【3分読み】野望、潰えず
「いいか、生きていると何か大きな壁が立ちはだかる事だってある。
壁を越えるためには努力しなければいけないが、その壁を乗り越える方法は一つじゃないんだ」
男はそれまで遠い目で窓の外を眺めていたが、突然語り始めた。
「壁に真っ正面からぶつかり、もがきながらも、いつしか壁を乗り越える。これが皆が求める結果だ。でも、正面からの突破を諦めて回り道をする事だって壁を越えた事になるんだよ。壁の綻びを見つけて潜り込む、壁の崩れかかった場所を突破する。誰かにハシゴを持ってこさせる。どんな方法だっていいんだ。そうだろ?」
そう言うと男はにやりと口角を上げてみせた。
「目的は壁の向こうに行くことだ。壁を登るのが目的じゃない、目的と手段が入れ替わっちまう奴が多いと、俺は思うがね」
私は曖昧に頷いた。否定、肯定どちらとも取れないように。だが、男は私の反応などには興味を示さずにそのまま話を続ける。
「だって人生は一度だぜ?
死力を尽くして壁を乗り越えても、立ち直れない程のダメージを負ってしまったら、壁の向こうで何もできないじゃないか。俺は壁の向こう側に興味があるんだ。壁自体になど興味はない」
男は何度もこの言葉を発してきたのだろう。 自分の言葉が相手に伝わらないことも察知しているようではあるが、それでも自分の意見を言う事で自分が他の者とは違う存在なのだとアピールしているようだった。
「失敗ってのは成功した時には経験に変わるんだよ。世の中は何がどうなるかなんて分からないんだ。テロが起き、大震災が起き、俺たちにとって平和なんて風で飛んでいく枯葉みたいなもんだぜ。壁を越えることが成功じゃない。超えなくてもいい壁ってのも存在するんだ。殺人や強姦は経験しなくてもいいことだろ」
私は「そうですね」と、頷きながら彼の動きに注意を払う。
「成功の秘訣はインスピレーションだよ。真面目にコツコツやる奴はそれなりにしか成功しない。だってリスクを考えて行動するからな。
……俺はまだ諦めちゃいないさ。俺の感性が必要とされる時代が必ず来る」
言い終えると男は一瞬とブルッと身を震わせた後、大きく溜め息をつくように息を吐き出した。
その様子を見て私は男に近寄りいつもと同じように布団をめくる。
「坂田さん、オシッコでましたか~。そろそろオムツ換えますからね~」
坂田康夫82歳。
老人ホームのベットの上で、彼は同じ話を繰り返している。
いつまでも自分は特別だと思っているのだった。
だが、本当に哀れなのは彼ではなく、夢も何もなく流されるまま生きる私なのかもしれない。
終。
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