6 チャンドラーはかく語りき

 モニターに、頭をぶち抜いて死んだ男の姿が映る。


 けれど、克洋は生きていた。弾丸は彼の額を掠めて行った。

 克洋は絶望に包まれているその時も、ガヴァメントを拾い上げ、制服の下のホルスターに納めた。しっかり安全装置までかけて。なつきや千尋によるしごきがあったからだろう。


 薄暗い部屋に、火薬に混じって微かになつきの汗の匂いを感じた。それに耐え切れず、部室を出た。


 夕暮れの街を、克洋は行く。額を青いハンカチ――なつきに返し損ねたもので額を押さえながら、夢遊病者の如き足取りで歩いて行った。


 河川敷までゆっくりと歩く。河川敷をランニングする、野球部員がいた。野太い掛け声があって、その後ろを自転車で追うマネージャーの女子がいる。時折その少女が熱っぽい視線で走る一人を見つめていた。


 その表情がひどくまぶしかった。川の水面に、克洋の顔も映った。最近は気にしないようになっていたはずなのに、今ではどうしようもなく幼い顔に見えた。情けない顔を見たくなくて、克洋はサングラスをかけた。スモーク越しの色のあせた、薄暗い世界はそれなりに居心地が良い。


 薄暗い視界で、克洋はひたすら歩き続ける。目的地も、何もわからずに。

 気が付くと克洋は映画館に来ていた。それも大きなシネコンでは無い。パチンコの隣に並ぶような、場末の映画館だ。


 気分が沈むと、押井克洋は映画館へ行く。


 平日の夕方というのに、そこは静かだった。パチンコもやっていない。


 もう誰もいないのだ。克洋はパチンコ店を覗き込む。人体のあらゆるパーツがぶちまけられた凄惨な光景はどこにも無い。パチンコの台は消え去っていたから、やけに広く感じられる。


 映画館に踏み入っても、数か月前と変わらなかった。克洋の背をばかにした〝スナッチャー〟も、もういないのだ。映画館は、何もかもがあの時のままだった。貼られているポスターも。


 いかにも無理していることが分かる実写映画。お気楽な恋愛映画。やたらとナイーブなアメコミヒーロー。銛に突き刺されたナポレオンフィッシュもそのままだった。


 克洋はそのまま、一番小さなシアターへと足に運んだ。学校の体育館のスクリーンがマトモに見えるような安っぽいスクリーンは灰色で、何も映してはいなかった。


 ど真ん中――なつきと映画を観た時と同じように。なつきと会った時と同じように。克洋はその席に腰掛ける。


 深く椅子にもたれて、克洋は目を閉じる。あの時はバターをたっぷりかけたポップコーンと牛乳を持たされていた。そこに彼女がやって来て、柄にも無く偉そうに映画批評なんかをしてみせた。銃を突きつけられた。柄にもなく気障なことを言ったし、撃たれもした。

 そして〝スナッチャー〟に出会った。それを殺した。銃の持つことの意味を、分かっていた筈だった。


「ホントに、筈だったんだ」


 ぼくは銃を持つ意味を分かりはしてなかったんだ。克洋はひとりごちる。撃たれる覚悟のある者のみが銃を撃つ資格があるという、どこかの探偵の言葉を知っていた。


 それくらいならいいやと思っていた。自分が死ぬならいいと思っていた。どうせ身長は伸びないし、女顔をバカにされることには飽いていた。派手に暴れて、派手に死ねるなら、それも悪くない、とも思いはした。色んなものを壊すのは気分が良い。壊されるのも。


 けれども、死んだのはなつきだ。克洋では無い。古い小説家は一つミスを犯した。銃を持っていいのは撃たれる覚悟のある者では無く、愛する人を喪う覚悟がある者だけなのだ。それは自分が死ぬことよりもずっと辛くて、きっと悲しい事だ。


「これからだったんだ」


 克洋となつきの関係はこれから始まるはずだった。次の休日に映画に行って、二時間と少しの間の沈黙を過ごし、それを埋め合わせるように、柄でもない小洒落た喫茶店に入ってああでもないこうでもないと映画の内容について語っただろう。ゲームセンターでガンシューティングでもやって、その拳銃を模したコントローラーのチャチさを笑い合っただろう。


 夕飯を食べに行って、男だからと意地を張って克洋が奢ろうとして、なつきは先輩風を吹かして奢ろうとして、結局割り勘に落ち着いたりするのだろう。そして、また次の休日に何をするか、帰りの電車で話し合うのだ。


 そんなことを繰り返していくうちに、きっとなつきは卒業して大学にでも行って、そこで清掃部を続けて、克洋もきっとその後を追う。克洋も、後輩を作って、殺しを続けるのだ。


 ずっと続いて行くはずだった未来が、全部消え去った。殺しが日常になることなどありはしないのだ。


 涙は流れず、虚無だけがあった。拳銃を引けるほどの度胸も衝動も消えたのなら、このまま、ぼんやりと虚無に堕ちて死んでいくのも悪くないかと克洋は思う。

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