彼の選択

 初めて見た時、こんなに美しい人がいるのだろうかと思った。きらきらと輝きを纏い、そこにいるだけで周りを幸せにする、圧倒的なオーラ。

 最初は同性として仲良くなりたいと、単純にそう思った。これから友達として、上手くやっていければいいなぁと、漠然と願っていたはずだった。


 それなのに……。


 いつからだろう。

 彼女を欲しい、と思うようになった。

 その輝きを、幸せを、自分だけのものにしたいと。


 誰に対しても優しい彼女が、周りに打ち解けていく様子を見ているだけでちくちくと胸が痛んだ。自分以外の誰かに、その微笑みが向くことが、だんだん許せなくなった。

 そんな彼女が……そしてそんな彼女を当たり前のように受け入れる周りが、憎らしくてならなくなった。


 そうなったらもう、あなたを強制的にでも、従わせるしかないよね?


 あなたは永遠に、瑠璃のもの。

 瑠璃だけの、天使でいなければダメなんだよ。


 そうでしょう、佳月。


    ◆◆◆


「佳月に、何をした?」

 がくがくと、瑠璃は震えていた。

 それだけは知られるまいと、思っていたのだろうか。

 長い、沈黙のあと。ルージュの塗られていない、乾燥した唇が、荒い息とともにようやく言葉を紡ぐ。

「……何を、言っているの?」

 佳月は、大事なお友達だもの。何もするわけないじゃん。

 この期に及んでなおも逃げようとする瑠璃に、亮太は一歩近づく。アルバムにそっと添えられた、痩せこけた青白い手を、ぱしりと掴んだ。

「っ!」

「佳月が、嘘を吐くわけない……ましてや、何の理由もなく死ぬなんて」

 お前・・が、全てを知っている。はずだ。

「お前が、佳月を殺したんだろう? ……言え」

 わざと瑠璃の近くで、情事の時のように甘く囁く。びくりと、瑠璃の細い肩が震えた。

「あたしは、」

「……言えって。早く」

 ずっと目の前にいたのに、今までどうして気が付かなかったのだろう。

 この女が――佳月の友人を騙った、二階堂瑠璃というこの悪魔が、亮太にとって誰より大事だった姉を奪ったのだ。

 なおも口を割らない瑠璃に痺れを切らし、亮太はなおも言葉を続ける。

「お前の目的は何だったんだ? 嫉妬か。好きな男でも取られたか……もちろん、優しかった佳月がそんなことするはずないんだし、大方お前の逆恨みとでも言ったところか」

「違う……」

「何だ、はっきり言え!」

 思わず声を荒げる亮太の言葉に反応し、瑠璃はゆらりと顔を上げた。ぎらぎらと光る瞳は一見、単純に闘志を燃やしているかのように見えるが、少し違う。逃がしたくない獲物を目にしているかのようだ、と言った方がしっくりくるだろう。

「……あの子が、悪いのよ」

 やがてその目を向けたまま、乾いた唇から零れたのは、低く地を這うような声。目を細めた亮太は、彼女の言葉を――彼女が犯した罪の全てを、聞き逃すまいと耳をそばだてた。

 ……が、すぐに亮太は自身の決断を後悔することになった。

「あの子は……佳月は、あたしの・・・・ことだけ・・・・見ていればよかったの」

 その告白が、冒頭からあまりに予想外だったから。

「佳月はね、出会った時からあたしだけのものでなきゃいけなかった。あたしにだけその清らな笑顔を向けて、あたしのためにだけその美しい、鳥のさえずりのような声を聞かせてくれれば、それでよかったの」

 この女は、いったい何を言っているのだろう?

 亮太には、今目の前にいる女が――これまで恋人として付き合ってきたはずの、佳月の友人だと・・・・名乗った・・・・その女が、自分の知っている彼女ではないような気がしていた。

 そんな亮太の戸惑いも振り切るように、瑠璃は続ける。

「でもね、佳月の周りにはおのずと人が寄ってきてね。あたし以外の人間とも、あの子は平気でおしゃべりをするし、あたしと一緒にいる時にも、あたしの気持ちなんてお構いなしで、別の人間の話をする。そんなの、許されるはずないじゃない?」

 最初はあんなにも話すことを拒否していたのに、一度話し始めたら止まらなくなったのだろうか。微笑さえ浮かべながら、時折うっとりと目を細め、過去を懐かしんでいるかのような顔をしていた。

「だから……あたしは別に変わったことは何もしてないのよ? 本当に。ただ、他の人間が佳月に近寄らないように、佳月の目にあたしだけが入るように、ちょこっと仕組んだだけ。間違った・・・・歯車を・・・正した・・・だけのこと」

 罪悪感なんて、微塵もないとでも言うように。まるでそれが、至極当然のことだったとでも言うように。

「簡単なことだわ。佳月が嫌われるように、根回しをしただけ。あんな汚い噂話、清らな佳月には本来、似あわないものだったけど……仕方ないわよね。佳月の美しさは、あたしだけが知ってればいいんだもの」

 うふふ、と時折笑みを零す。

「そうして、佳月はあたしに縋っていく。あたしとだけ時間を過ごし、あたしのことだけを見る。あたしの存在を刻み付けなきゃいけないから、時々手荒なこともしたけどね。鳴き声も、うっとりするくらい美しくてね……」

 悪びれることなく恍惚と話を続ける瑠璃に、亮太の怒りは増幅していく。

 そんな、身勝手な理由で。それだけで、何故佳月は汚されなければいけなかったのか。

 何故、死ななければいけなかったのか。

「……けど結局、あの子は死と引き換えにしてまで、あたしから逃げようとした」

 幸せそうに笑っていたと思ったら、突然目を伏せた。

「でもそんなの許さないわ」

 と思えば、また笑いだす。

 瑠璃の身体を蝕んだという、薬の効果はまだ切れていないのだろうか。先ほどから感情の起伏が激しい。情緒不安定とでも言ったところか。

「だってそうじゃない。佳月はあたしのものなの。ずっと前から、そしてこれからも一生、あたしだけのものでなくちゃいけないの」

 今までどこか別の方向を見ていたと思った視線が、ここでようやく亮太に絡んだ。

「あなたを初めて見かけた時、運命だと思ったわ」

 怯む亮太とばっちり目を合わせ、瑠璃はにやりと笑う。

「だって、あんなに恋焦がれた佳月に、よく似ていた。美しくて、輝いていて……佳月と同じオーラを纏っていた。今度こそ、手に入れなくちゃって、そう思った」

 初めて会った日のことを思い出す。

 気さくに話しかけてきたと思うと、佳月に似ているねと、にこやかに笑ってくれた女性。

「だからあなたに近づいた」

 七回忌を迎えてもなお、心の整理がつきづらくあった亮太のデリケートな部分に、彼女はうまく入り込んできた。無邪気さと年相応の落ち着きを同居させた、愛される性格を作りこんで。亮太にとって最愛の姉だった、佳月本人を思わせるような言動を繰り返して。

 そうしてまんまと、亮太の心を掴んだのだ。

 客観的に見て、改めて自分が恥ずかしくなった。

 相手が、どす黒い感情を心の内に秘めていたとも知らないで。

「宮代の家に取り入れば……佳月と血を分けた、あなたの間に子供を成せば、必然的にその子供はあたしの、そして佳月の・・・血縁者になる」

 今度こそ、佳月とひとつになれるの。こんなに幸せなことがあるかしら?

 蛇のようにねっとりとした流し目に、亮太はぞくりとする。

 瑠璃が最近、執拗に性行為を求めてくる理由。避妊を拒否する理由。

 そして……佳月の十三回忌だったあの日に実家で告げられた、『逃がさない』という言葉の呪詛。

 それは、亮太に向けられたもののようであったが、本当は違った。

 本当に、瑠璃が逃がしたくなかった相手は……。

「お前が愛していたのは……本当に手に入れたかったのは。佳月だったんだな」

「何を今更」

 もう、とっくに分かりきったことでしょう?

 嘲るように瑠璃は笑う。もう、完全に開き直った様子だ。

「だから亮ちゃん、あなたも逃げることはできないの」

 瑠璃は妖しく笑い、亮太の首に両腕を回す。耳の辺りで感じる生暖かい息が、ただひたすらに気持ち悪くて仕方ない。これまで瑠璃に同じことをされても、一度もそうなったことはなかったのに、一気にぶわっと鳥肌が立つのを感じた。

「触るなっ」

 反射的に、勢いよく押し返す。びくり、と身体を震わせた瑠璃に、亮太は今度こそ感情を抑えきれず叫んだ。

「ここまで知って、俺が都合よくお前のものになるとでも? 佳月さえも望んでないことを、わざわざ俺がするわけないだろ!!」

 ぎろり、と姉の仇を睨む。佳月の姿を重ねたのだろうか、瑠璃の表情がどんどん強張ってきた。

「いや、佳月……離れていかないで」

 瑠璃が縋るような猫なで声を出す。もう、彼女は亮太自身を見ていない。亮太に、佳月の面影を重ねて見ているだけだ。

 分かっているからこそ、胸が痛む。そして今更、そんな感情を呼び起こす自分自身を、亮太は疎ましく思った。

「いや、いやだよ。あなたはあたしのものでしょう。もう、二度と離れていかないでしょう。ねぇ、佳月、かづ……」

「俺は……いや、」

 分かっているからこそ、亮太は敢えて最後の言葉を告げる。

 血の繋がった姉弟なのだ、少し声のトーンを変えれば簡単だった。


わたし・・・は、あなたの所有物ものじゃないよ。瑠璃ちゃん・・・・・


 生前の佳月に、怖いほどそっくりな。

 その声で、そして一言で、瑠璃の心を完全に砕くのは簡単だった。

「いや……いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 耳障りな叫び声、そしてドタンバタンと騒々しい物音が背後から聞こえるが、亮太は気にすることなく病室を出る。佳月の形見であるアルバムはしっかり回収済みだ。あんな女に、易々と奪われてはかなわない。

「待って! あなたは、瑠璃を見捨てるの!?」

 廊下で娘の異変に気付いたのか、追いすがってきた範子に、亮太はただ、無感情に言い放った。

「あなたは、大切な人を失ったことがありますか」

「え……?」

 ぽかんとする範子に、

「俺は過去に、たった一人の大切な存在を失った。彼女にはその、報いを受けてもらう。ただそれだけです」

 突き放す言葉を掛けて。

「それでは、失礼します」

 もう、ここに来ることはありません――……最後に、事務的な表情と声でそう告げる。

 何やら焦った様子の看護師がばたばたと走り回り、いきなり騒がしくなった病棟の廊下を、亮太は他人事のように静かな足取りで歩いて行った。

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