第211話:既視感すぎる、ヤマアラシ。②

[星暦1554年10月23日。聖都アヴァロン。ギブソン家工房]


工房の片隅でアンは一人、刀を研いでいた。規則的に刃が砥石の上を滑る。


色即是空シキソクゼクウ⋯⋯。」

アンは十兵衛の愛刀『三池典太光世』の法術回路ルーンのことが頭から離れなかったのである。物質界ではきわめて不安定な重力子金属を固定させるに必要な法術回路ルーンであるが、剣にはいわゆる「ルーン文字」を使うことも多い。一方、刀の場合は「梵字」や「漢字」を使用することが多いのである。


 アンの手元に迷いが見えたのか父のラッキースター・ギブソンが叱咤する。

「どうしたアン?心ここにあらずじゃないか? 困るぞ。」

自分の心を見すかされアンはびっくりする。

「ご⋯⋯ごめんなさい。」

アンは慌てて手元に注意を集中する。ギブソンはそのまま話を続ける。

「アン、今日は晩御飯に透たちを呼んでるんだ。お前も時間をちゃんと開けるようにな。」


「ええっ?」

自分のあずかり知らぬところで勝手に予定を入れられ、年頃の娘は抗議の声を上げる。


「実はな、凜も来てくれるんだぞ。」

もったいをつける父に娘の答えは思ったほどのものではなかった。

「う⋯⋯うん。わかった。ちゃんと予定、開けとくから。」

父は娘が喜んでくれるものと思っていたのに、つれないリアクションに少しがっかりしたようだ。もちろん、アンとて大好きな凜が来てくれるのは嬉しいのだが、両親の手前、どんな顔をして会ったらいいのか素直に喜べないのだ。


「やっぱり凜くんに聞いて見ようかなあ。」

インターネットで調べようにも「法術回路ルーン」は一般向け教養というよりは工房、ギルドごとに「一子相伝」的なところがあり、公開された情報は少ない。


 一方、夕食は久し振りに凜の隣に陣取ったものの、思わぬライバルが登場していた。すでに透の娘の由布子=アンリエッタが凜にべったりと甘えていたのである。由布子も成長期の11歳、背丈も伸び、父譲りの端正な面立ちに母譲りのくりくりとした瞳が可愛い美少女になっていたのである。

「由布子、あんたもう11歳なんだから、そういう小さい子みたいな甘え方をしてはダメよ。淑女レイディらしくなさい。」

母ナディンにたしなめられるも、

「だって、凜とはたまにしか一緒にいられないもん。だからいいの。」

由布子はそういって聞かない。由布子は凜の右隣に、アンは左隣に陣取る。アンも対抗して甘えてみたかったものの、母親にちょくちょく呼び立てられ、給仕などの雑用で度々席を外さざるをえなかったのだ。


「ねえ由布子、パ⋯⋯パパに甘えてもいいんだよ。こっち来る?」

透から嫉妬心ジェラシーが漏れ出る。でも娘はつれない。

「パパにはもう一生分甘えたからいいのっ。」

肩を落とす透をしり目にナディンは近況をばらす。

「由布子、最近は『パパは嫌』、って言い出し始めたからねえ。」

ナディンに親娘の近況をラッキースターにバラされ透は頭をかいた。


「やれやれ、アンが『パパ嫌』、って言い出した時にはうちは絶対にそうならないとか豪語してたのにねえ。」

ラッキースターはいつぞやのお返しとばかりに透をからかった。

「ま、そうやってだれもが大人になっていくものよ。人間生理学的にはなんの問題もないわ。」

ナディンはそう言って、はしで料理をつまむ。透は酒の瓶をもってたつと凜とアンに言った。

「そう言えば、凜もアンも二十歳越えてたな。どうだ、一献?」


「ねえ凜⋯⋯、『色即是空』って何?」

食事が終わり、満腹になった由布子に膝を枕に差し出している凜にアンがふと尋ねた。

「随分『難しいこと』を聞くね。何かあったの?」

凜はそう言って天井を見上げた。

「ううん。別に大したことじゃないの。」

一度、否定してから、アンは十兵衛の名を伏せて刀の「法術回路ルーン」であることを告げる。

「なんだ? 仕事の話か、パパにも聞いてごらん?」

娘と酒を相伴してもらい、上機嫌の父ラッキースターが絡む。

「もう、酔っ払いは嫌い。」

アンが露骨に嫌な顔をする。


凜は少し考えてから答えを口にする。

「正確には円環教の中心的な教義の一つだね。物事には原因である「因」とそれを左右する状況である「縁」、そしてその結果生じるの「果」が存在する。だから「果」自体は本質のない「空」である、ということをまとめて言ってみた、って所だね。」

端的に答えたのだが、アンには少し難しかった。

「うえッ、なんか私まで酔いが回りそう。⋯⋯でも、前に聞いた『縁』も関係してるのね。」


凜は少し笑ってから続ける。

「でもね、これは瞬間移動テレポーテーションの極意でもあるんだよね。」

「凜の?」

「僕の場合はちょっと毛色が違うけどね。今現在銀河系を旅する人々の主流のワープ方式だね。量子の共振によって物質の性質が一方から他方に移る。その性質を利用して人々は光速を超えるスピードで旅できるんだ。亜光速だとウラシマ効果で移動開始点と終点と移動者の間に物凄い時差が生じてしまうからね。」

凜の話は加速的に難易度を上げていく。

「⋯⋯もういい。なんか、色々お腹いっぱいになってきた。もっと簡単なのお願い。」


アンのリクエストに凜はもう少し考えてから答える。

「例えば、今ここにいるアンが量子ワープで師匠パパの隣に行くとするよね、ここにいるアンは跡形もなく分解し、一方で向こうで新しいアンが形成される。でもそのどちらも同じアンなんだ。要はアンの姿が『色』だとすると、アンの今の身体は絶対のものではない流動的なもの、という意味で『空』なんだ。」

アンは両手をあげギブアップした。

「難しいからもういいよ。」


「ダメじゃないか、アン。勉強は大事だぞ。」

根気のつきたアンにラッキースターが横やりをいれる。

「だーかーら、パパは入って来ないで。」


パパはいじける。

「スンスン、あんな娘じゃなかったのに。小さいころはパパ、パパって危ない工房の中まで迎えに来てくれていたのに。」

透も慰める。

「いや、まだ『パパ』と呼んでくれているだけまだ救いがあるじゃないか?『アンタ』呼ばわりなんてされた日にはもう……うう。」


娘に嫌われたわけでもないのに、妙な雰囲気を醸し出すおっさん二人を置いて、ナディンが尋ねた。

「でも、武士だったらどうなんだろう?騎士とはまた違うのかなあ。」

ここは「武士道」に一家言あるラッキースターがしゃしゃり出る。

「いや、武士道だったら、『桜』だろう。咲き誇る桜もやがて散る。その儚さが『色即是空』ではないのかな?」


「まあ、それも一つの表現ですけどねえ。」

凜は苦笑をうかべた。

 ただ『武士道』も『騎士道』も歴史上『後付け』の理論なのだ。キリスト教圏における「騎士道」は「極悪非道」以外の何者でもなかった「十字軍遠征」を正当化するためのファンタジーであった。

 一方の「武士道」も西洋から見下げられまいと足掻く有色人種国家が西洋諸国に向かって「我々も文明国ですよ」という背伸びして見せるためのアピール過ぎなかった。どちらも後付けの理論なのだ。


 つまり、この惑星スフィアの歴史こそが、初めて「騎士道」精神に則った「騎士」の文化なのである。しかし、なぜ国王が「民主主義」ではなく「封建制度」を取り入れたかついては、以前も述べたが、民度の向上のためである。


人間は文明の利器を与えられても「社会性」が向上しないのは地球での歴史を見ても明らかである。スマホを握っても「土人」は「土人」のままなのだ。その差は、主要先進国になった国々にはすべからく「封建制度」の経験があったのだ。

中央集権体制では権威が首都などに一箇所に集中し国民全体が底上げされない。中央(勝者)vs地方(敗者)の構造となってしまう。その究極の形態は「帝国主義」で搾取する側の「宗主国」とされる側の「植民地」である。


しかし、封建制度は地方分権であり、地方領主たちは自国の財政を賄うため殖産興業に精を出すことになる。そのためにはインフラや教育を整備することが必須なのである。もちろん、歴史が新しい国もあったが、それは連邦制をとっているため、やはり地方が底上げされていた。


スフィアは惑星国家であり、一つの国家として成り立って行くのは、やがて限界を迎えることはあきらかであった。しかし、違う主権国家として分立してしまうと双方の権益が衝突して戦争が生じる危険がある。それを防ぐためには国民一人一人の質を均質的に向上させねばならない。


凜が「派遣」された目的は単なるメテオ・インパクトという「大災害」の防止だけではない。そうした国家的危機はこれから何度でもやってくる。その時に団結して立ち向かえるだけの国民性を養わねばならないのだ。そのための騎士団制度、そして選挙大戦を含んだ「円卓」の存立目的だったのである。

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