弐:僕にはデートの約束があった

1 二度目の殺し

 寂れたスポーツジム。裏口をそっと開いたのは女と見紛うような少年だった。幼い顔立ち、むいたばかりのゆで卵のようなきめの細かい肌。カールした長い睫毛に、くりっとした眼。押井克洋は、自分の顔が嫌いだ。正確には、最近まで嫌いだった。


「こっちには気付いてない」

「さて、仕事をやるわよ」


 克洋の言葉に、胸元の青いアネモネのブローチを触りながら北村なつきは頷いた。身の丈一五七の克洋よりも背が高い。すらりとした女性らしい体つきを制服に包む。無骨な拳銃やプロテクターが、彼女のまとう凛とした空気をより鋭くしていた。ヴァルキュリアのようだとある少女は言った。


「千尋。やれる?」


 なつきの言葉に、ネコ科の獣を思わせる安藤千尋=なつきをヴァルキュリアのようと例えた少女が頷いた。威嚇する猫のように、ふーっと唸り声を上げた。深く呼吸する度に人工の金色をした鋭角的ツインテールが揺れる。


 克洋は、自分に静かに言い聞かせた。


 三人は、高校生だ。


 そして、殺し屋だ。


 〝スナッチャー〟。目的も、出自も不明。分かっているのは、それは人造人間であり、元の人間を殺して成り代わるのだ。


 それは殺しが大好きで仕方ない。


 ――彼らの蛮行を止めるのが。ぼくたちだ。


 克洋の手には、小柄な彼の手にはいささか大きな拳銃が握られている。世界的に有名な、コルト社製のものを南米のタウルス社がコピーしたものだ。タウルスM1911、ガヴァメントピストル。その隣にいるなつきと千尋は、イタリアのベレッタP×4。人体工学に基づいた、流線型のモデル。超然とした美少女に相応しい上品で、そして野蛮な武器だった。


 千尋はベレッタを腰に納め、その替わりに悪魔の鉤爪を思わせるナイフを持っていた。グリップの傍にあるリングに指を通している。カランビットと呼ばれる東南アジアで用いられたそれを、彼女はほとんど身体の延長として操れた。


「千尋。奴を仕留めて」


 ぽんと軽く、なつきは獅子のような少女の尻を小突いた。千尋が一瞬頬を赤らめ、そして狩人の眼になった。


 音も無く、少女が開いた狭い扉をすり抜けた。なつきならこうはいかない。克洋は思う。胸があるからな。


 同時に床を蹴って跳躍。その首筋に鉤のようなナイフを叩き込んだ。首を二度突き刺し、そのまま腕の関節を引き裂く。とどめとばかりに心臓部を一突き。ものの二秒もかからずに千尋は〝スナッチャー〟を片付けた。


 ぐらりと糸の切れたように崩れる〝スナッチャー〟。それを下から支えるように千尋が滑り込んで、そっと寝かせる。


「行くよ押井。バックアップは任せる。千尋は上の階を。インカムは切らないでね」


 千尋が耳元を軽く叩いて、音も無く階段を登る。


 なつきの声に合わせて、克洋はガヴァメントを強く握りしめる。なつきが扉を蹴り開け、軽い足取りで駆ける。心の中で二秒数えて、克洋はその後に続く。


 近くにあった扉を蹴り開ける。案の定、そこは何も知らずにやって来た不幸な人の屠殺場になっていた。


 血まみれの部屋で、ルームランナーをせっせと歩く女がいた。ベンチプレスに首を押しつぶされて、真っ青になった男がいた。それを見ながら、別の男二人が重りを少しずつ加えている。まるで耐荷重のテストをするみたいな、義務的な動きだ。克洋となつきが動くよりも早く、ごきりと湿った音が部屋に響いた。


 男の首があり得ないほどに潰れた。


 なつきと克洋はほとんど同時に、片方の肘を軽く曲げたウィーバースタンスで拳銃を構える。肘が心臓を守るような位置になるから、とっさの生死を左右するのだ。


 克洋はルームランナーを黙々と走る女の胸を狙って、引き金を引く。胸に火花が散って、女が倒れ込んだ。ルームランナーに髪が巻き込まれて、ぶちぶちと嫌な音と共に髪が千切れる。


 すかさず克洋が駆け寄って首を踏みつけ、その後頭部に再度弾丸を叩き込む。びくりと〝スナッチャー〟の身体が跳ね、動かなくなった。念のために、何発か撃ちこんで弾倉を交換。


 克洋が一人を殺す間に、なつきは二人の〝スナッチャー〟を片付けていた。そう言えば、これが実戦での初めての殺しだ。

 思ったよりも、殺しは簡単だ。克洋は思う。

 上の階から、銃声が響く。一つはリズミカルな訓練されたそれ。もう一つはとにかく撃っているというような、ならず者のそれ。インカムから、千尋の声が届く。そして、銃声。


《ナツ先輩、お嬢ちゃん。今日は簡単な仕事って、言って無かった?》


「そのはずだったね」


《今ね、撃たれてるんだけど。これ、どゆことさ?》

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る