第214話:見えにくすぎる、成果。①

[星暦1554年10月26日。聖都アヴァロン。]


 アンは精彩を欠いていた。誰の眼にも明らかなほど、仕事へのモチベーションが下がっていたのである。

「どうしたんだい、アン。体調が悪いなら休んでもいいんだよ。」

父は娘の心配もあったが、扱う刀の方もまたも心配であったのだ。

「⋯⋯うん。ごめん、パパ⋯⋯親方。ちょっと息抜きしてくる。」

アンは立ち上がると工房を出る。秋の陽射しとはいえ、炎が巻き起こる工房内とは別の明るさである。アンは手で庇を作った。

「はあ。」

 アンは頭に巻いた手ぬぐいを取り、首にかけたタオルで額に浮いた汗をぬぐった。手に持った水筒の水を飲む。


彼女は石垣に腰掛け、秋の風を浴びていた。

「あーあ。やっぱり私、お姫様にはなれないんだなあ。」

アンの脳裏にはメグの試合での姿が浮かぶ。 強くて、美しくて、凛々しい。メグのファンは男性よりも女性の方が多いのだ。しかも、あの『イゾルテ』の姿は凜を巡るライバルと見ているアンにとっては、嫉妬を抱かせるどころか、圧倒的な美しさと可憐さに打ちのめされてしまうほどのものだったのだ。


そして、先日の由布子である。父親の透もヌーゼリアル人(エルフ族)の血が流れており、いわば「クオーターエルフ」なのである。すでにその片鱗は現れているが、時が経てばすぐにアンの背丈を追い越し、より美しく成長するだろう。

「チート女子、ズルすぎる⋯⋯。」

それに比べたら自分は限りなく平凡である。むろん、彼女は人ごみに混じれば浮き立つほどの美人ではあるが、比較する対象が悪すぎるのだ。


「あ、アン!久しぶり!」

女の子の一団がアンの側を通り過ぎる。近所の商会や工房に勤める女の子たちだ。義塾(小学校)での同級生だった娘たちだ。これから早めのランチにでも向かうのだろうか。

「アンのチーム、凄いね。準決勝進出なんて史上初めてなんでしょ?みんな応援してるよ。」

 可愛い制服を来て、きれいにメイクをし、ネイルもしている、普通の女の子たちだ。一方、アンと言えば汗をかくため、ウオータープルーフの化粧をするか、スッピンである。

(これじゃあたし、お姫様どころか、普通の女の子以下だよ。でも、とりあえず今日はスッピンじゃなくて良かった。)

ほっと胸を撫で下ろしたところ、後ろから肩をトントンと軽くたたかれ、アンは驚いて飛び上がりそうになる。


やあハイ。」

その正体は凜であった。

「ねえ、アン、ランチ一緒にどう?もちろんおごるよ、国家予算でよければ。」

アンは突然の展開にコクコクと頷いた。

(ほんとうに良かった⋯⋯。今日スッピンじゃなくて。)



「アヴァロンか⋯⋯。日の本であれば京の街、と言ったところじゃそうな。」

 準決勝のアウエー戦のため、十兵衛も鎮守府と共にアヴァロンに入っていた。アヴァロンは古都の趣きを色濃く残しており、ビジネス中心の新市街エリアはモダンなビル街となっているが、聖槍、聖堂騎士団や人民大聖堂のある文教エリアは景観保護が徹底されているのだ。


「ジュード師。」

十兵衛は突然呼び止められてゆっくりと後ろを振り向いた。呼び止めた男はフォークであった。

「なんだフォーク殿か。如何なされた?」

 鎮守府の「選挙大戦部隊」のリーダーであるマキシム・ウルフハウンド・フォークは神経質そうな風貌の割に細かい気配りの出来る男であり、それ故にアクの強い部隊のまとめ役を任されているところもあった。大戦後は幹部に取り立てられるだろう、そう皆が見立てていた。


「ジュード師、たまには一献いかがか?」

フォークが珍しい誘いをかけてきたのだ。しかし、まだ昼である。ジュードは空を仰ぎ秋の陽射しに少し目を瞑る。

「いや、まだ日も高かろう、それに明日は大事な一戦なのじゃが。構わんのかな?」

ジュードの声が拒絶ではないことを悟るとフォークは笑みを浮かべてた。

「だからこそ、ですよ。もうジタバタしても始まりません。後はぶつけるだけですよ。私の5年間の全てをね。」

十兵衛は彼の態度に肩の力を抜いた。

「左様か、5年か。長きようで短かきものじゃ。」

十兵衛はここに「転生」してからは2年ほどである。


二人はアヴァロンの街並みを歩きながら話をした。それは主に十兵衛の戦術や武術の「理論」を語っていた。

「軽く飲むなら、こういう処にでもしようか。」

二人が入ったのは「蕎麦屋」である。アヴァロンの街はいわゆる「和食」の店が多い。この街を開いた「解放戦争」の英雄、「不知火尊=パーシヴァル」の影響が強いのもあるが、アヴァロンは山地が近いこともあり蕎麦の産地がそこにあることも大きい。


二人はテーブルに座るとメニューを見る。十兵衛は言った。

「蕎麦はのう、もともとは痩せた山地でも育つでのな、大名どもはこぞって百姓どもに作らせたものだ。飢饉対策にもなるし、年貢の対象でもないゆえ、売れば百姓どもの副収入みいりにもなるでな。」


「おお、ヌードルなんですね。そうですか。蕎麦粉バックウイート料理と言えば、故郷くにではガレットだけでしたね。」

フォークは珍しそうにメニューをめくる。ちなみにガレットとはそば粉で作ったクレープのことである。


 二人はいわゆる「天せいろ」を頼むと蕎麦が来るまで天ぷらをつまみに酒を飲む。

 そこに現れたのが凜とアンであった。

(嬉しそうだな、アン殿)

 サーモグラフィーで見ると彼女の体温の上昇が見て取れた。アンは十兵衛に気づかなかったようである。それだけ舞い上がっているのだろう。十兵衛は敢えて声をかけないことにした。


今日は金曜日、ヘンリーの「カフェ」は定休日なのである。もちろん、凜としてもカフェの賄いがないから、という理由だけで彼女を誘ったわけではない。先日の食事会で由布子に自分を独占されていてアンが少し機嫌を損ねているだろう、と見ていたからだ。


「この前、由布子にばかりかまけていてアンとゆっくり話しができなかったからね。埋め合わせもしたかったんだ。」

「うん、私も『凜分』が不足してたところだから。」

アンは凜の手を引くと座敷席に陣取る。


 久しぶりに凜にべったりと甘えられてアンは先程までの悩みが吹っ飛びそうであった。


(ふむふむ、よかったの、アン殿。)

並行処理でフォークの相手をしながら十兵衛はアンの様子も窺っていた。

「それで、ジュード師は何かの任を帯びておられる、と皆見ておるわけです。⋯⋯なにか、企んでおられる、とね。⋯⋯聞いておられますか?」

軽く飲むはずだったのだが、フォークの方はだいぶ酔いが回って来たようである。十兵衛は出されたボトルを確認した。

(ほほう、これが蕎麦焼酎か⋯⋯。やれやれ、飲み慣れぬ酒は回り易いか。)


フォークや他の団員たちの懸念もわからないでもない。確かに、「最強騎士団」に突如送り込まれた「助っ人」である。しかも団長は易々諾諾とそれを受け入れた。政治的な意図、それも巷で囁かれている「国王派」と「円卓派」の対立が関係しているのではないか。それに巻き込まれてしまうのではないか、彼らは不安に思っていたようだ。


騎士たちの多くは自分の栄達もさる事ながら、自由と正義のために戦っている、その気概が強いのである。


十兵衛は苦笑を浮かべた。

「拙者の正体、か。それはなんとも言えぬ。なにしろ拙者は拙者だ。それ以外の何者でもないのでな。ただ、拙者は貴殿らを勝たせるためにここへ来た。だから死力は尽くす。それは信頼していただこう。


 そして事は『戦後』にある。どんな結果に終わろうと『奥の院』の御仁ごじん方は国王陛下には民政のみにご注力いただき、人間のことは人間で決める、そうする方針じゃ。まあ、ひと悶着あるじゃろうて

 いずれにせよ、あの『聖槍騎士団』には負けていただく、それが拙者の任なのだ。」

フォークの眼がだんだんと座ってくる。

「それでは戦争になりますよ。しかも国を分けた大戦おおいくさです。正気なのですか?」


十兵衛はフォークのコップに酒を注ぐ。

「拙者も権現様(徳川家康)の世より後の生まれじゃが、それでも小さな戦はあった。いずれの戦もそれはそれは酷いものであった。戦はの、とばっちりはすべて民草に負わされるものよ。そうさせぬためにもあの小童は止めねばならんのだ。」

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