9 三か月の訓練期間から
三か月の間、克洋は徹底的に自分を苛め抜いた。なつきから渡された特訓メニューは限界という細い綱を渡るようなものだったし、格闘戦の訓練になれば、千尋は半分以上殺しにかかって来ていた。それでも、克洋は耐え抜いた。憧れの人の傍にいれることは勿論だったが、単純に、楽しかった。
そう、楽しかったのだ。殺しのために肉体を改造することも。弾丸を一日千発以上消費することも。模擬訓練用のペイントナイフで、千尋の容赦ない攻撃を凌ぐことも。
身長は伸びなかったが、克洋の身体の線はより細くなった。けれど、体重は増えた。全身がしなやかな凶器になった。
健全な精神は健全な肉体に宿ると言ったもので、克洋はその数か月の間で、身長を気にしなくなった。なよっとした女顔も変わらないが、けれどもその下地に芯のようなものが出来た。
世界を変えるのは難しいが、自分を変えるのは、簡単だ。
世界を面白くするよりも。世界は面白いと思う方が、簡単だ。
それが部活動であろうと、勉学であろうと、休日にカラオケに行くことであろうと。そして、人殺しであろうと。
気が付くとサングラスも外していた。
唯一の不満と言えば、自分が現場に行けないことくらいだ。
彼らの学校から割り当てられた部屋で、克洋はソファにもたれていた。驚くことに、〝スナッチャー〟殺しの活動は学校からも認可されているようで、それなりに大きな部室を割り当てられていた。部室と言うか、むしろ家だ。暮らすことだって出来るかもしれない。
部活の名前は〝清掃部〟。ボランティアに毛が生えたような部活がこんなに大きな部室を割り当てられているのが怪しまれやしないかと克洋は時折不安になる。
「驚いた。たった数か月でこうも変わるものとはね」
「なつき先輩のおかげですよ」
ソファにもたれ、なつきは50インチの液晶テレビで映画を観ていた。夭折したSF作家の作品がアニメ化されたものだ。死んでさえも名前を使われるのは、なかなか忙しい男だ。
そのテレビさえも、備え付けのものだから、克洋は銃を持つことに対する見返りの大きさを感じずにいられなかった。
「そろそろ、君に仕事を任せたい」
どくんと克洋の身体が熱くなるのを感じた。銃を握れる興奮に、磨いた技術を活かせることに、心が踊った。部活と言うものにろくに参加したことはなかったが、きっとレギュラーに選ばれた時はこんな気持ちだろうと克洋は思う。
「メンバーは、あと時間は」
「私と千尋。そして君だ。〝スナッチャー〟の小規模な集団が根城にしている場所が見つかった。今日の夜に襲撃をかける」
「映画館とパチンコ屋の次はどこですか?」
「そう急かない。焦る男はモテないよ」
場所は小さなスポーツジムだった。〝スナッチャー〟が成り代わるのは、基本的には成人だった。子供の骨や筋肉の成長を再現できないからとも噂されている。とはいえ小学生に殺しを任せるわけにも行かないから、高校生が殺し屋をやるのだ。
「隠れ家にはうってつけの場所ですね」
「そう。ドンパチするにもうってつけ」
「不謹慎ですよ。今から、人殺しをするのに」
あら。そう言ってなつきは振り返る。
「撃ちたくてうずうずしてるくせに」
「……その言い方、ずるいですよ」
なつきは色々な顔を持っている。飄々とした女性。容赦なく銃を撃つ殺し屋。千尋や克洋に厳しい訓練を課す嗜虐的な教官。火薬とCGだけが売りののダメ映画もケラケラ笑って見る、無邪気なシネフィル。そのいずれの顔にも、克洋は惹かれたの。
高揚が彼の心を満たす。けれども、それは戦いの為ばかりではない。なつきの裸身を思うのも、一度や二度では無い。
「仕事が終わったら、映画にでも行きませんか。今度の休日」
ふと、なんという計画も何も無く、克洋はそう言った。頬が熱くなるのが分かる。なつきはテレビに視線を戻した。
映画も佳境のようで、聖歌を思わせる荘厳なコーラスが流れていた。それをぼんやりと見ながら、なつきはぽつりとぼやく。
「二人で?」
「ええ」
克洋は一度唾を飲み込んでから、強く頷いた。
「二人で」
ふふっ。となつきは吹き出した。くすりと笑った。甘い息に、克洋はばつが悪くなって眉を下げた。
「いいよ。仕事の前に、未練を作るのは悪い事じゃない」
やっぱりずるい人だ。克洋は声には出さずにそう言った。多分、克洋が彼女を慕っていることくらい、気付いているはずだ。多分、千尋が慕っていることも。気付いた上で、それについて手を伸ばさないのだ。
「ちょうど、見たい映画があるんだ」
ゆっくりとなつきは立ち上がる。そのまま、棒立ちになった克洋に近付いた。彼は頬に柔らかな感触を感じた。
「ナツ先輩ーっ!」
それが何か、克洋が気が付く前に、なつきは猫のような俊敏さでソファに身を隠戻した。
バガンと扉が開き、千尋が姿を見せる。
「先輩、今から仕事ですよね! やりましょう! 今度の休日でも、ご飯行きませんか?」
「あー……ごめん。ちょっと先約入っちゃって」
なつきが頬をかいた。千尋がしゅんとする。鋭角的ツインテールが垂れ下がる。その理由を知られれば、半殺しに遭うことは分かっていたので、克洋は準備に取り掛かった。
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