花屋での一コマ

 夏休みも中盤に差し掛かり、季節はいよいよ夏本番。

 そんな八月のある昼下がり、商店街の一角にある花屋・フラワーショップ吉村では……。

「ごきげんよう」

「香澄さん、いつもありがとうございます」

 常連客である、黒いワンピースの女性を見つけると、花屋の女主人は嬉しそうに笑みを作った。

 以前は地味と評価されることの多かった外見は、今ではパッと華やかになり、姉ほど派手ではないものの薄化粧が施されている。何より表情が、以前よりずっと活き活きとしているのが印象的だ。

「いつ来ても忙しそうね」

「えぇ。以前からは考えられないほど、繁盛しているの」

 香澄の指摘通り、毎日――特に休日の昼間などは、客が並んで待っていることも珍しくない。この日も美織は多くの人間を相手に、新鮮な花と明るい笑顔を振りまいていた。

 皮肉なことだが、あの一件は花屋の宣伝効果になったのだろう。

 夏休みとはいえ、お盆までにはまだ日がある。社会人は仕事をしている頃だし、家事に忙しい主婦層もこの時間に来ることは少ないので、客足はそろそろ途絶えだす頃だ。

「少し落ち着いてきたでしょう。休憩に行ってきたら?」

「そうね、そうしようかな」

 エプロンを外すのを見計らい、店番をしようと香澄は手を伸ばす。しかし気づいた彼女が、小さく首を横に振ることでそれを咎めた。

「店番は大丈夫。香澄さんも一緒に、奥でお話しましょう」

「あら?」

 大丈夫なの、と香澄が不思議そうに首を傾げると、ほぼ同時に奥から男性らしき影がふらりと姿を現した。

 まず目についたのは、キラキラと眩しい色をした髪。

「ちょうどいいところに来てくれたわ。わたし休憩に行きたいから、しばらくお店の方お願いできるかしら」

「分かりました、店長」

「この方は?」

「忙しくなってきたから、新しくバイトを雇ったの」

 その説明に、香澄は興味深げに「ふぅん」とうなずいた。

 男性は香澄の顔を見て一瞬小さく目を見開いたものの、すぐに人の好い笑みを作って

「店長のお友達ですか。初めまして」

 香澄に向かって、行儀よく腰を折ってみせた。


「さっきのバイトさん……」

「綺麗な人でしょう?」

 奥の部屋に案内され、一足先に腰を下ろした香澄の前に、淹れたてのお茶が出される。

「ちょうど店のすぐ近くで、倒れていらしたのよ。多分、もとは高級なスーツか何かじゃないかしらと思うんだけど、ひどくボロボロになった服を着ていて……それまでは、ホームレス生活でもしていらしたんでしょうね。行く場所がないというから、住み込みで働いてもらうことにしたの」

「それは、いいことをなさったわね」

「そんなことないわよ」

 香澄の言葉に照れたように、ふふ、と笑みを零す。その姿は、まるで綻ぶ寸前の蕾のよう。

「あの人のおかげで、女性客も増えたし」

「男性客も増えてるでしょう」

「どうして?」

「あなたを目当てに、よ」

 香澄の悪戯っぽい目つきに、彼女は一瞬目を丸くして……やがて再び、ふふふ、と花開くような笑みを浮かべた。

「どうせ、珍しいもの見たさでしょう? ずいぶんと話題になったから」

「あなたが花より綺麗だから、みんな見に来られるんだわ」

「おだてたって何も出やしないわよ、香澄さん」

 話しながら、彼女はお茶をもう一つテーブルに置く。そうして、自分も香澄の向かい側に腰を下ろした。

「そういえば先日、店に忍海さんって方がいらしたわ」

「忍海……」

「あの件を取り沙汰した、雑誌の記者さんらしいんだけど」

 彼女の口から出た名前に、香澄が表情を曇らせる。

 確か吉村紗織の不倫スクープを取り上げた雑誌の記者で、発端となる記事を書いた張本人だったはずだ。

 ちなみにその男、どこで知り合ったのかは知らないが――少なくとも、香澄の範疇外だった――佐川の娘である帆波と、いつの間にやら接触していたらしい。まぁ、香澄としてはそのおかげでいくらか助かったところもあるのだけれど。

 それにしても……。

「香澄さん、気を付けた方がよろしいんじゃなくて?」

 わたしは下手なことを喋ったつもりもないし、大丈夫だとは思うけど。

「のんべんだらりとしてそうな男だったけど……ゴシップ記者なんて職業に就いてるだけあって、意外と勘が鋭いわよ」

「……分かっているわ」

 彼女の忠告に、香澄はスッと瞳を細める。

 その辺りのことは、すでに察している。副島の葬式に現れた時も、あの男は妙に不自然な動きをしていた。マークしておいた方がいいんじゃないかと、当時の『協力者』にも言われた。

 しかし、あの男は……。

「あれは後々、駒として必要になる男なの」

 だから、急にどうこうするつもりなんてない。たとえ、自分の計画・・を邪魔する存在であったとしても、だ。

「……そう」

 まぁ、香澄さんがそれでいいというのなら。

 以前とは比べ物にならない、堂々とした華やかな様子で、彼女は笑った。


「――ちょっと、」

 香澄と彼女が世間話をしていると、奥から声が聞こえてきた。

 寝たきりになっているという噂の、母親だろう。すかさず彼女が「はぁい」と反応する。

「どこにいるんだい。早く来ておくれでないか」

「ここよ、今行くわ。母さん」

「早く来ておくれよ、あたしゃ喉が渇いたんだ。ねぇ、早く来ておくれ――紗織」

 香澄がピクリ、と眉を動かす。

 その反応さえ予想済というように、立ち上がった彼女はおっとりと言った。

「わたしのことを、姉さん・・・だと勘違いしているのよ。あの人は……」

 全く、しようのない人だわ。

 最後に言い残し、「はいはい、今お水をあげるからね」と大きな声を出しながら奥へ消えていく。そんな彼女の背中を見送りながら、香澄は険しい表情を浮かべていた。

「……さすが姉妹ね」

 呟く声は、一人きりの居間に低く溶けた。

「よく似ているものだわ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る