3.失望

届かない願い

――カーネーション(黄)の花言葉:失望、拒絶、軽蔑


 エアコンの効いた事務所とは裏腹に、外はうだるような暑さ。アスファルトから立ち上る陽炎が、気温の高さを物語っている。

 窓の近くの壁に凭れかかり、外の景色に目をやっていた八神は、そのまま縁に置かれた植木鉢に視線を移した。

 燃えるように真っ赤なシクラメンは、自らの炎で燃え尽くされたかのように、無残に枯れ果てていった。

 その姿に、かつてTVワカツキの華と呼ばれた、美しい女子アナウンサーを重ねる。女子アナの世界は華やか極まりないが、キー局ではない地方局であれほどまでに目立っていたのは彼女くらいだろう。

 特別心惹かれる相手だったというわけではない。ただ、男の純粋な本能として、目の保養になるとはずっと思っていたし、テレビをつけた時に顔を見るのが少し楽しみですらあった。

 常々レギュラー出演していた番組にチャンネルを合わせても、もうその姿はなく……今後も二度と見かけることはないのだと思うと、心に小さな隙間風が吹いたような心地がしてしまう。

 けれどそれはもう、過去の話だ。

 いるだけでその場が華やぐほど美しかったあの女性は、哀れにも弱みに付け込まれ、張り巡らされた策略にはまり、実の妹にさえ裏切られ……何もかもを失い、自ら命を絶った。

 理由も事情もよく知っているので同情はしないが、少しだけ、本当に少しだけ、憐れみを感じる。

 何とも言えない気持ちで時計を見れば、そろそろ彼女が訪ねてくるであろう時間だった。また新しい花を持ってくるだろうから、花瓶を洗って綺麗にしておかないと。

『――まだ、終わらないわ』

 溜息とともに、どこか色っぽさを秘めた声で告げられた言葉。

 感傷に浸ってばかりもいられない。そんなことをもし口に出してしまえば、普段は淡々としている彼女も、間違いなく感情をあらわにして怒るだろう。

『あの日の屈辱を、悔しさを、忘れたというの?』

 ……まぁ、そんな具合に。

 そのたび八神の脳裏にフラッシュバックするのは、かつて親友と呼んだ相手の、変わり果てた姿。そして……昔から妹のように可愛がってきた少女の、傷ついた悲しい表情。

「シズル」

 ポツリと、その名を呟く。

 『彼』は、見ているのだろうか。かつて自分の命を奪った男が、かつて自分の恋人だった女が、誰より可愛がっていた少女の手によって転落し……やがて命を落としていった、その様子を。

「俺は……」

 どうすることが正しいのか。

 全身に漆黒を纏い、腐臭を漂わせることで、復讐という荒波にその身を捧げる道を選んだ彼女を――このまま、終わりの時まで見守るべきなのか。

 それとも、彼女の意思に反することであっても、止めるべきなのか。

 きっと正しいのは、本当に彼女のためになるのは、後者なのだろう。きっと『彼』だって、そう望んでいるはずだ。

 けれど……。

「俺だって、悔しいんだよ。シズル」

 お前が突然、この世からいなくなってしまったことが。理不尽に、その命を奪われることになってしまったことが。

「だから、」

 どうかこのまま、進ませてはくれないだろうか。

 彼女が大義を果たすその瞬間まで、傍にいさせてくれないだろうか。彼女の行く末を、見守らせてくれないだろうか。

「ごめんな、シズル」

 かつての親友に、届かない謝罪の言葉を述べる。

 その直後にちょうど外から、コロリン、と事務所のベルが鳴る軽やかな音がした。視線を向ければ、カチャリとドアが開いて、ふわりとしたデザインの黒いワンピースを着た女が入ってくる。

「ごきげんよう、瞬さん」

 真っ白な肌に汗一つ浮かべることなく、顔全体でにっこりと、今日も彼女は花咲くように笑う。

 その腕には、次のターゲットを模した花が――黄色のカーネーションが二輪、鮮やかに咲き誇っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る