écriture Ⅱ
「ゲホッ」
なんだか咳が出てきた。
「ゲホッ……ゲホッ」
なんとなく頭が重い。
「水……」
水差しは確か机の上。
「あっ……」
急にグラッと眠気が襲う。
眠い。頭を使ったからか。それとも考え込んだからかな。この変な夢のせいかも。
そんな事を考えて私は眠る。
熱で魘された頭で考えるのは、一人で寝ていて寂しかった記憶と、外で遊びたかった幼い頃の淡い夢。寝込むたびに本を買ってきてくれた。だから本はたくさん読んで、何度も読み返した。
この部屋から出られない私の、唯一の楽しみが本だった。
本だけは私の友達で――、いつも一人にはしないから。
家中の本はこうして寝台に横になっている時に全て読んだ。だからお話は空で話せるくらいまで読み込んでいる。
遠い国の話、魔族の話、魔法の話、建国神話、この国の話。なんでもお話しできるだろう。
あと星の話。私は家から出られないから外のことは知らないけれど、窓から見える星なら覚えている。
「大丈夫、大丈夫、寝れば良くなるから」
呪文みたいに唱えて布団を被る。けれど心臓の音は速く、苦しい。収まる気配はなかった。でも抑え込みなだめる方法はないし、逆に止まっても困るのだ。
止まったら死が待っている。ならば速くても耐えるしかない。
治す方法はない。
『たかが風邪なんて』
それで、死にそうになるとは誰も考えないだろう。でも、私は他の人が風邪でどんなことになるのか知らないから、お互い様。
私は知らないのである。誰も私を知らないように。
私は「普通」というものがあんまり分からない。
「貴方のお話聞きたい」
彼はいつも読んだ本の話をしてくれる。十四年間屋敷の外で孤児として生きてきた彼は、文字を読むことを覚え、それからたくさんの本を読んでいる。文字を読めるようになることは彼にとっての夢だったらしく、図書館で本を借りては私にも読んで聞かせてくれるのだ。キラキラと目を輝かせて楽しそうに話す彼だが、自分の過去の話は全くしたがらない。
私はこの屋敷と貴族街しか知らない。彼が十四年過ごしていた貧民街とやらを、私は見たことがないのだ。
どんなところだろうと、私はよく考える。彼が全く話したがらない十四年間に、彼の身に何があったのだろうと――。
窓の外から様々な声が聞こえる。
使用人達が話す声、下の階で食事を準備する音、風の音、全く人が通る気配のないこの部屋の前の廊下の無音。
悪いことを考えるのは、寝台に寝ていて何もすることがないからだ。本を読む気分ではないし、暇だ。それしかやることがないのに、他に何をすればいい?
「お嬢様、お食事をお持ち致しました」
ドアをノックする音が聞こえ、部屋に入るよう促した。
「お嬢様……お食事どう致します?」
「……置いといて」
「でも」
「置いといて」
あまり食べたい気分ではない。
「後で食べるから」
嘘だった。侍女は一瞬困惑した表情をしながら、それを寝台の横にある机に置いて部屋を出た。
「私のことはいいから、彼のところに行ってあげて。早く治さないとただじゃおかないから、て」
「承知致しました」
侍女は部屋を出て行った。
本当にただじゃおかないから、元気になってまた部屋に来て。顔を見せて。お話をして。わがままなのは分かっている。
でも、この部屋以外知らない私は――。
◇◆◇◆◇
カシオペアとベガススの季節。望月。
今日は貴方が風邪を引いたから、私の部屋には誰もこなかった。
目が覚めた時と、ちょくちょく誰かは来たけど。
お父様は貴方のところに行っていると聞いたの。お父様も心配だったのかしら。貴方がたまにしか風邪を引かないから? それともお兄様が二人とも流行り病で亡くなってしまったからかしら。
私の部屋の前の廊下にも人通りは無くって、寂しかった。貴方の声が聞こえない。私が元気ならお見舞いに行けるのに。
なんで私はこんな身体なのだろう。どうして、病気なんだろう。もっと外で遊びたい。
貴方ともっと遊びたいのに。
そうすれば貴方と共に歩いて行けるのに。
◇◆◇◆◇
毎日日記を書く。いつもは明るい内容の話にしている。自分の身の上が、悲しいものにしたくないだけの強がりな文章。たまには本音でもいいじゃないか。たまぐらいは許して。
私による私だけの物語。この日記は私が紡ぐ、私が主人公の物語だ。だから私はこれを書く。作者は私で読者も私。
誰も読まない、私だけの物語だから。
◇◆◇◆◇
「お嬢様。お茶をお持ちしました」
二日経って、彼が部屋に来た。
私が起きるのを見計らったように正確な二回のノック音と共に彼が部屋に入ってくる。彼は黒い髪の少年でとても綺麗な顔をしている、私と同じ年くらいの男の子である。どこか寂しい目をした、人を寄せ付けない雰囲気を持つ不思議な男の子だ。
「まだ、風邪治らない?」
「いえ……大丈夫です」
「本当に?」
彼は恥ずかしそうに咳払いを一つ。
「本当は……奥様や周りの方にもう少し寝ているようにと言われました」
「じゃあ寝てなさいッ!」
私がクッションを投げると、彼はトレーでガードする。慣れた手つきが逆にイラつかせる。
「だって、お嬢様寂しかったでしょう? 僕が来なかったらこの部屋には誰も来ませんし……」
彼は察する能力というか、表情で相手の心を読み取ることに長けている。なぜかは分からないのだが、どんなに上手く取り繕っても彼の前じゃ意味もなく全てバレてしまうのだ。
寂しかった、それは合っている。
「貴方が風邪を引いたら……お父様やみんなが心配するわ。もちろん私も」
自分の心を丸裸にされたような、完璧な読心術に私は勝てない。
「そうですか。ありがとうございます」
彼は本当に嬉しそうに顔を綻ばせる。慣れた手つきで紅茶を淹れ、彼の執事としての業務を行う。その仕事ぶりは非の打ちどころがなかったのだが、あまりにも完璧すぎるのだ。
人間なのに人間っぽさが彼にはない。
「お嬢様、熱いのでお気をつけください」
彼が紅茶のカップを手渡す。ふんわりと湯気が上がり、彼は自分のカップにも紅茶を注いだ。今日も変わらない。美味しい。
「そういえば貴方って欠点とかあるの」
「なぜです?」
「うん、気になっただけ」
風邪を引くから人なのは確かだと思うのだ。でも、そのぐらいの歳の男の子にしては大人びていて胡散臭さがある。彼を早く大人にしてしまった原因。それがなんなのか堪らなく知りたい。
「欠点……僕にですか」
欠点などあるのだろうか、と気になっただけだった。
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