メディアに咲く気高い華

「副島商事、後継者争いで今大変なんだって?」

 事務所でパソコンのキーボードを打ちながら仕事をしていると、所長の保阪が話しかけてきた。手を止めた亮太は、眉を下げて困ったように笑う。

「そうですねぇ。正直もう、税務調査とかやってる場合じゃないです。電話掛けたって、今や誰も取り合ってくれないんですもん」

 保阪の言う通り、社長の副島が亡くなって以来、副島商事では半ば内部紛争のようなものが起きていた。後継者を誰にするかで、名乗りを上げた専務と常務を筆頭に、社内全体が揉めに揉めているらしい。

「今や、経営だって誰も見ちゃいませんからね」

「仁科さん辞めたんだってなぁ。連絡取れないのかね?」

「駄目みたいですよ。俺だって携帯に何回もかけましたけど繋がらないし、アパートも引き払っちゃったみたいで。今頃どこで何をしているのやら……」

「すっかり見捨てた形になったわけだ。そりゃ、まとまらないはずだわ」

「うちも見切りつけて、さっさと契約解除した方がいいんじゃないですか。あの状況じゃ正直、税理士なんていたって仕方ないですよ」

「そうだなぁ……このまま待ってたって、向こうから解約通知は来なさそうだしな。ってかそもそも忘れてそう。もう、こっちから切る準備しとくか」

「書類を送ったところで読んでもらえるかどうか、疑問ですけどね」

「そうだな。こんなことなら、社長が亡くなった時点で先方に解約通知送っとけばよかった……」

 はぁ、とめんどくさそうに溜息を吐く保阪。いつも穏やかな人なのに、珍しく波風が立っているらしい。

 大変なことに巻き込まれてるなぁ、とぼんやり思いながら、亮太は事務所に置いてあったテレビへ何気なく視線をやった。

『では、次のニュースです』

 画面の向こうでニュースを読み上げる女性アナウンサーは、非常に整った顔立ちをしている。化粧がそれなりに濃いため、映えるのは当然かもしれないが、きっとそもそもの目鼻立ちがくっきりしているのだろう。

 ――吉村紗織。

 彼女はこのあたりの地方局であるTVワカツキの花形アナウンサーで、近頃はキー局へ出演する機会もちらほらあるという。

 商店街の一角にある花屋が実家で、現在そこを切り盛りしているのは妹らしいが、毎日店頭に立っているにもかかわらずその印象は非常に薄い。前に香澄と会った時、彼女が一度話していたが、名前は何といっただろう。確か、姉と一文字違いだったはずだから……あぁ、そうそう。美織だ。しかしいかんせん地味な印象なので、顔は出てこない。

 姉は誰もが羨む花形アナウンサー。一方の妹は、すぐに存在を忘れ去られるような花屋の娘。同じ姉妹でも、随分違うものだと亮太はほとんど他人事のように思う。

 亮太にも、姉が一人いた。今ではもう顔を合わせることもなければ、連絡を取ることも一切なくなってしまったのだが。

 ……まぁ、そんな話は今思い出すことではない。

「美人だよなぁ、吉村紗織」

 保阪が憂鬱を振り切るかのように、口を開いた。

「あぁいう華やかな人が奥さんだと、羨ましいよな」

「何言ってんですか」

 苦笑いを浮かべ、亮太は保阪を見る。

「保阪さんだって、奥さんいるでしょ。それもとびきり気立ての良い」

「ふふん、分かってるじゃないか」

 やっぱ吉村紗織よりうちのカミさんだよ、といつものように惚気が始まったところで、亮太はテレビから意識を離した。保阪の自慢を聞くともなしに聞きながら、再びパソコンと向き直る。

 話すだけ話して満足したらしい保阪が「じゃあ俺も仕事戻るかね」と言ってフラリと亮太の傍を離れるまで、およそ三十分ほどその状態が続いた。

 いつもの、保阪税理士事務所の光景である。


    ◆◆◆


 営業スマイルとともにカメラ目線を決めたところで、カットの声が掛かる。背筋に張っていた緊張の糸が、ふっと解けた。

 昨日から今日の昼下がりにかけて、旅番組の進行役としての仕事をこなし、その後はTVワカツキのスタジオに戻り、現在レギュラー出演しているニュース番組の生放送を撮る。これで、今日の仕事は終わりだ。

「お疲れ様でした」

 ディレクターの挨拶に会釈を返しながら、吉村紗織はスタジオを出ると、テレビ局の廊下を颯爽と歩いて行く。

「吉村さん、今日は機嫌いいですね」

 一緒にニュースを読んでいた男性アナウンサーが話しかけてくる。実際その通りだった紗織は嫌な顔一つせず、にこやかに答えた。

「えー、そうですか? いつも通りですよぉ」

「そうかなぁ。何か楽しみなことでもあるんじゃないの?」

「実は明日、オフなんです。それでちょっと気抜けちゃって、つい顔に出ちゃったのかしら」

「もしかしてデート?」

「ふふっ」

 肯定とも否定ともつかぬ笑みを一つ浮かべ、紗織は「じゃ、お疲れ様でした」と男性アナウンサーを颯爽と抜き去っていく。地元ではTVワカツキの華と呼ばれる、もはやアイドル並の人気とオーラを放つ彼女はいつも、こんな感じだ。

 もともと目立つことが好きで、自分が表舞台に出ることに向いていると昔から知っていた紗織は、それゆえに自分を魅力的にプロデュースする術を熟知していた。

 そんな彼女にとって、アナウンサーという仕事はまさに天職だ。

「あたしほどの女なら、アイドルっていう道でも全然よかったんだけど」

 現に妹にも、同じようなことを言われたことがある。

 しかし紗織にとっては、歌って踊るアイドルより、ニュースを読んだり他の芸能人たちと関わったりするアナウンサーの方が、より己の知的さと万能さを売りにできると思ったのだ。

 それもこれも、自分という人間を魅力的に映すための、飾り。

 自分が表舞台でどれだけ輝けるか、その点で未来は決まってくるのだ。

「あ、紗織ちゃん」

 付き合いの長いディレクターが声を掛けてくる。紗織はいつものように――否、いつも以上ににこやかに振り向いた。

「お疲れ様です」

「いやぁ、今日も良かったねぇ。紗織ちゃんのおかげで、TVワカツキは今日も華やいでるよ」

「ホントですかぁ? ありがとうございます」

 うふふ、とトレードマークの笑みを浮かべてみせれば、ディレクターはへにゃりと情けなく破顔した。男なんて、実際こんな風に至極単純なものだ。

「今日はもう終わり?」

「はい」

「じゃあこれからちょっと、食事でもどう?」

「ごめんなさい、今日はこれから予定があるんです」

 くい、と手で猪口を傾ける、よくオッサンがやるような仕草で誘ってくるのを、申し訳なさそうに手を合わせて断った。こてん、と首を可愛らしく傾げてみせれば、だいたいは許されるというものだ。

「そっか、残念だな」

 ほら、あっさり引き下がった。

 TVワカツキの華と呼ばれる紗織には、当然のようにモーションを掛けてくる相手も多い。その度にのらりくらりとかわすのは、もちろん自分に釣り合わないような取るに足らない相手ばかりだというのもある。

「じゃあ、お疲れ様でした」

「お疲れさん」

 先ほどのディレクターも合わせ、声を掛けてきた数人の関係者との会話を次々と終え、時折挟まれる誘いも上手く断り、紗織はアナウンス部の自分のデスクへ戻った。

 残っている社員たちと「お疲れ」といつものようにやりとりをしつつ、帰り支度を整える。

「吉村さん、今日はもう終わり?」

「はい。昨日から泊まりでロケだったので、今日は早上がりなんです」

「そっかそっか。明日はオフ?」

「はい」

「いつも忙しいし、たまにはゆっくりするといいよ。お疲れ」

「ありがとうございます」

 隣のベテランと呼ばれる女性アナウンサーと会話しながら、携帯電話を取り出した。何件ものメルマガや業務連絡に紛れ、届いていた一件のメールに、つい頬が緩んでしまう。

「なになに、彼氏から?」

 ひょいと画面を覗き込んでくる先輩アナウンサーに、内心驚きながら紗織は携帯電話を隠した。

「ちょっと~、びっくりするじゃないですか」

「ごめんごめん。……で、どうなの。彼氏から?」

「違いますよ、妹ですぅ」

 遠慮のない振る舞いに舌打ちしたくなるのを押さえながら、唇を突きだしておどけたように言ってみせる。するとあちらも「ちぇ、つまんないの」とふざけた調子で返してきた。

 実際、TVワカツキまでの移動中にメールを打っていた相手は妹だ。並んでいたメール群の中にはその返信もあったし、嘘はついてない。

「じゃ、お先に失礼しますね」

 にこやかに、アナウンス部全体に通る声で告げると、紗織は心もち早足でアナウンス部を出て、局の出口へと向かう。

 ようやく開くことのできたメールを読み、紗織はテレビに出せないほどとろけきった笑みを浮かべた。

『仕事お疲れ様。七時半にいつもの場所で、車停めて待ってるから』

 先ほどより早足で――というよりもはや駆け足と呼んでも差し支えないペースで、紗織は相手が指定した待ち合わせの場所へと向かった。

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