くろくも山のドラゴン退治

ジッパー

くろくも山のドラゴン退治

 昼過ぎから降り出した雨が、音を立てて木立の梢を叩いていた。

トルキオは歩を進めながら、忌々しげにどんよりと曇った空を睨みつけた。まったく、気分まで落ち込んできやがる。

「おれたち、本当にドラゴンに勝てると思うか?」

「うーん、まあ、なるようにしかならないんじゃないですかねえ」トルキオにそう訊ねられ、答えたのは、団の中では唯一教養のあるビルヒーツだった。彼はいつもの如く透明の片眼鏡の位置をくいっと直しながら、続けた。「それと、始まる前からそういうことをいうのはやめて頂きたいものですね。団の士気が落ちる」


「へ、ビル様が熱弁をふるってやがるぜ、皆聞いてやれ」

 マクペルソンがそう茶化すと、しけた笑いが団の五人の間に広がった。ビルヒーツがマクペルソンをきっと睨みつけ、何かいおうと口を開きかけた時、白痴のオロペサがあっと叫んで人差し指を突き立てた。オロペサの指差す先、木立に囲まれた切り立った岩場に洞穴がぽっかりと口を開けていた。


「あれ。あれ、じゃねかな。洞窟、ドラゴンの」

 皆が、いっせいにそちらを向いた。

「ほんとうだ」

「地図から見ても間違いないようですね」

 先頭を行くトルキオが立ち止まり、いった。

「よし、それなら、ここからはいつドラゴンに遭遇してもおかしくないわけだ。気を引き締めていこう」

 トルキオは髭に覆われた口元を拭い、背負っていた細身の剣を鞘から引き抜いた。刃が光り、表面に小雨がぽつりと落ちた。マクペルソン、ビルヒーツ、オロペサ、ヴェゲナーも、無言で各々の武器を手に取った。

 五人の顔には、いささかの疲れも浮かんでいた。

くろくも山に出没したというドラゴン退治の依頼を受けたトルキオたち《かぜの戦闘団》は、拠点としているグランゲーツからくろくも山までの長い道のりをろくな休憩もせず行軍してきたのだ。報酬_農民上がりの元貴族が所有していた土地をくれるとのことだった_につられて引き受けた仕事でもあったが、何より一帯の大地主からの依頼を断ることはかぜの戦闘団の面子にも関わる。最終的にいえば団長の決断したことだった。


 それにしても、とトルキオは剣の柄を握り締めながら思った。

このチーム構成は最悪なんてもんじゃない。いつもいがみ合っているビルヒーツとマクペルソンに、白痴のオルペソ、無愛想なヴェゲナーときたもんだ。団長は耄碌してしまったのだろうか。


「トルキオ」

「何だ?」

 クロスボウを抱えたヴェゲナーに話しかけられ、若干動揺しながらもトルキオはそう返した。

「ドラゴンを見たことがあるか」

「いや、おれはないな」

「前にいったっけか」ヴェゲナーはクロスボウに矢を番えた。「ここに入る以前、おれは名もない盗賊団にいた。略奪の帰りに、偶然出会ったんだ。」

「ドラゴンにか」

「ああ。名はセヴグリーフといって、水を飲みに湖に立ち寄ってたらしい。本当に、人間には手の届かない域にいる奴らなんだと、実感した。」

「どういう意味だ?」

「あらゆる意味で、ちっぽけな俺たち人間を凌駕していた。いかつい顔面は、こう告げているようだったぜ。《いくらお前たち人間が我らを殺して悦に浸ろうとも、そんなものは無意味だ。何故なら我らは、お前たちには思いも寄らないもっと深いところで、勝っているのだから。》て、具合にな」

 

 こんなに饒舌なヴェゲナーは初めて見た気がする。いつもは必要な時だけ一言二言ぼそぼそと口を開くような奴が、だ。やはりドラゴンを前にしていささか緊張しているのかもしれない。

 ヴェゲナーはそれっきり口をつぐんだ。やがて、洞穴の前に到着した。


「ふむ、中々深そうですね。」いいながら、ビルヒーツが中に入っていった。途端に、「うわっ」という叫び声があがった。

 四人はしばし唾を飲んで凝視したのち、互いに顔を見合わせて内部へと足を踏み入れた。









 最初に見えたのは、ランプの橙色の光だった。

それは広い洞穴の天井に規則的に吊り下げられており、炎がゆらゆらと燃えながら闇を照らしていた。続いて、腰を抜かしているビルヒーツが目に入った。彼の凝視する先には、蜥蜴のような姿をした生き物がちょこんと座り込んでいた。服こそ身に付けていたものの、その頭は人間とは似ても似つかなかった。尻からは長い尾がだらんと垂れ下がっており、先っちょは鎖で繋がれていた。

「うお、何だこいつは」

 マクペルソンが素っ頓狂な声をあげた。今ばかりは、ビルヒーツを馬鹿にしたりもしなかった。トルキオはそのをじっと見据えた。


「あ、あなた。誰なんだ」

 オロペサの疑問は団の全員の総意だった。蜥蜴のような生き物は、鱗に覆われた口を開いた。赤い舌がちろちろと見え隠れしていた。

「ヘッツェンベルム、と申すものです。いや、実際にはそうではないのですが、じきにそうなるのです。」

 蜥蜴_ヘッツェンベルムは意外にも紳士的な、落ち着いた口調でいった。

「……どういうことなんだ。おれたちゃあ、ドラゴンを訊ねてきたんだが、おい。聞いてんのかトカゲ野郎。」

 マクペルソンの剣幕に怯え、急き立てられるようにヘッツェンベルムが続けた。

「え、ええ。つまりですね、こういうことなのです。世論を動かすには、民衆を操るには、その時々にあった、都合の良いストーリーというものが必要なのでございます。要するに、かぜの戦闘団の精鋭たちが見事くろくも山のドラゴンを退治した、という事実が必要なのですよ。」

 ヘッツェンベルムは息つぎをした。

「その噂が流れることによって、民衆にも変化が及びます。当然かぜの戦闘団には連日依頼客が詰めかけるようになり、市場もよく回るようになります。そればかりでなく、没落を極める傭兵たちにも大きな打撃を与えることができます。」

「傭兵だと?」

 トルキオはいった。

最初は外見に慄いたものの、ヘッツェンベルムのいうことは中々筋が通っていたし、トルキオ自身もそれを認めていた。


「安価で小さな戦闘力を有する戦闘団の登場により、傭兵たちはその立場を失いつつあります。何せ、もう大軍団で戦をするような時代じゃありませんしね。戦闘外においても小回りの利く戦闘団こそ、今の時代に求められている戦力の形なのです。未だにその大部分が暇を持て余している傭兵の残党はこれで一掃され、戦力が均等に配分されるわけであります」


 五人はぽかんとしながらヘッツェンベルムの話を聞いていた。

まさかこんな話になろうとは、誰も予想だにしていなかった。


 ビルヒーツが震え声で訊ねる。「つまり最初からくろくも山のドラゴンなどいなかった、とうことなのか。依頼者の地主も団長もグルだったというのか!」

「そうです」ヘッツェンベルムはこともなげにいった。「まあ地主様が命を受けたのはそのまた上の領主様、ではありますが。それより、もうやることはわかっているはずです。あなたが、隊長さん_ですかな?」

 トルキオは頷いた。

がっくりと頭を垂れるビルヒーツ、ぶつくさ文句を呟くマクペルソン、慌てふためくオロペサ、いつもの仏頂面で佇むヴェゲナーの前を通り過ぎ、ヘッツェンベルムと対峙した。


「あなたは中々頭の切れそうな人ですね。しかし_」

 ヘッツェンベルムが低い声でいった。

トルキオはそれには答えず。無言で一太刀をヘッツェンベルムの首に振った。


 しゅ、という音が響き、ヘッツェンベルムの頭部が体から離れるその刹那、声が聞こえた。

「戦場ではそういう人から先に死ぬものですよ」


 







 民衆の前に晒すドラゴンの首_鱗人族の名もない死刑囚の首_を引っ提げて、五人はとぼとぼと帰路を辿っていた。最初の内は騙されたことに対する不満と怒りの声を爆発させていたマクペルソンも、しばらくすると黙りこくってしまった。ビルヒーツに至ってはプライドを大きく傷つけられたのか一言も口を聞かなかった。


「きっと、大いなる流れみたいなもんがあるんだよ」

 夕日に染まるくろくも山の山稜を背景に、ヴェゲナーがぽつりといった。皆黙っていた。

「それを生み出したのがドラゴンであろうと人間であろうと、あるいは神であろうと、一度流れ出してしまえばそれはもうもう誰にも止められない。逆らえない。そしておれたちか弱い人間は、それに対する術を、まだ、知らない」


「よく、わかんなかたけど、あ、あの人何もしてねのに、可哀想だたな。」

「ああ、そうだな」

 トルキオはオロペサに相槌を打ってやった。

結局、おれもその大いなる流れという奴に逆らえないひとりの人間でしかない、というわけなのか。トルキオは唇を噛み締め、わなわなと震えた。


「貴族様の土地は貰えんのかな」

 マクペルソンがぽつりといった。

彼を中心に、またしてもしけた、けれども温かみのこもった笑いが広がり、やがて消えた。





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