7 例えば、酒とセックス
どれだけそのシートにもたれていたのか、克洋も分からない。多分、一時間と少しくらいだと思う。けれども、この数日は何倍にも引き延ばされていたから、三十分もしていなかったかもしれない。ぼふっと軽い音が響いて、克洋の身体が揺れた。
「大物かお馬鹿さんか。ナツ先輩には悪いけど、あの人は見る目が無かったってことかしら」
小生意気な少女の声が聞こえ、克洋は振り返る。ほとんどがシートの背もたれに隠れてしまっているが、微かに揺れる、人工的な金色をした鋭角的ツインテールの姿があった。それが克洋の後ろの席に座り、何度もシートを蹴り付ける。
「シートは蹴るな」
「脚が長いのよ」
「よく言うよ、ぼくよりチビなくせに」
「男のくせにメソメソとしてるよりマシっしょ。アンタほんとにナニついてんの?」
恥も臆面もない下品な言葉に克洋は鼻白む。やはり彼女は苦手だと克洋は表情をこわばらせる。
「それで、どうしてここが分かったんだ、千尋」
「お嬢さまはご趣味に逃げると思いまして」
「逃げてるんじゃない」
「じゃあ、何をしてるの」
その言葉とともに、シートがどっと強く蹴られる。軽く前につんのめりながら、克洋は拳を握り締めた。言い返せるような言葉は結局見つからず、歯を食いしばった。
「ま、何でもいいけど」
「お前は!」
克洋は頭がかっと熱くなるのが分かった。振り返ってシートの背もたれに手をかけ、立ち上がって千尋を睨む。
短いスカートもお構いなしに、千尋は脚を組み、手を後ろに組んで椅子にもたれている。ほとんどスカートの下の布地を見せつけるような格好だと言うのに、いやん、などと冗談めかして言うものだから、さらに克洋の怒りを煽った。
「何とも思わないのか! 人が死んだんだぞ!」
「トーゼンじゃん。撃たれりゃ人は死ぬっしょ」
タバコよろしくくわえたロリポップを砕きながら、千尋はぼんやりと克洋を見ていた。彼女も、虫のような眼だった。
「なつきが死んだんだ! 何十発も弾丸を受けて!」
涙こそ流していないが、激昂する克洋を見て、千尋は眉をひそめる。小さく舌打ちをするのが克洋にも聞こえた。
「ごちゃごちゃうっさいな」
「テメェも先輩みたいにすっぞ、お嬢ちゃん」
「やってみろよ! やれるもんならな!」
千尋の手が、コンマ遅れて克洋の手が動く。少女は太腿に、克洋は脇に。ほとんど同じタイミングで、二人は銃を向け合う。へっと千尋は笑う。映画のヒーローみたいに決まっていて、克洋はムカついた。
「自分の頭は吹っ飛ばせないのに、アタシのはやれる?」
「ごちゃごちゃうるさいのは、そっちだ」
千尋と克洋の視線がぶつかる。無言の睨み合い、千尋がニヤリと笑う。その意味を克洋が問い質すより先に少女は口を開く。
「ナツ先輩で五人目」
「……何が言いたいのさ」
「一人は、アタシの恋人。二人目は同じ清掃部。三、四人目はパパとママ」
その意味するところが分かって、克洋は息を呑んだ。スナッチャーに、殺されたのだ。五人の親しい者を。それでどうして、この少女は笑っていられるのだろう。
「喪うコトにかけちゃ、アタシのが先輩ってコト」
「慣れたってことか。慣れろってことか」
いんや。千尋はそう言ってゆっくりと首を振るう。少女は指で唇をぺろんとめくって見せた。切れているのか、唾液に混じって血の赤が滲んでいた。
「慣れることは無いよ。けれど、耐える術は学んだ。唇を噛み、上を向く。潰されそうになったら、別のコトに没頭する」
「別の事……」
「例えば……酒とセックス。アタシで試す? そういや、アタシも男とシたことは無かったかも」
千尋は蠱惑的な笑みを浮かべ、シャツをはだけて薄桃色のブラと胸元を見せたり脚を組み替えたりする。彼女のセクシャリティを知らなければ――なつきを知らなければ、クラッと来たかもしれない。
「出来れば、それ以外で頼む。未成年だし」
「受験勉強にでも備えたら? 塾なら腐るほどある」
千尋は銃を担ぐように持った手のは別の方を、ひょいと克洋の前に突き出した。掌を上に、何かを乗せろと言うように。
克洋はゆっくりと銃を下ろした。けれども、彼女の指示には従わなかった。そうすることでなつきと過ごした日さえも喪うことになると分かっていた。
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