第36話 犯された禁忌

 ──渦の風に放たれた魔力よ、自由におなり


「なにを……」


 ──エヴァロンの魔力をすべて吸い、自由におなりなさい。天高く、翔るがよい。


 細い指が天をさす。


 紅黒い光。


 邪王の身体から、魔力の光を吸い出すようにして風が巻き上がり、割れた天窓から空に昇っていく。そして、彼は目に見えて変化した。


 瞳に燃えていた邪悪な炎が弱り、立っていられないほど力強く上に引かれている。しゃがみこんで耐えなければ、身体ごと吹き上げられてしまいそうなほどに。


「おお……!」


 イワン王が左肩を抱えながら、柱から身を起こす。


「エヴァリード……」


 ボリスも息をのんだ。


 ソーニャの身体から力がぬけ、それを見たペトロフ将軍が武器を放って彼女を抱きとめる。


「なぜ……エヴァリード、その歌は……しかし……あっさりと敗けは……」


 ──エヴァロンの魔力よ。風に乗り天へ、神々のもとに。


 エヴァリードがことばを変えた。


 その意味に、イワンは瞠目する。


 神にエヴァロンの魔力を送る!


「姫……」


 それは告発であり、判決でもある。


 生き物は、それぞれに力を持っている。

 神は神力。神人は法力。天空人は飛翔力。精霊は幻力。妖精は妖力。人間は霊力。竜は環力。魔族は魔力。


 すべての種族が備える、それらの力には、おなじ種族のそれでも個体差がある。強弱はもちろんのこと、その性質や効果。傾向にも。まったく同一の力をもつ、複数の個体という存在はありえない。


 その力の差異を、神は感じとり、区別し、庇護する。あるいは攻撃する。


 対象の力を僅かでも識っていれば、精度が上がる。


 だからエヴァロンの魔力を神に渡すのは、有効な戦略であるといえる。


 神の眼で観察したものに加え、力そのものの情報が渡れば。それは重要な武器となるだろう。


「エヴァ……リード……!」


 深紅の瞳に憤激の漆黒が混じる。


 しかし、彼女は揺れない。


 天空城を。リベルラーシを守るには、父エヴァロンを倒すしかないのだと。


 歌いながら、エヴァリードはボリスの眼を見上げた。そこにあった約束を読みとると、彼は頷く。


 まずは呪いを解くという順序が変わってしまったが、こうなっては仕方がない。


 エヴァロンの魂を救う。


 ボリスは『雷光剣』を構えた。


 膝をついたエヴァロンの身体が傾いた刹那。


 ボリスは躍り出た。


 ──空高く、神々のもとへ。その魂も罪も、すべて神の御手に──


 紅黒い光の帯が煙のように渦巻いて、風に運ばれ、天に昇る。

 その中心に、禍々しさを奪われつつある、邪王。


 まとった衣服すら、弱って張りを失っているように見える。


 愛しいエヴァリードの父。


 彼女をこの世にもうけ、慈しみ、育み……そして穢した。


 雷電を帯びた『雷光剣』が迫る。


 振りかぶり、激しい一撃で相手の苦痛を断ち切ろうとした、その瞬間。


 ところが。


「ならぬ、ボリス!」


 法力による風が強引にボリスの身体を運んで、邪王から引き離した。


 ボリスの呼吸が止まる。


 この力は、彼の父、イワン王のものだ。


 邪王を倒そうとした彼を止めた。


「父上……!?」


 かえりみようとした、その視界が強い光に焼きつく。


「な……!」


 邪王の両腕が天井に向けて最後の力を放っている。紅黒い光の柱。それは天窓を割り、その上にある鐘楼を直撃した。


 高らかな、荘厳な音。


 空気を揺るがすほどの響き。あたりの音、すべてを飲みこんで……。


 絹を裂くような悲鳴が、その轟音に混じった。


「エヴァリード!」


 残光の中央が破れ、目の前に、父王の顔が見えた。


「ちちうえ……?」


「──ボリス」


 彼の背中に、どす黒く、紅い光が見えた。その形は、あるものの形に似ている。ボリスはあまり見たことがない。だが、リベルラーシの母なる巨木に絡んだ、つるを断とうとした、あの──


「父上!!」


 ──背中に巨大な斧が突き立っている。


 がくりと、イワンが身を倒す。


 ボリスは慌てて両手をさしのべたが、その身体は、見えない力に弾きとばされてしまった。


 エヴァロンが、鐘楼の鐘の音でエヴァリードの歌の魔力を無効化したのだ。


「愚かな娘だ。私の魔力を奪い、この小童に私を殺させようとは。だが、エヴァリード。我が娘よ。私の魔力の源は、屠った者の死だ。それこそ限りのないもの。神人の死は、どれほどの力をもたらしてくれようか」


「エヴァリード!」


 エヴァロンの腕に、ぐったりとしたエヴァリードが捕らわれている。


 聖堂の壁にはイワン王が叩きつけられ、うつぶせに倒れている。しかし、まだ、意識はあるようだった。


 光と闇の癒し。


 ボリスは父王のもとに飛ぶ機会を、必死に探った。


 邪王はイワン王を殺し、その死から魔力を補おうとしている。ボリスの力の行使を阻むだろう。


「ペトロフ……ソーニャ……」


 兵たちは、異常を悟り、城内の人々や城下の人々を守っているはずだ。必ずそうするようにと、ずっと以前からイワンの命が下っている。有事のとき、イワン王とボリス王子がともに行動しているならば、無辜の民を避難させるまで、決して二人のもとに来てはならない、と。


 そして、イワン王はペトロフと聖堂に来る前に、近衛兵に厳命を下していた。『嚮導者ウラベルトン』のある祭礼殿に皆を集めるようにと。なにかあれば、ウラベルトンは必ず、彼らを導いてくれる。


 いま、ボリスの援護をしてくれる人間は、限り少ない。しかし。


 ソーニャとペトロフは、折り重なるようにして倒れ、動かない。


 エヴァリードは邪王の魔手に咽喉を絞められ、そのために勇敢なマーロウも、もがいている。


「父上……何故……?」


 あとすこしで、邪王を斃せたというのに。


 イワンの唇から、苦しげな、かすれた息がもれる。


「……ボリス……。姫は……呪いは……」


「父上!」


 たまらずに、ボリスは疾走した。矢も楯もたまらず、一目散に。たとえ一瞬でも、彼の力で傷を塞ぐことができれば、可能性は消えない。だが、このままでは、万に一つも助からない。


 ボリスの想いを感じとり、エヴァリードは必死に父親を引きつけようと、抵抗を試みた。自分に注意を向けていれば、エヴァロンは、ボリスに手は出せまい。


 身をよじり、空気を大きく吸い、歌いだそうと、腹部に力をこめる。


 だが、エヴァロンは、さっと娘の口を手で塞いだ。


 ボリスの右手がイワンの背中に触れる、寸前。


 地響きが鳴り、天井のステンドグラスが砕け散った。


「……!」


 きらびやかで、美しく危険な刃が降り注ぐ。


「ボリスさま!!」


 胸をつらぬく清らかな声。いうなれば水晶の剣。我を失い、禁を犯したエヴァリードの、神々も恍惚とする美声。

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