第237話:蘇りすぎる、メモリー。❶

「幻想月世界旅行記」― ルーク・ハミルトン・ジャンセン著より。


「ワイバーン卿、言いたいのはそれだけか!?」

リンドブルムの問いは失望感に満ちていた。彼は竜騎士の地位を返上しに王宮を訪れていたのだ。


その理由を聞かれたワイバーンの答えはおおよそ、リンドブルムにとってはその決定の重さとは裏腹に軽いものでしかなかったのだ。

「私はもう痩せ我慢をやめたのです。私は天が私に与えた賜物ギフトの価値を量りたいのですよ。このリンドブルム公という秤によってね。」


 慇懃な表情に皮肉と嘲笑いの波動を塗りこめたワイバーンの答えに、リンドブルムは諭すように言った。

「ワイバーン卿、我々に与えられた賜物の強さの表れ方は等しいものではない。しかし、それを民と義のために用いる時、その尊さは等しいものだ。それを忘れる卿ではあるまい。」


ワイバーンはあくまでも口調は穏やかであったが、その内面に極めて苛烈な心情が込められている。

「そいつはお為ごかしだな、リン。俺は竜騎士である以上、最強でありたいのだよ。俺が望むのは『畏敬』だ。尊敬ではないのだよ。」


[星暦1554年11月15日。王都キャメロット。]


 前夜祭は決勝戦というか「選挙」らしく政策のディスカッションが行われた。凜とジュニアがパネリストとして公開討論を行った。


討論会と言っても他の出場者たちにとっては立食形式のパーティーであり、それほど堅苦しいということはない。放送用のスタジオも兼ねているステージと客席の間に遮音壁があり、雑談しても邪魔にならないようになっているのだ。

リーナは会場の片隅でソフトドリンクを飲みながらステージで交わされる討論に耳を傾けていた。

(あのジュニアって人、すごく変だ。すごく華麗な言い回しで普通のことしか言わない。なんだろう?自分に酔っ払っているのかしら。普通の選挙だったら、私、この人に投票したくないな。)

 ただ、これは投票ではなく、対戦によって決着するのである。


「お嬢さん、お元気ですか?」

 リーナは突然声をかけられ、驚く。ただでさえイカツイ「クリス」がついているのに高身長になったリーナに声をかける人は限られているからだ。

「え、あの、確か、デオン・ド・ボーモン卿ですよね?」

ルイが話しかけてきたのだ。リーナ的には今日は「ダンス・パーティー」ではなくてよかった、という思いが頭に浮かんだ。


「良かった。覚えていてくれたのですね。」

ルイは微笑む。こんな美青年、一度見ただけでも忘れるはずはない。

「明日、僕も出場するんですよ。どうかお手柔らかにね。」

ルイが差し出した手をリーナは握る。


 その瞬間、リーナは握られたルイの手から電流が走ったかのような衝撃を受けたように感じた。

「す、すみません。大丈夫でしたか?」

「あ……、はい。」

リーナはそれが静電気のせいだと考えていた。


その晩、リーナは久しぶりに幼い頃を過ごした孤児院の夢を見た。彼女が幼い頃を過ごした孤児院は小高い丘の上に立てられていたのだ。ただ、いつもと違うのはリーナが子どもの頃の姿ではなく、現在の姿だったことだ。


リーナの姿を見つけ、子供たちが走り寄ってくる。リーナはティンクがインストールされた時、脳内、それも大脳皮質にC3領域が形成される過程でまとまった記憶は失われてしまっていたのだ。これほど明快に思い出したのは初めてのことだったのだ。


リーナは一人一人の名前を呼ぶ。

「ポリー、マイク、ステフ、ルーシー、アラン、ベッキー、みんな、元気そうね。」

そしてだれか一人いないことに気づく。

「あれ、ルイは、ルイはどうしたの?」


子供たちはみな一様に首を振る。

「ルイは、リーナを迎えに行ったんだよ。リーナが寂しそうな顔をしてるから、きっと新しいお家でいじめられているんだ、っと言って。」


リーナはルイらしい思い込みだ、と苦笑いを浮かべた。

「わたしなら大丈夫よ。お父さんもお母さんもとっても優しくしてくれるの。」

「あ、ルイが帰ってきた!ほら、ルーイ!」

子供たちが大きく手を振る。リーナが振り向くとあの、デオン・ド・ボーモンがタキシードを着て、大きな花束を持って丘を登ってきたのである。


「あなたが、ルイ?」

リーナが恐る恐る尋ねる。そうだ、ルイだ。すっかり大きくなってしまっていたけれど、間違いなく、ルイだ。一気に記憶の糸がつながる。ルイは微笑む。

「やっと、思い出してくれたんだねリーナ。ずっと、ずっときみに会いたかったんだ。そして、僕はすっかり変わってしまった。」

 ルイがリーナに花束を渡す。それは真っ赤なバラの花束だった。花から赤い液体が流れ出す。

 リーナが驚いて中を見るとそこには「フランクおじさま」の生首が恨めしそうにこちらを見ていた。その液体は鮮血だったのだ。


リーナは絶叫した。


 あまりの衝撃にリーナはそこで目を醒ました。

「大丈夫ですか、リーナ?」

ティンクが心配そうにのぞき込む。血圧と心拍数が瞬間的に異常値に達したため、リーナを強制的に起こしたのだ。


「ゆ……夢……。」

リーナはベッドから身をおこす。まだ夜明け前の時間だ。リーナは冷蔵庫に入ったミネラルウオーターを飲んだ。


「ティンク。」

 リーナの頭の中で、孤児院時代の記憶が蘇る。幼かったリーナの最初の同い年の友達。それがルイだったのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る