5 ボディ・スナッチャー
チケットを売っていた老人が、カウンターに突っ伏したように転がっていた。居眠りをしているように見えたかもしれないけれど、頭にあいた穴が、それを否定している。
弾丸が、こんなに大きな穴を開けるのか。克洋は驚きのあまり言葉を失った。食い入るように、亡骸を見つめている。けれども、克洋はそれを亡骸、死体と呼ぶことにためらいを覚えていた。なぜなら
「血が流れていない……」
「当然。あなた、SFを読んだことはある?」
「多少は」
「十分よ。じゃあ、人造人間が人間の世界に紛れ込み、秘密裏に征服しようとしているって設定はどう思う?」
なつきの言葉に克洋は頷いた。そんな映画を観た気がする。人の手によって作られた人造人間が人の世に紛れるのだ。ハリソン・フォードの不機嫌そうな顔が印象に残ったくらいで、内容は覚えていない。
克洋は息を呑んだ。言いたいことが分かるのと、受け入れられるかは全く別の話だ。
「バカげてる」
克洋は静かに呟いた。それを聞くや否や、なつきは拳銃を抜いた。立て続けに発砲。息絶えた老人の後頭部に弾丸が突き刺さる。その衝撃でべろんと頭皮がめくれ上がる。中にある丸い、機械の塊に、無数の焦げ跡が走っている。血は流れなかった。衝撃で吹き飛んだ眼球が、ごろりと克洋のブーツにぶつかった。こちらへ来るなら受け入れろ。虚ろな目がそう語った。
「と、まあ。ホントにあるのよ。人造人間とか色々。これでもバカげてるって言い張る?」
「世界って、滅茶苦茶だって思いました」
「そうなの? 押井。自分の顔を見てもそう言うの?」
克洋はガラスに映る顔を覗いた。
「今のあなた、凄い笑ってる」
克洋は表情を引き締めようとした。けれど、無理だった。唇が歪なアーチを歪んだまま、戻らない。
「この滅茶苦茶に、巻き込まれてみたいと思わない?」
何かが変わると思った。あまりに陳腐な表現。けれども、色の無い世界が突然鮮やかになった。気がした。今この瞬間から。克洋は十七年生きていた場所とは別の世界にやって来たのだ。
息絶えた老人から。
転がった薬莢から。
そして、なつきから。
克洋は頷いた。
「そう」
静かになつきは微笑んだ。女神のように、静かな微笑だった。その表情に克洋がどぎまぎとしている時、小さな影が躍り出た。
「ナツ先輩! 向こうはクリ……その人は?」
狭いエントランスに飛び込んで来たのは、頬を微かに上気させた、子猫のような少女だった。
明らかに人工の発色を放つ金髪を、鋭角的ツインテールに結っている。今時の女性らしく、派手な外見だった。吊り目がちな眼を際立たせるようなメイクをしている。それが彼女の気ままさ、隠しきれない獰猛さを発散している。
背丈こそ克洋よりも低いが、短いスカートからすらりとした脚が伸びていた。
自分の魅力を理解した格好は、それはそれで克洋に苦手意識を持たせた。手にしたなつきと同じ型の拳銃と、悪魔の鉤爪を思わせるナイフを含めて。
「新入部員。ここを見られちゃったし」
「はぁ? 何言ってるのさ、ナツ先輩! いつも通りサクッと薬で眠らせるなり消すなりなんでもすればいいじゃん!」
さらに目を吊り上げて、少女がまくしたてる。突如出て来た物騒な言葉に、克洋が鼻白む。なつきも困ったように頬をかく。
「気に入ったの。撃って脅して、〝スナッチャー〟を見せて、まともに受け止められる人間は貴重じゃない? 後は一押し」
"スナッチャー"。人造人間はそう呼ばれているのかと、物騒なやり取りから逃避するように頷いた。まんまな名前だ。
「だからって! こんなチビで、やれるっていうの?」
「その言葉。そっくりそのまま、返って来ちゃうけど」
なつきが金髪の少女の頭をぽんと撫でる。うぅと獣のように少女は唸っている。恥ずかしがって頬を赤らめているが、逃げようとしているわけでも無い。
「そういうことだから、来て。この子も悪い子じゃないの」
「はぁ……」
引っかき回されているな。そんな気がしながらも、克洋は彼女に従うまま、映画館を後にした。
外に出ると、先程まで聞こえていた筈の下品な音楽はどこにも無かった。変わりに、自動ドアが何かにぶつかっては閉まろうとする、ガコ、ガコという音だけだった。
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