしまってね」

「あー分かる! めっちゃ良いよな、宮越菜月! 俺もめっちゃ好きだわ」

「ん? ああ、そうか。政は好きなんだっけ? この女優さん」

「そうそう、最近映画とかドラマとか出てるだろ? めっちゃ可愛いんだよな。普段はキリッとした感じなんだけど、笑うとめっちゃ可愛くて。それで最近よく出てくれるからさー、ほんと可愛いんだよな」


 嬉しそうに語る相田に対して、宇垣は苦笑いを浮かべる。あまり女優とかアイドルとかに興味のない宇垣にとっては、どう反応したらいいのか分からず、ただ苦笑いをするしかできないでいた。


「わかった、わかったよ政」

「おっ、涼平も分かってくれるか」

「とりあえず、あの女優さんが最近テレビによく出るってことと可愛いってことと政が大好きってことは伝わったよ」

「まだまだあるぜ。実は俺達と一緒の加賀市出身って言うし、歳は俺達の2つ上の18歳なんだ。高校3年生だぜ? ヤバイだろ?」

「はいはい、分かったから。政がこの女優さんのファンだってことはヤバイくらい伝わったし、もうこれ以上はいいよ……はぁ」


 相田のテンションが高くなり、このまま止まりそうにない。そう感じた宇垣は、これ以上話さないように相田を制止する。今の相田の様子を見て、宇垣は相田がこの女優が本当に好きなんだなと痛感して、ついため息を吐いた。


「とりあえず教室行こう。そのポスターの女優さんとは会おうと思えばいつだって会えるんだから」

「んー、わかったー。今いくー」


 相田はポスターの前から微動だにせず、ずっとポスターの中の女優を見つめていた。そんな相田に、宇垣は呆れ果ててしまい先に行こうとする。


「行く気ないじゃないか。なら、自分は先に行くからね」

「おいおい冗談だよ、待ってくれよ涼平!」


 宇垣の言葉を聞いて相田は、そのポスターに軽く会釈して、宇垣についていく。その一部始終を見ていた宇垣は、相田に若干引いてしまい、つい怪訝そうな表情が出てしまっていた。

 だが、相田は気にしていないのか。もしくは分かっていないのか。平然と宇垣の隣を歩いては、嬉しそうな表情を浮かべたままだった。


 2人は同じクラスなので、1年5組の教室へと向かう。場所は玄関の先にある廊下をずっとまっすぐ歩いたところにある教室。2人は教室へと向かって廊下を歩いて行くと、相田が1つ話題を持ちかける。


「そういや、昨日の『君と僕等はいた』のドラマ見た?」

「見てないよ。自分はあんまりドラマとかは興味ないからさ。そういう恋愛ものは特にね」

「でも、昨日のドラマはヒロイン役の宮越菜月が誰を愛せばいいのか葛藤する話でさ。めっちゃ切なかったんだよ!」


 またしても宮越菜月か。そう言わんばかりに宇垣は呆れた顔をしながら、またため息を吐く。友達の見てはいけない一面を見てしまった気分に宇垣は陥っていた。


「なら、その切ないってどういう感じなのか教えて欲しいな」

「切ないっていうのがどんな感じなのかをねぇ。なんとも難しい質問ときたもんだ」

「切ないという感情が分かる政なら、どういった感じなのか分かるかなと」


 相田は腕を組み、しかめっ面を浮かべて悩み始める。相田がすぐに言えない辺り、本当に難しいことなのだろうと宇垣は察する。


「うーん、なんていうか……心臓が小さくなったように締め付けられて、誰かに握られては遊ばれてる感じかな」

「……え? それ、ヤバイ病気なんじゃないの? 政、今からでも病院に行って診てもらった方がいいよ。特に頭をね」

「ちげーよ! 分からないかな? なんか、人を好きになるとさ。胸が張り裂けそうになるって感じのやつ」


 宇垣は腕を組んで考え始める。気難しい顔でしばらく考えた後、諦めたように口を開く。


「うーん、いまいち分かんないかな」

「なんで? 誰か好きになったことくらいあるだろ?」

「誰かを好きになったことは……その、ないわけじゃないけど」


 言いたくないのか、宇垣は言い淀んでは渋った表情を浮かべる。それに対して相田は、言い渋っている宇垣にその答えを急かしていく。


「けど、なんだよ」

「うーん、正直分かんないかな。自分の場合、好きになってもその人を愛せないから。恋人にはならないんだよね」

「つまり、友達以上恋人未満で現状維持するやつか。付き合っちゃえばいいのに」

「政みたいに、自分はお気楽には生きられないからね」

「お気楽で悪かったな!」


 相田を見て、少し羨ましいように優しく微笑む宇垣。それに対して、相田は宇垣に少しバカにされているような気がしていた。

 でも相田は、そんなお気楽な自分を恥じてはいない。考え無しではあっても、自分の気持ちにまっすぐに生きていくことは大事であると。相田はそう思っている。それだけに、相田はたとえ誰かにバカにされようとも、自分のそんな生き方を変えるつもりはないのであった。


「でも、本当に好きならやっぱ勢いも大事だと思うけどなー。あんま深く考えず、付き合ってみてから、また考えればいいのに」

「自分としては何も考えてない方が、あとで後悔すると思うけどね」

「だけど、好きな人に好きって伝えるのって一番素敵なことだと思わないか?」

「ん? なんかどこかで聞いたような言葉だね」

「だって、マンガのキャラクラーが言ってた言葉だからな。ロマンチックだろ?」


 自分ではなく、他人の言葉であることを堂々と言う相田を見て、宇垣は呆れてしまう。ましてや、自分が経験した上でそう思っている言葉ならまだしも、相田は他人が言った言葉をただそのまま言っているようにしか感じられない。


「薄っぺらいなぁ、政。そんなんじゃ、本当に好きな人ができても告白する時には失敗しちゃうね」

「そんなことないさ。受け売りだろうが、本気で告白すれば、実らない恋はないはず!」

「そして、その恋が脆くも崩れ去るわけか」

「いやいや、崩れないから!」


 そんな会話をしている内に、2人は自分の教室へと入る。黒板の上にある壁時計は8時10分を指していた。他のクラスメート達も半分ほど教室の中にいた。

 相田の机は窓際に近い一番後ろ側の席。宇垣の机は、教卓と教室の扉に近い前側の席。宇垣が自分の机にカバンを置くと、さっそく相田のそばまで来ては、相田の隣の机に腰かける。


「そういや気になったんだけど、政は彼女とか好きな人とか昔いたりしたの?」

「え、そうだなぁ……まずどこから話せばいいやら」

「自分の予想では、彼女がいなかったに50%で、好きな人はいたけど告白しなかったに50%賭けるね」

「彼女がいたということには1%も賭けてないのかよ」

「そりゃあね。いなさそうだから」

「はいはい。そうですか」


 とぼけて言う相田に対して、宇垣が冗談なくそう言った。相田は腕を組み、思い出すように目を閉じる。本気で話してくれるのだと思って、宇垣は相田の顔を見つめた。


「それで、結局どうなの?」

「俺が恋をしたのは、一昨年の6月。豪雨が降り続く中、俺は濡れている彼女を見つけたんだ」

「それで?」

「ちょうどタオルを持っていたから、拭いてあげたんだ。でもその時、彼女は弱っててさ……それでつい抱きしめたわけさ」

「え、そんな……あ、まさか」


 宇垣は相田の言っている彼女の“正体”に気付いた。それを無視するように、相田は話を続ける。


「でも、その時に感じたよ。こいつとは家族になれるって」

「なるほどね。つまり、その彼女は政の下僕になったわけか」

「下僕じゃない、あいつは家族なんだ! 今は愛すべき家族の1人なんだよ!」

「1人じゃなくて、1匹なんじゃないの?」

「あ、そうか」


 宇垣は自分の質問に対して、相田が自分のペットの猫のことを話し始めていたことに、なんとも言えない哀れさを感じてしまっていた。

 もしかしたら相田は、そういった恋愛のことを隠しているだけなのかもしれない。だが結局、彼女も好きな人さえもいなかったということを、相田は宇垣に対して言っているようなものであった。


「あんまり理解したくないけどね。動物というか、ペットをそこまで溺愛するなんて」

「でも、好きなんだ。あいつのこと、愛してるんだよ」

「あと、彼女じゃないよね。それにペットを好きになった対象にカウントしたらダメでしょ」

「べつに人が誰かを愛するのに、相手が人間だろうが性別だろうが関係ない。それこそ種族の違う生き物であったとしても、きっと分かり合って、愛し合えると俺は思ってるぜ」

「…………政」


 相田の言葉を聞いて、宇垣はぽかんとして相田を見つめる。そんな宇垣の様子を見て、相田はどうしたのかと疑問を抱く。


「どした?」

「そうだよ。政にしては珍しく良い事言ったじゃないか。さすがだ、政!」

「珍しく、褒めてるな」

「今後、政の名言は『ペットであろうが、愛さえあれば関係ないんだ!』と周りに広めることにするよ」

「それだと完全にヤバイやつじゃないか。そんなのが俺の名言として残すのはやめてくれ!」


 2人は笑いながら、会話に花を咲かせていく。楽しそうな雰囲気が外から見ても感じられる。

 その時、2人がいる場所に1人の女子生徒が近づいてきた。女子生徒が2人の目の前にくると、2人は会話をやめ、女子生徒に視線を向ける。


「おはよう、相田くん。宇垣くん。なんか楽しそうだね」

「あ、椎名しいなさん。お、おはよう」

「おはよう、椎名さん」


 女子生徒の名前は“椎名しいな 智華ちか”。相田と宇垣と同じ1年5組のクラスメートの1人。このクラスの副長という役職を担っている女子であり、可愛らしさ部門ではクラスの中でも1・2位を争うほど可愛いらしい女子である。背はやや低く、清楚で柔らかな雰囲気を醸し出している彼女が、何か用なのか2人のそばまで来ていた。


「相田くんって、創立祭の役員だったよね?」

「えっ!? あ、ああ。そういや、そうだったかも」

「さっき古部ふるべ先生がね、相田くんがいたら、後で職員室に来てほしいって言ってた」

「そ、そうなんだ。え、でもなんでこんな朝に?」

「分かんない。けど、なんか話したいことがあるって言ってたよ?」

「そうなんだ。わかった。ありがとう椎名さん」

「うん、そういうことだから。お願いね、相田くん」


 優しい雰囲気と可愛らしい容姿の椎名。相田は自然と顔を緩ませ、椎名が話かけてくれたことを嬉しそうにする。

 椎名が相田から宇垣に視線を向けると、やや緊張した表情を浮かべ、少し申し訳なさそうに宇垣に話しかける。


「それと、宇垣くん」

「うん?」

「えっと、その……ちょっと時間もらえるかな。あ、今じゃなくて、あとでいいんだけど」

「いいけど、何で?」

「クラスのことで話したいことがあるから」

「ああ、なるほどね。あの話か、分かったよ」

「そう。だから、またあとで来るね」

「うん、またあとでね」


 椎名はそう言って、2人の前から去って行く。椎名はどこか用事でもあるのか、カバンを持って教室から出て行ってしまった。


 宇垣はクラスの室長という役職を担い、椎名も副室長という役職を担っている。その関係もあって、2人はクラス関連のこと。生徒会のこと。担任の先生に言われたことなどで、色々と話したりする機会が多くあった。

 相田は、教室を去って行く椎名の姿が見えなくなるまで、ずっと目で追っていた。そんな様子の相田を見て、宇垣は勘づいてしまう。


「どうしたんだい政?」

「え、何が?」

「ずっと、椎名さんの方ばっかり見て」

「え、いや、何でもないよ」

「もしかして政、椎名さんのこと気になってるの?」

「そ、そそ、そんなわけないじゃないか!」


 動揺する相田を見て、宇垣は堪えきれず笑ってしまう。今の相田の様子を見れば、誰が見ても椎名智華のことを気にしていることは明白であった。


「ふふっ、動揺し過ぎなんだけど。ほんと、政は分かりやすいね」

「だから違うって! そういうのじゃないから」

「まぁいいさ。とりあえず、今は違うってことにしてあげるよ」

「だから! 俺はべつに」

「そんなことより政。早く行った方がいいんじゃないの?」

「あ? 何がだよ?」


 相田は宇垣が何のことを言っているのか分からないでいる。そんな様子を見て、宇垣は呆れた様子で答える。


「もう忘れたの? 職員室だよ。椎名さんからお願いされたことを無視するつもりかい?」

「ああ、そうだった。行ってくる!」

「うん。待ってるよ。また後でね」


 嬉しそうにしている宇垣を無視して、相田は駆け足で職員室へと向かった。




    ×     ×     ×     ×




「さて……と」


 相田が職員室へと教室を出ていったのを見ると、宇垣は自分の机に戻りイスに座る。

 宇垣の机の上に置かれたカバンの中から、文房具箱とノートを取り出していく。宇垣は自分の机のイスに座りながら、文房具箱から鉛筆を右手で持って、机の上に置かれたノートに文字を書いていく。


「どうしよう。どうしたら、いい?」


 ふと、宇垣は今後のことを考えながら、小さい声でそう呟いた。これからどうしていくべきか、未来を考えつつ、ひたすら文字を書いていく。文字を書いて、見つめる。見つめては苦しそうな表情を浮かべる。


「ダメだ。抑え切れそうにない。とりあえず落ち着こう」


 宇垣は書いていたノートの1枚のページを掴む。少し笑みを浮かべながら、楽しそうに文字が書かれたページを引きちぎる。

 引きちぎったページをくしゃくしゃに細かく破いていく。破かれた紙の残骸は机の中心に集め、机の上で山になっていく。それを見て、宇垣は小さく呟く。


「……そうか。まさかだったよ、政。しかも、椎名さんのこと」


 にんまりとした表情で、感情が黒く染まったような声。ぶつぶつと呟いては、考えこむ。


「うん、そうだね。じゃあ、これから」


 宇垣は、今後のことで考えが決まったのか、紙屑の山を右手で握る。

 強く握り、真剣な目つきで、なにか決意を固めたような表情を浮かべながら、宇垣は言った。


 決して人に聞こえることのないよう、小さく声に出した。



「私が殺し愛さないといけないね」

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