表向きの終幕

 そして翌日、保阪税理士事務所では……。

『社長殺害、元社員を逮捕 動機は逆恨みか』

 朝からそのような記事が掲載された新聞を読み、亮太は予想外の出来事にただただ唖然としていた。

「副島社長が……」

「まさか、こんなことになるとはな」

 所長の保坂が、同情するように亮太の肩をポン、と叩く。

「身体の至る所、合計数十か所をメッタ刺し。発見時の遺体は外も中も損傷が激しく、ほぼ原形をとどめていなかった、ですって……」

「それも動悸が何だ、逆恨みだって?」

「その容疑者……副島商事の営業二課の社員だったらしいんですけど、売上金を横領してたんですって。んでバレて首になって、それがもとで逆恨みしたんじゃないかと」

「うえぇ……」

 怖いねぇ、と保阪が自分を抱きしめるようにして、震える真似をする。

「もちろん、葬儀には出席しないとですよね」

「そりゃあな、一応得意先だし。うちからも代表として誰かに行ってもらわにゃならんよ」

「……当然、僕ですよねぇ」

「担当はお前だからな……それに、何かと付き合いがあったろ」

「そうですね……」

 はぁ、と亮太は溜息を吐く。もちろん、めんどくさいことになっただなんて、故人に対して失礼なことは言わない。……たとえ、思っていても。

 しかしやはり、出来ることならその、人間ミンチのようなグロテスクな遺体にだけはお目にかかりたくなかった……。

 まぁ、そりゃあもちろん通夜の時点では、葬儀屋さんの力でどうにか見られるようになっているだろうけれど。そう期待したいけれど。俺たちの(心の)平和のために、大変だと思うがどうか頑張ってくれ、葬儀屋よ。

「しかしあの人もつくづく、運がないよなぁ……」

 有能な秘書が逮捕され、どうにか復帰するものの業績は下がる一方、挙句の果てに恨みを買ってめちゃめちゃな死に方をするなんて、つくづくついてない人だと思う。

「まぁ、仕方ない。気持ちを切り替えていかないと」

 な、と励ますようにもう一度亮太の肩を叩き、保阪はデスクへ戻った。もう一度溜息を吐いた亮太は、よし、と前を見据える。

 何も、顧問先は副島商事だけではないのだ。今日だって、二、三社ほど訪問する用事がある。

 とにかく保阪の言う通り、気持ちを切り替えよう。

 まずは……と今日の仕事内容を頭に思い描きながら、亮太は自分のデスクで支度を始めた。


    ◆◆◆


「このたびは、まことにご愁傷さまで……」

 受付を無事に済ませた亮太は、あれこれと葬儀屋に指示を出していた秘書の仁科へと声を掛けた。目の下にうっすらと隈を作った仁科は、疲れたようにへにゃりと笑う。

「宮代さん、来て頂きありがとうございます」

 いつも仕事で会う時にはそうしていたように、二人は礼を交わし合った。それでもどこかぎこちないのは、場所が場所だからなのだろうか。

「突然のことで、僕も驚きました。まさか、あの副島社長が不意を突かれて襲われるだなんて」

「えぇ……」

 やりきれなさそうに、仁科は唇を噛む。

「あの時、私は社長と一緒にいたんです。それなのにお守りするどころか、社長が無残に血みどろになっていくところを、呆然と黙って見ていることしかできませんでした」

 身を挺して社長をお守りするのが、秘書の役目だというのに。私は、何もできなかった。

「私は……社長に、何の恩返しも、出来ませんでした」

 涙声でそう言った後、肩を震わせうつむく仁科。亮太は励ましの言葉さえかけられないまま、ただ見つめることしかできなかった。

 亮太が副島商事の担当をするようになってから日はまだ浅かったが、仁科がどれほど真面目で、社長思いの秘書であったかはよく知っている。就任当時から傍で、彼の経営する会社を客観的に見つめ、秘書として決して上から目線にならぬよう、為になるアドバイスを出す。

 社長のカリスマと、優秀な秘書。二人の強固な信頼関係によって、副島商事は上手くやってこられたのだ。

 その均衡が、社長の死というどうしようもなく予想外の事態によって、崩された今。副島商事はいったい、どうなっていくのだろう。

「私は、会社を辞めようと思うのです」

「えっ」

 突然の言葉に、亮太は目を見開く。顔を上げた仁科の顔は、強い覚悟に満ちていた。

「もともと秘書の資格だって、副島社長のために取ったもの。あの方のお傍でなければ、私は秘書として存在することなどできないのです」

「仁科さん……」

「本日の葬儀を仕切り、立派にあの方を御見送り差し上げること……これが秘書としての、私の最後の仕事です」

 何と、従者の鑑のような男だろう。それほどまでに副島を信頼し、慕い続けてきたとは。

 亮太は密やかに感動を覚え……事務所で副島に対してわりと失礼なことを思ってしまっていたことを、心から後悔した。


『――初めまして。保阪税理士事務所からやって参りました、新人の宮代亮太と申します。これから御社の担当に就かせていただくことになりました。まだまだ未熟で勉強不足なところも多々あるかと思いますが、よろしくお願いいたします』

『ほぉ、新しい税務担当者か。これは何とも好青年じゃないか。これから大変だと思うが、よろしく頼むよ。なぁ、仁科』

『はい、社長』


 初めて会った時、緊張でガチガチだった新人時代の亮太に、屈託ない朗らかな笑みを向けてくれた副島を思い出す。

 正直言って、迷惑な男だと思ったことも何度かあった。自信家で高慢ちきで、自分勝手だった。それでも素直で無邪気で、他人思いなところもあって……一緒に飲みに行ったことも、今では懐かしい。

 思い返していると、目頭を押さえた仁科が、「では、私はそろそろ」と絞り出したような声で言った。

「葬儀に関する打ち合わせがありますもので」

「あぁ、はい。お引き止めしてすみませんでした」

 亮太の言葉に弱々しい笑みだけ返すと、そのまま仁科は足早に立ち去っていく。悲しみをこらえているようでもあり、振り払おうとしているようでもあり、その気丈な姿にまた胸を打たれた。


 しばらく仁科の後姿を見送っていると、声を掛ける者があった。

「おい、宮代」

 振り返るとそこには、似合わないスーツ姿の男。

「何だ、お前も来たのか。忍海」

 男――忍海は亮太の意外そうな顔に、よっ、と小さく手を上げながら親しげに亮太へと近寄ってくる。亮太もまた、警戒なくそれを受け入れた。

「さすが大会社の社長だけあって、今回の葬儀は一般にも開放してくれてるみたいだからな。俺みたいなもんでも、金さえ持ってけば容易く滑りこめるってもんよ」

「しかし、お前は何の用で来たんだ? 副島さんのこと知ってたっけ」

 そう。亮太の知る限り、忍海と副島には接点らしきものが一切ない。つまり、今回の葬儀に顔を出す理由がないのだ。

 たとえ仕事だとしても、スキャンダルを洗い浚い調べ上げ、ゴシップ記事を書くことを生業としている忍海が、ちょっとした殺人事件――少し、猟奇的な方法ではあったものの――のためにここを訪れるとも思えない。亮太の疑問ももっともだった。

 忍海は何かを確信しているかのような、含み笑いを浮かべた。

「どうもこの件に関しては、裏があるような気がしてなぁ」

「……ホントそういうの好きだよな、お前」

 そういう余計な勘繰りは当事者に失礼なんだからほどほどにしとけ、と半ばあきらめたような声で突っ込む亮太の肩を、忍海は親しげに抱いた。ニヤニヤしながらこっそりと、内緒話のように耳打ちしてくる。

「秘書の逮捕、右肩下がりの業績、社長に接近する謎の黒い女、そして社員の横領……これまで順調だった大企業に、一体何が起こったのか。ほれ、何やら怪しいニオイがしないかね?」

「もっともらしいこと並べただけじゃねぇか。確かに事実ではあるけど、一つ一つに着目すれば、別に大したことじゃないだろ。よくある話、全部偶然だ。あの人は、運が悪かっただけ」

「まぁまぁ、そうつれないこと言うなって。それに……」

 極め付きは、と忍海が視線をくれる、その先。亮太が辿ると、葬儀会場を出てすぐのソファに、人が二人ほど座っている後姿が見えた。

 黒い服を着た女が、頭を垂れている。小さく肩を震わせ……どうやら、泣いているようだった。

 葬式という環境に溶け込んでいるせいで格好はあまり目立たず、顔も覆われているせいで見えないが、それが誰だかは容易く予想が付く。副島の恋人だった、香澄だろう。

 隣では、スーツを着た誰かが、うつむく彼女の肩を抱いていた。明るい色の髪が特徴的なその男は、先ほど亮太が少し話をした仁科だ。

 恋人を亡くし悲観に暮れる女を、同じく主を亡くした秘書が慰めている。何ら、不自然ではない光景だ。

 ただ、一度でもあらぬ誤解をしてしまったことがあるからだろう。亮太は少しばかりドキッとした。

 そんな亮太の心情を見透かしたかのように、忍海はニヤリと笑った。

「あの二人は? 男の方はさっき、お前と話していたけど」

「……男性は副島社長の秘書で、仁科類さん」

「秘書ねぇ、ふぅん。あの人が……なるほど」

 サラサラ、と忍海は開いたメモ帳にその名を記す。

「んで、女性の方は? 何となく、予想はついてるけど」

「新藤香澄さん。副島社長の……恋人だ」

 意地悪そうに笑んでいた忍海の目が、さらに細められた。

「恋人ね……まぁ、会社に出入りする女の影があったとはかねがね聞いていたが、あの女がそうか。恋人なんてありきたりなワードだが、そういうのは高確率でキナ臭い何かが関わってんだよな」

「それは、お前の経験か?」

「だてに何年も記者やってるわけじゃないから」

 引き続き忍海は、メモを記していく。閉じたメモ帳を胸ポケットにしまうと、次はデジカメを取り出し、何枚か写真を撮った。

「……これで良し、と」

「お前なぁ」

 さすがにいい加減にしろよ、と亮太が叱責しようとするのをのらりくらりと躱すように、忍海は不自然なほど人の好い笑みを浮かべながら、ポンポン、と軽く亮太の肩を叩いた。

「じゃ、また飲もう」

 一言も弁解することなく、だからといって諦めたような様子もないまま、忍海は立ち去っていく。どうやら葬儀には出席せず、そのまま帰るらしい。暇なのか多忙なのか、相変わらずよく分からない男である。

 先ほどのソファには、もう誰も座っていない。二人とも、そのまま葬儀会場へ入ったようだ。

 ――いくら仕事とはいえ、あいつのように何でもかんでも怪しい目で見つめるようなクズ人間にはなりたくない。

 そう思いながらも亮太は、至近距離で寄り添うように座っていた仁科と香澄の姿を、頭から離すことができなかった。

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