8 ブートキャンプ
〝清掃部〟。あまりにまんますぎる名前だなと、克洋は入部届けを書きながら思う。活動内容は美化活動らしいが、むしろ散らかす側じゃないか、とも。
「ああ。君が新入部員なの?」
入部届けを手渡す相手は、数学教師だった。克洋も何度か授業を受けたことがある。授業内容は退屈極まりないものだから、ほとんど聞き流しているようなものだが。しかし、向こうも大した熱意を持って授業しているようでもない。とにかく、映画みたいなことをやってる部活の顧問だとは到底思えないような退屈な男だ。
「ええ。そうです」
「ふーん。じゃ、頑張ってよ」
千尋のそれとは少し違ったが、意地の悪い笑みだった。ハリウッド映画で主人公を左遷する、厭味ったらしい上司みたいな笑みだった。
予感は的中していた。
ジャージ姿になった克洋は、千尋と共に河川敷を走っていた。
「押井! 何をちんたらしてんの!」
既に克洋の視界は砂嵐の走ったテレビのようにちらついている。リズミカルに揺れる金髪は、既に遠くになっていた。煽る少女の声に、克洋はなにくそと足を前に勧めようとするが、速度は一向に上がらない。鉛のようになった足とはこのことかと克洋は思う。
「ほら、押井。頑張りなさい。お爺さんの××××の方が気合が入ってる」
ひぃひぃと顔を赤くして走る克洋に並走するように、なつきは自転車を漕いでいる。体育用のシャツに、ショートパンツ。そこから伸びる四肢は克洋にとっては眼福と言って良いものだったし、控えめに言って美少女がそんな卑猥な言葉を言っている状況もそそるものがあるが、そんなことを感じる余裕は十分も前に失っていた。
彼の数メートル先には千尋が平然と走っている。時折ちらちらと振り返っては、にへらと笑っている。克洋を笑っているのか、なつきに欲情しているのかは分からないが、それがとにかく悔しくて、克洋は必死に足を動かした。少しずつ距離を縮め、千尋のすぐ後ろまで並ぶ。
「無理、しなくて、いいんじゃない?」
軽く息を弾ませながら、千尋はニヤリと笑う。
「全く、してない!」
絞り出すような克洋の声。それを聞いてなつきは小さく頷いた。
「そう? なら、もう五キロ追加で」
「うぇっ、マジっすか……」
「止めても、いいんじゃないか、千尋」
まさか。そう言って千尋はぐんと走る速度を上げる。押井は息を切らしながら、必死にそれに追いすがっていた。
数時間にわたる基礎訓練(なつき曰く、ブートキャンプ《しごき》)を終え、克洋はだだっ広い部室のソファに沈み込んだ。
「どうだった、初体験」
ペットボトルからちゅぽんと、わざとらしくいやらしい音を立てて千尋は克洋に尋ねる。
「正直、死ぬかと思った」
「大丈夫よ。このくらいなら死ねない。それとも、辞める?」
まさか。そう言って克洋はニヒルに笑って見せる。ハンサムなハリウッド俳優みやいに。それを見たなつきはぽつりと呟いた。
「ニコラス・ケイジみたいな顔」
ハゲたおっさんかよと、克洋は少しだけ泣きそうになった。けれど、しがみついてやると決意した。
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