ラビス

迎え

 砂嵐の吹きすさぶ、空の荒れた日のことだった。

 国境付近の、その辺境の村を一人の旅人が訪れた。

 年の頃は七十は越えているだろうか、少なくとも伊達や粋狂で嵐の中を歩いてくるにはいささか年をとりすぎている。顔立ちも身なりも決して悪くはないのだが、旅暮らしが長いと見えて全身から疲労しきった空気を漂わせていた。

 何故彼がそうまでして旅をしなければならないのか、誰も詮索する者はなかった。辺境の村、殊にその距離だけでなく砂漠と砂嵐によっても他と隔絶されているこの村のようなところでは、他所から来た者というだけで大歓迎なのだ。彼らが属している王国、何十年もの戦争に弱りきり、辺境の小村を省みることなど忘れてしまった王国の噂を、運んできてくれるのだから。砂漠を自由に渡る異国の兵隊達や盗賊団に何度襲撃され掠奪されても、彼らのすがるものは彼らの王国しかなかった。

「おや、それじゃお前さん方は、戦争が終わったのを知らんかったのかね」

 旅人が驚いたようにそう言うと、村人は彼の周囲にわっと押し寄せ口々に尋ねた。

「終わったって、いつ終わったのだね」

「勝ったのは、どっちじゃね」

「王様はどうなさったのだね」

 旅人は、村人の質問に一つ一つ答えていった。戦争が終わったのは五年前、勿論我が国が勝った。都を占領していた異民族どもは砂漠の向こうに逃げ帰った。年老いた王は退位し、今は新たな王が国の再建をすすめている……。

「五年か……そんな前に終わっておったとは」

「道理でここ数年、砂漠の死神どもが姿を見せんかったわけだ」

 五年もの間、取り残されていたことに対する不満がないわけではないだろうが、とりあえず今は“戦争が終わった”という事実に皆呆然としているようだった。およそ五十年もの間続いてきた戦争は、既に彼らの日常の一部となっていて、戦争のない日々など想像もできないのだ。

 ラビスは、周囲を海と砂漠で囲まれていた為に異国の侵入を受けることもなく、長い間平和を享受してきた。しかし、ある時不思議な動物を乗りこなし軽々と砂漠を越える異民族が、突如王都に攻め寄せ、包囲したのだ。ハランの王は、ラビスに彼らの国に臣従し毎年貢ぎ物を捧げることを要求した。ラビスは、その要求を呑まざるを得なかった。ハランはその証として、ラビス王の若き妃までをも砂漠の果てに連れ去ったのだ。

 ラビスは待った。時が来るのを、ハランに対抗できるだけの国力がつくのをじっと待った。そして、もう大丈夫と判断した時、王は迷わず兵を挙げた。そして、長い長い戦争が始まった……。

「戦争が終わった、か……セレン婆に教えてやったら喜ぶじゃろうて」

「そうかね。知らせん方が、いいんじゃないかね」

「誰だね? そのセレン婆というのは」

 話を耳にはさんだ旅人が尋ねる。

「ああ、少々イッちまった婆さんでさあ。『戦争が終わったら、きっとあの方が私を迎えに来てくださる』って、口癖のように唱えてるんですがね。迎えに来てもらえるような年でもなかろうに」

 最後の言葉に、村人たちはどっと笑った。が、旅人は笑わなかった。

「その人は、ずっとこの村に住んでるのかね?」

「いや、もともとはこの村の者じゃねえ。十年くらい前だったかね、やっぱり今日みたいな砂嵐の中を、ハランの方から一人で歩いてきてねえ。あん時から、もうおかしかったなぁ」

「――今は、何処に……?」

「村の外れのあばら屋に、一人で住んでるよ。愛しの君の迎えを待ちわびながら、な」

 再び笑いが起こった。

 旅人は、笑い声の中をすり抜けるように、宿屋の外へ出た。砂嵐。村の中も、外程ではないにせよ視界が薄暗く煙っている。

 村の外れのあばら屋。どの家もさしていい造りではなかったが、中でも一際朽ち果てたその家の前に、旅人は立った。ドアをノックするが、応答がない。仕方なく開けて、中に入る。

 暗さに目が慣れるまでに、時間がかかった。

 砂嵐の吹き荒れる外よりも、暗く沈んだ室内、息を呑むような重苦しい静寂の中に、一人の老婆がいた。

 古ぼけた肘かけ椅子に、ぐったりと身体をもたせかけている。何かを祈るように瞳を閉じ、両手はすりきれた膝かけの上でしっかりと組まれている。

 その足元に彼は跪き、老婆の両手をとる。老婆は、身動き一つしない。

「おお、セレニア、セレニア……お前を迎えに来るのに、こんなに時間がかかってしまった。お前がハランから逃げることができたとは、思わなんだ。探しているうちに、五年も……」

 彼は喉をつまらせた。双眸から、涙がこぼれ落ちる。

「だが、だが……少し、遅すぎたようだ……」

 五十年の長きに渡り異民族と戦い続け、ついに勝利を手にした救国の英雄王、つい五年前までこの国に君臨していた前ラビス国王ルーデル三世、その人であった。

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