番外編

あたりまえの平和がこんなにも愛おしいⅠ

「デファンス様ァッ!」


 遠くで叫ぶ声がした。続く、彼が走る革靴の音。


 それは全て、デファンスがいる足元で聞こえている。


「今日こそは見逃しませんよ!」


 負け犬の遠吠えのように、彼は叫ぶ。


 が、しかし、彼の足音は段々と自分から離れていった。


 ――どうやら気づかれなかったようだ。


「僕はこっちを見るから、君はそっちに行ってくれ。絶対に皇女を捕らえよ。僕に怒られたくなかったらな!」


 指示をするのは見た目は少年、はたから見たらとても執事長には見えない彼だ。今日は肩までかかる長い黒髪をポニーテールにして、髪留めで止めている。幼顔の少年執事。


「デファンス様ぁ、どこに行ったのですかぁ!」


 泣き言を垂れ流しながら彼は廊下を走っていった。


 彼の手にはまっさらとした一着のドレス。それを地面で引きずらないように、慎重に丁重に扱う素振りは流石というもの。


「……行ったかしら」


 デファンスは使用人達が廊下を走って行ったのを天井裏から見て、そっと降りた。周りには誰もいない。


 念入りに確認、確認。


「式典の度に追いかけられちゃ、キリないわねぇ。ロドルには悪いけど今日も逃げて、絶対に式典に参加するもんですか」


 服についた煤を払って辺りを見渡す。


 今日は魔王城一階の大ホールにて、魔王城周辺に住まう貴族や著名な政治家などを集めて式典を行う日。


 式典の後には舞踏会になり、それにはもちろん皇女であるデファンスも参加することになっている。しかし、彼女は参加せずばっくれようと思っていた。


 貴族が来る場所に、噂をされるのは『第一皇女のくせになんの力も持たない役立たず』であるということだけなのだから。


 それを聞くのがイヤで、そのような式には参加しない。


 だが、毎回あの執事は参加させようと躍起になっている。


 お父様は嫌なら出なくていいと言っているし、お母様も同様の意見なのだ。だが、彼だけはこう言う。


『デファンス様、貴方がそのような式が嫌いなのは知っています。ですが、逃げているだけでは解決致しません。真正面から当たっていかなければ、なにも解決しません。逃げるだけでは解決しないのですよ』


 ――説教くさい。


「お節介」


 彼はまさにそうなのだ。また、バタバタと音がする。


「デファンス様ぁーッ! 出てきてください。僕、疲れましたぁー」


 叫ぶ声が遠くで聞こえる。


 この城は広く、迷子になることもあるほど。誰かが使った魔術により異空間になっている所も多く、空間の広さは無限大。


「ドレスを着るぐらいなら、勉強の方がいいわね……」


「えー、デファンスちゃん、ドレスも似合うのに?」


「似合うって言われても好きじゃないものは好きじゃないのよ。動きづらいったらないんだもの……」


 声の方を振り返った。彼は「ん?」という顔をする。


「い、……いつからそこに」


「俺? あー、デファンスちゃんが天井裏から降りた辺りからだよぉ」


「気配がなかったわよ」


「俺、元々気配なんてないよ?」


 頭の後ろで手を組んでとぼけ顏をする燕尾服姿の執事。背はロドルより五センチか高い、二十代後半の見た目の男がそこにいた。


「アルバート……」


「うん、デファンスちゃん。またあいつから逃げてきたのかぁ? あいつも苦労してるんだよ? まぁ、あいつは頭が固いから『女性はドレスを着るものだ』っていう固定観念はあるけど。俺らはどう足掻いても古い考え方だからね」


 アルバートはこの魔王城の執事である。


 専門は酒蔵でバトラー。元々お酒好きなことと、知識が多いのでそこを任されている。お酒はよく飲む方だが、酒に強く「ざる」である。


 使用人達で酒盛りをしても、彼だけがいつも素面だった。


 ロドルを度々酒場に連れて行き、潰しているのをしょっちゅう見かけるが彼らの関係性は不明である。


 同僚というには仲が良すぎる気がしないでもないためだ。


 彼曰く『あいつは酒が弱いから酔わせると楽しくって、楽しくって』と、完全に遊び目的なのだが、魔王の側近で使用人達を束ねるトップの彼を翻弄しているのは見た限り彼ぐらい。


 アルバートは隣を歩いていた。


 気配はなく、普通に当たり前のように隣を歩いていた。


 ロドルといい、なぜ、気配がない奴ばかりなんだ!


「私をロドルのところに連れて行くの?」


「へ?」


「……貴方も執事でしょ」


「俺? 俺はー……」


 アルバートは考え込んでまた話し始める。


「俺はさ。あいつがデファンスちゃんを心配してるのは知ってるけど、俺がデファンスちゃんをあいつの所に連れて行く理由はないんだよ」


 デファンスがアルバートの顔を覗き込むとアルバートは意地悪そうにニヤリと笑った。


「……連れて行って欲しい? あいつの所」


「ふぇっ!?」


「んー、可愛い。お兄さん、ちょっとからかってみたいなぁー。あいつがどこにいるのか俺は知ってるんだよね。あいつ、行動パターンは結構単純なんだよ?」


「えっと……ちょっ!」


「あいつもいいよなぁ。こんな可愛い子に意識されてるのに、もったいない……、俺なら絶対に見逃さないのにぃ」


「アルバート! ちょっと待ちなさい!」


 アルバートはデファンスの声で動きを止め、目の前で膝をつき、右手を取っていた。


「俺さぁ、デファンスちゃんは皇女様としてじゃなくて普通の女の子として好きだよ? 可愛いから」


「……っ、やめなさいもう!」


「いいじゃーん。照れなくてもいいのにぃ」


 ケラケラと笑うアルバートは、手に取ったデファンスの右手にそっとキスをする。反射的に手が引っ込んでしまう。


 その時だった。


「……ッアルバート、てっめぇ!」


「ぐふっ!」


 廊下の向こうから走ってきたロドルの跳び蹴りがアルバートの脇腹にクリーンヒットした。吹き飛ばされたアルバートは壁に打ち付けられてもなんのその、すぐに立ち上がって頭を掻いた。


 ――全く丈夫な奴!


「もー、騎士様ぁ。廊下の端から走って蹴とばさなくてもいいじゃない?」


「てめぇは仕事をしろ! 料理長がカンカンだぞ!?」


「俺がいなくても酒は用意できるだろ? なんで俺を……」


「毒味だ毒味! もし、酒が悪くなっていたらお客様に無礼だろ!? 毒味をしてくれだとよ!」


「実験台かよ……」


「バトラーとはそういう仕事だ。分かったら働け」


「へいへーい」


「アルバート、『はい』は一回」


 頭を押さえて立ち上がるアルバートを、ロドルは説教している。


「お前はなんでここに」


「遠くからデファンスが見えて、お前がそばにいたからだ。お前こそ、デファンスに何か変なことしてないだろうな?」


 今まさに変なことをしていたアルバートは、ロドルの質問にこう答えた。


「俺がするわけないだろ? ゼーレ様に俺が殺されるよー」


「何してた?」――ロドルの冷たい声。


「挨拶だけ。手の甲に」


「口じゃないだけマシか……」


 ロドルは頭を押さえた。


「だってー、手の甲はお前もやったことあっ……」


「黙れ、アルバート」


 鋭く睨むロドルはデファンスの前に膝をついた。


「大丈夫でしたか?」


「えぇ」


「これで拭いてください」


 そう言って手渡されたのは一枚のハンカチだった。


「穢れがコレで拭き取れます」


「俺はバイキンかよ」


 アルバートがため息をつく。デファンスはそれ以上に目の前の彼が取った行動に心臓が飛び跳ねるような感覚を感じた。


「デファンス様」


 ロドルの手が自分の手を握っていた。


「やっと捕まえましたよ。さぁ、お召し替えください。僕はこの手を離しません。絶対に連れて行きますから」


 ロドルの顔はにこやかだが、その声には怒気が混じっている。


 彼は立ち上がりデファンスの手を持ったまま引っ張った。


「痛いって!」


 引っ張られた腕は痛い。引っ張る力は強く、無理やり歩かされる。その行為は、従者が主人にすることとは到底思えない。


「いーえ、少しぐらい我慢しなさい。僕がどれだけ苦労したと!」


「お前も厳しいなぁ」


 アルバートはついて行きながらもデファンスに加勢することはしない。黙ってそれを見ながらロドルの横を歩いていた。


「アルバート、助けなさい」


「俺も嫌なんだよ。デファンスちゃんが痛い思いをするのを見逃したくない。でも、俺も執事長に怒られちゃう。こいつ俺よりもチビで幼くてガキだけど、これでも俺の上司だし。だからごめん!」


 顔の前でパンっと手を叩き、謝罪のポーズを取るアルバート。


 ただ、彼の本音は次の台詞だろう。


「正直なところ、デファンスちゃんのドレス姿が見たいの!」


「裏切り者!」


 そう言っている間にロドルはとある部屋にデファンスを引き込んだ。メイドは数人。衣装部屋である。


「手筈通りにお願いします」


「はい、ロドル様」


「……様付けはいらないよ」


 様付けされると照れたように顔を背けるロドルである。


「デファンス様、僕らは部屋の外にいます」


「え! 部屋から出て行くのか!?」


「無礼だぞ、とりあえずお前も来い」


「あっ、ちょっと執事ちょー!」


 アルバートはロドルに腕を引っ張られて部屋を出て行った。


 怒鳴り声のような喋り声が部屋の外から聞こえ、ロドルがバタンとドアを閉めると完全に無音になった。

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