執着にも似た

「禁断症状が出ていますね」

「禁断、症状……?」

 瑠璃の母親・二階堂範子のりこは、病院で医者から告げられた、普通なら耳にするはずのない縁遠い言葉に、目を丸くした。

 勤務先の銀行から『瑠璃が倒れた』と連絡があったのが、夕刻前のこと。足や腕などに軽い怪我をしていたらしく、その治療もかねて入院することになったというのだが、まさか……。

「実は、娘さんの……瑠璃さんの体内から、薬物反応が出まして」

「薬、物……といいますと」

「まぁ、いわゆる麻薬……というのとはちょっと違うかもしれませんが。最近何か、瑠璃さんに変わったことなどはありませんでしたか」

「そういえば……」

 範子がふと、思い出したことを口にする。

「最近、先輩の方に薦められたって、ハーブティーをよく飲んでいました」

 医者はあぁ、と納得したようにうなずく。すぐに、一つの可能性へと思い当たったようだった。

 一方の範子は、「そうだ、あの時も……」などとまだまだ何かを思い出しているようだった。思い当たる節が、続々と出てくる。

「思えばあの子、明らかに様子が変だった……夜は毎日のようにうなされていたり、起きている時にも時折、あそこに黒い布が見えるだとか。真っ赤なものにも、やたら敏感に反応してた。律子たちのことで最近バタバタしてたから、心労が溜まっていたのかしら……亮太くんにも、向こうの都合とか関係なく頻繁に会いたがって家を空けてるし……そうだ、亮太くんにも心当たりがないか、聞いてみた方がいいかも……」

「……お母さん?」

「あっ、はい」

「大丈夫ですか」

「えぇ……すみません。考えてみれば、あの子酷く様子が変だったなぁと、いろいろ思い出してしまいまして」

 気づくのが遅いですよね、と範子は後悔に顔を歪める。励ますべく、ゆるりと医者は首を横に振った。

「そういう、あとから思い出すことというのはよくありますし……瑠璃さんも、もしかしたら隠したがっていたのかもしれません」

「どういう……」

「実は、脱法ハーブというのが最近出回っているらしくて。いわゆる法の規制をうまいこと逃れた、麻薬のようなものなんですが……その辺にある紅茶専門店などで、従来の紅茶やハーブティーに紛れさせて、こっそり売っている輩がいるらしいんですよ」

「では、娘はそれを」

「そうですね……貰ったものを知らずに摂取してしまって、いつしか中毒になった可能性があります」

 娘が、麻薬中毒に。

 その事実が、範子の胸を深く貫く。

「今回瑠璃さんの体内から発見された薬物の成分は、かなり強い幻覚作用のある種類のようで……それに瑠璃さんの場合、摂取量と精神状態が従来に比べてかなり異常なんですよ。完全に身体から抜くには、少し時間がかかるかと。ですから怪我の治療が終わったら、精神科の方にしばらく入院して頂くことになるんですが……よろしいでしょうか」

「わかり、ました」

 呆然とうなずいた範子に、医者は「これから大変になるかと思われますが」と少々同情的な視線を向けた。


    ◆◆◆


 母親から、あの話を聞いたあとだからだろうか。何となく忍海と顔を合わせると、気まずいような気がして、亮太はつい顔を背けてしまった。

「どうしたんだよ、宮代」

 いつもの居酒屋で、いつものように隣り合わせで飲む。忍海はいつもと変わらない調子だが、雰囲気はどことなく……何というか、非常に説明がしにくいのだが、あえて言うならいつもより艶やかな感じがした。

 妙な、フェロモンとでもいうべきか。

 同性にこのようなことを思うのも、至極不思議なものだが。

「あのさ、忍海」

「何?」

「変なこと聞くかもしれないけどさ……その、何か最近変わったこととか、あった?」

 本当は、香澄との関係について直接聞いてみたかった。何故二人でいきなり、亮太の実家を訪ねたのかということも。

 けれど亮太にそこまでの度胸もなければ、彼女との関係に突っ込む権利もない。香澄は亮太にとって本来、ただの顔見知り程度の存在であり、恋人でもなんでもないのだから。

「ん? やっぱ分かる?」

 対する忍海は、やけに上機嫌だ。お気に入りの日本酒を片手に、呑気に鼻歌など歌っている。

 基本的に、忍海は分かりやすい。そういえば昔――もう十年以上も前、小学校高学年くらいの頃にまでさかのぼるが、確か忍海は初めての彼女ができたと報告してくる前も、同じような調子だった。

 浮足立ったような、らしくもなくふわふわとしたハイテンション。

 ――初々しいカップルねぇ、うらやましかったわぁ。

 過ぎる母親の台詞と、ひらりと視界の端で揺れる黒い布の幻覚が、亮太の心に影を落とす。

 じわじわと醜い何かが心を侵食していくのを、確かに感じながら、努めていつも通りに振る舞おうと亮太は軽く問いかけた。

「また、なんかいいスクープ見つけたとかか?」

「んー……それもある、かな」

 いつもならここで『そうなんだよ、実はさ……』と核心にまでは触れなくても何かしらスクープを掴んでいることを話してくれるのに、今日はなんだか歯切れが悪い。

「何だよ、珍しくケチくさいな」

「どうとでも言え。今は、まだ秘密」

 やっぱり、そう意味ありげに笑うだけで、忍海はそれ以上口を割ろうとしなかった。

「俺のことは別にいいじゃんか。それよりさ」

 それどころか、こうやってしれっと話を変えてくる。

 忍海の話術は独特で、長年の付き合いである亮太さえ何度ものらりくらりとかわされてきた。今回も、その例に漏れないようだ。

 まんまと乗せられることが悔しいとは思いつつも、まぁいずれ分かることか、と亮太は自分に言い聞かせた。

「何だよ」

「瑠璃ちゃんの様子はどうよ? なんか、倒れて入院したとか聞いたけど」

「あぁ……」

 毎度のこと、どこから話題を仕入れてきているのかは知らないが、さすが忍海は情報通だ。

「何か、詳しくは聞かされてないんだけどさ……ちょっと、精神の方が参ってるんだと。何でも最近親戚に訃報があって、それでいろいろバタバタしてたらしいし……思えば最近様子おかしかったから、心労が溜まってたのかもな」

「ふぅん……大変だな」

 言いながら、忍海は酒を煽る。

「まぁ、瑠璃ちゃんにしてみればお前って心の支えみたいなもんだろ? ちゃんとケアしてやれよ。精神参ってるならなおさらさ」

「まぁ、そうなんだけどさ……」

 どうにも気が進まない、と言ったら怒られるだろうか。

 本音を言うと、あまり見舞いに行く気はしない。仕事が終われば真っ直ぐ帰りたいというのが本音だ。しかし瑠璃がことあるごとに逢いたいと病室で騒いでいるらしいので、瑠璃の母親である範子に懇願され仕方なく毎日通っている。

 何より困るのが、痩せた身体に点滴まで欠かせないというのに、それでもなお、以前のように会うたび毎回身体を求めようとしてくるところだ。

 それでも、治療中の瑠璃の身体に負担を掛けるわけにはいかない。なので、退院までは疑似で互いに我慢するという約束を取り付けて、何とかごまかしている。

 病室でそういう雰囲気を作ること自体、後ろめたくはあるけれど。

 思わずため息が漏れる。

 鋭い忍海は当然、そんな亮太の様子に何かを感じただろうが、何も言わずただ隣でいつものようにグラスを傾けていた。

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