金の斧
犯罪者を護送していたトラックが土砂で横転し、殺人鬼ムーアが逃亡したのが48時間前。
警察は直ぐ追跡を開始したのだが、偶然にも逃亡先がムーアの生まれ育った地元だったので、これは容易ではない事態だという事に気がついたのは40時間前。
テレビ、ラジオ、ネット、電話、SNSにて緊急連絡網が敷かれ、地域の住民は子供からお年寄りまで拳銃を手にし出したのが37時間前。
以後も大規模捜索は続くも発見されなかった。
それも当たり前で、この頃、殺人鬼ムーアは幼い頃に育った山中を一人で逃げられていた。そこを使えば、崖も多いことから狩猟目的のハンターですら足を踏み入れる者はなく、地元の人間からは神聖な場所だと思われていたので追跡が困難だと言う事をムーアは知っていたのだった。
ムーアは闇夜だろうと平気でザザサッと崩れている崖を滑り落ちていった。孤独に生きてきた人生だ。闇に怯える事はなかった。このまま山中に身を隠し、近隣の田畑を襲っていれば警察には捕まらないだろう、とムーアは考えていた。実際、もう何かの幸運でもない限り警察に追跡は不可能であった。
だが、地元警察の若者ジョンだけは違った。
FBIや上司の命令も聞かずに警察署を飛び出すと、最も捜索が困難であろう場所から追跡を開始したのである。大人数で発見できないという事は人が一番少ない所に隠れていると判断したのだ。小さなライトと拳銃1つでジョンはムーアの足跡を辿っていったのだった。
この二人が出合ったのは20時間前。
ある小さな泉の所であった。
「しつこい野郎だな。どこまで追いかけてくるつもりだ」
「それはお前次第さ、ムーア」
「警察だからって調子にのりやがって」
「お前はもうお終いなんだよ」
「うるせー!」
此奴さえ倒せば自由になれると思ったムーアは警察官ジョンに飛びかかろうとした。疲れと空腹で冷静な判断力が鈍っていた。破裂した激しい音が木霊すると、殺そうとしていたムーアはお腹から出血をしたまま泉に落ちてしまったのだった。
「……バカ野郎。こっちには銃がある事を忘れたのか」
ジョンの一発の銃弾がムーアの腹部を引き裂いたのだ。泉は濁ってる上にかなり水深がありそうなので、死体捜索専門のダイバーを団体で連れてこないかぎり見つからないだろう。
立去ろうとした。
だが、その時だった。
泉の中から、とても神秘的で美しい女神が姿を表したのだ。しかも、殺した筈なのに『生きているムーア』を『二人』も抱きかかえていたのだった。
女神はこう言った。
「これらは貴方が落としたムーアですか?」
「い、いいや」
「そうですか。貴方はとても正直者ですね。それでは、この生き返ったムーアを差し上げましょう」
「え」
「一人は『貴方と一緒に銀行を襲ったムーア』で、もう一人は『裏切られたと貴方を憎んでいるムーア』です。どちらにしますか? 今でしたら、正直ものの貴方には、先ほど死んでしまったムーアも生き返らせてからお渡ししますよ。さあ、選んでください」
笑顔を浮かべている女神の質問にジョンは答えられなかった。いくら拳銃を握りしめているとはいっても、蘇ったムーアと二体一になったら勝てる訳もないからだ。選べば逆に殺されてしまう。ジョンは女神の質問に無言で応えるしかなかったのが、今から10時間前だった。
※
現在。あれから、どれだけの時間が流れていったのだろうか。不思議な事に、どんなに経っても夜が明ける事はなかった。腹も減らないし、トイレも必要ないし、眠くもならない。山中なのに他の生物が現れるという気配すらしなかった。
ただ、ジョンの前には女神がずっと立っている。
変わらない神秘的な笑顔を浮かべ、選択してくれるのをひたすらに待っている。
その腕の中には、恨めしそうな目をしている二人のムーアが今か今かと何かを待ちわびた顔をしていたのだった。
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