追憶――消し去った日々Ⅵ-①

 僕らの住む家は、高台になる丘の上。


 だから街までは坂を下りなければならない。


「ホルド、早く!」


 リュビは坂を滑り降りて行った。僕も続く。


 ズササーッ。


 草叢はそんな音を立てながら掻き分けられる。


「ちょっとー、大丈夫? 転けた?」


 足を取られて地面に尻餅をつく。


 走り寄ってくる彼女の手を取りながら、僕は苦笑いをする。


 恥ずかしいところを見られてしまった。


「ごめん、転んだ」


「気をつけてよー?」


 リュビがいつも薬を作る時に着ているぶかぶかの白衣が風に揺れている。確か、親からもらったらしい。


 だからなのかもしれない。身体よりも大きなそれは、ポケットに可愛い猫の縫いぐるみやお菓子が入る代わりに彼女をいやに大人にしてしまっているような気がした。


 実際、どうかは分からない。


 でも、僕はそう感じてしまうんだ。


「行くよ!」


 街までは少し歩く。


 丘の下の家達は王都まで整列している。


 見晴らしの良いこの場所が、僕は初めて来た時から好きだった。




 ◇◆◇◆◇




「次はー、商店街かな? ホルド、夕飯何がいい?」


 リュビが僕の顔を覗き込む。


 大きな瞳に吸い込まれそうに思うのはいつものことだ。


「何がいいかな……、リュビの作るご飯はみんな美味しいから」


 僕はそう呟く。リュビは「そうかなー?」と照れ笑いをする。


 それは、一瞬のことだった。


「ッ!?」


 僕は顔を強張らせた。


 目を見張り周囲の音に耳を傾ける。振り返ってもただ歩く人が目に入るだけでなにも異変はない。


 気のせいか?


「どうしたの?」


「いや、何でもない」


「そう?」


「……うん」


「そんなにオーバーなリアクション取らないでよ、驚くから」


「ごめん、ごめん」


 リュビが品物を選ぶ間に、僕は隠れて思索する。


 さっき感じたもの、それは言うならば『殺意』の気配だった。真っ直ぐ、僕達に向かって。


 何者だ? なぜ?


「調べる必要があるな」


 低い声。それは不思議な感覚だった。いやに頭が冴えていた、この状況を冷静に受け止めた自分に驚いたのだ。


 まるで、自分の中にもう一人、別の自分がいるのかのように。


「リュビ、少し席を外す。僕が……」


 そう言いかけたその時、声をかけられた。


「指揮官! 指揮官じゃないですかー。お久しぶりですね、今日はどういったご用件で?」


 大通りを見ると向こうから馴れ馴れしく話しかける人影。


「あれ、知り合い?」


 リュビは不思議そうに僕を見るが僕に記憶はない。だからその人物が誰なのか分からない。なおもその青年は喋り続けている。


 真っ黒なロングコート、爽やかな笑顔を見せる髪が黒いその男。


 見覚えはない。だが――。


「指揮官、どうしたんですか? 急に姿をくらませて……探していたんですよ? あ、ありがとうございます。貴方のお陰ですか。感謝いたします」


 その男は恭しく腰を折り一礼した。


「いえいえー、どういたしまして。ホルドとはどういった関係で……」


 リュビがその男に慌てて礼をした後、そう尋ねた。


「このお方は我が軍の指揮官の方で……先月、遠征の帰りに行方不明になったと聞きまして。探していたのです。ですが、手掛かりはなく、こちらとしても途方に暮れておりまして。本当にありがとうございます。感謝の礼をしなければいけませんね」


 その男はそう言ってリュビの前に跪いた。


「あぁ! いけません! そんな……ただ、あたしこそ手伝ってもらったので。色々してもらいましたから」


 リュビはそう言って笑顔を見せた。


 その男は優しい笑顔を返し、立ち上がる。


「では、指揮官が戻りましたところで報告を軍にせねば。指揮官、行きますよ!」


 そう言って僕の腕を掴み、歩き出そうとする。


「え、ちょっと待て!」


 僕としてはこの男が何者なのか検討もつかないのだ。指揮官も意味が分からない。この行動にはリュビも反論してくれた。


「すみません! 私はホルドって呼んでいますが、彼は記憶が無いみたいで」


「あぁ、それなら問題ありませんよ。戦場に行った人間というのはよくこうなってしまうもの。彼を少し預からせてください。心配した彼の両親がよく来たりするのです」


「あぁ、それなら」


 リュビはホッと息を吐き、僕たちを見送った。


 僕はその男に掴まれた腕が引かれるままに足を動かすしかなく。この男が裏路地に入るまで息を切らさなければならなかった。細い路地を一つ入ったところで男は歩く速さを緩めた。


 黒いロングコートの男は、後ろを振り返らずに歩き続けている。


「おい。本当の目的は何だ」


 後ろ姿はビクリと動く。動揺は見受けられない。


「何がですか?」


 男はようやく後ろを振り返った。人が良さそうな、といえば聞こえはいいが――。演技のかかった薄ら笑いに僕は苛立った。


 そして、この男も僕のイラつきに薄々気づいている。僕の勘を信じるならば、さっきの殺意はこの男に間違いない。


 それを知って、なぜ、声をかけた?

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