1.報復
ある男の回顧
――紫陽花の花言葉:ほら吹き、高慢
「チョコレイト・リリィの花言葉は御存知かしら?」
穏やかな色を宿した瞳にひどく不釣り合いな、歪んだ笑みを象った唇が、ねっとりと甘い声を乗せる。耳慣れない単語に、男は警戒しつつも軽く首を傾げた。
その様子に気付いた女は、馬鹿にするでもなくただ小さく笑う。
「チョコレイト・リリィ、つまり黒百合」
――黒百合。
ベッド下に広がる黒いワンピースと、同じく黒を基調としたランジェリー、黒光りする小さなポシェット。乱雑なそれらを横目に見た男は、まるで女の代名詞のようだと思う。
これまで纏っていた漆黒を脱ぎ捨てた清らな女は、笑みを崩さぬまま、黒百合に関する薀蓄を語り出した。
高貴さを放つすらっとした普通の白い百合と違って、丸みを帯びた小さな形が特徴の素朴な花。それもそのはず、百合と名がついているとはいえ、そもそも種類自体が違うのだ。
その香りは意外にも
その不吉な見た目や匂いのせいなのか、それとも昔からの言い伝え――とある大名の愛妾として知られた絶世の美女・
この花につけられた、花言葉は――……。
「恋、そして――呪い」
――呪い。
その言葉が、まるで心に直接刻みこまれたかのように、男の身体中に響き渡る。
何かに包みこまれるような、いや、いっそ飲み込まれるような錯覚。じわじわと内面から変えられていくような……これまで抑え込んでいたはずの様々なものが、曝け出されていくような。
あの日、理不尽に重荷を背負わされた自分を、さも当然のように踏み台にしたあの男。今も平然と、その位置でふんぞり返るあの男。
自分はあの日からずっと、日陰の位置で甘んじているというのに。
そんなクズのような男に、何故従い続けなければならない? 何故自分ばかりが、やってもいないことの責任を……
じくり、じくりと痛む古傷。これまで自分が積み上げてきたはずのものを、一気に打ち砕かれた、あの時の衝撃と憎悪。
保身に走った自分は、今もあの男の言いなりのまま。生きるためとはいえ、憎いはずの相手に忠誠を誓い、這いつくばるしかない自分の、なんと惨めなことか。
「憎悪は積み重なり、やがて呪いへと変わる。そして呪いは……」
呪いは、やがて人を滅ぼす。
「ねぇ、組みましょうよ」
わたしと組んで、あの男を滅ぼしてやりましょう。
「あなたがあの男を憎むように、わたしもまた、あの男をこれ以上ないほど憎んでいるの。……わたしの大事な人を一瞬で奪った、卑怯な人殺し」
みすみす生かしておく価値など、これっぽっちもないでしょう?
真っ白なシーツにくるまった、しなやかな裸体が、男へとすり寄るようにして触れてくる。いっそ病的なほどに白く、冷たい手が、男の頬を撫でた。漂ってくる女の体臭――腐った甘い匂いに、くらくらする。
ところどころ紅の剥がれた唇が、近づいてくる。
男はその後頭部に手を回し、衝動に任せてぐいっと引き寄せた。先ほど飽くほどそうしたように、甘美な柔らかさを伴うその唇を貪る。
「――俺は」
たっぷりと合わされた唇同士を名残惜しげに離すと、互いの唾液に塗れた艶めいた唇を開き、男は告げた。
「俺は、あの男を決して許さない。このまま生かしてなんて、おかない」
だから……。
「あの男を、何としてでも地獄へ突き落としてやる」
そのためなら、何だってするさ。
男の答えを聞いた女は、我が意を得たりというように、にぃ、と悪魔の笑みを浮かべた。
「因果応報、悪因悪果」
もちろん、それ相応の裁きを下さなければね。
再び猛々しく覆い被さってくる男の明るく柔らかな髪に、その頭を抱え込むようにして、女はそっと両手を埋めた。
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