第178話:すましすぎる、ポーカーフェイス。❷

凜たちは常連たちと楽しそうに会話していたのだ。そこに、店主が近づく。手に持った盆にはグラスが載せられていた。

「こちらをどうぞ。」

ジェシカにはバーボンを、メグにはギムレットを、そして凜の目の前には水が入ったグラスが置かれた。

「あちらのお客様からです。」

訝しげな凜たちに店主が手で指した方角に、満面の笑みのビリーがそこにいたのだ。


凜がグラスを掲げるとおもむろに立ち上がったビリーが近づいて来た。

どうもありがとうグラシアス。」

凜はあえてスペイン語で礼を言った。思わぬ凜のリアクションにビリーは鼻白んだようであった。

「お前はバカなのか?俺はお前を挑発してるんだが。」

ビリーもスペイン語で返した。ビリーはアメリカが戦争でメキシコから奪った土地に住んでいたので、昔から住んでいたメキシコ人とも交流が深く、スペイン語は達者だったのだ。

 そして、凜もアルゼンチンにおかれた大和国のコロニーの中で生まれた経緯があり、やはりスペイン語は達者なのである。


 ビリーとしては、凜を挑発し、怒って銃でも抜いてくれればなんの躊躇いもなく撃ち殺せるのに、と少し残念そうであった。凜もニヤッとして言い返す。

「そうだろうね、でも、僕は君の『手に乗れる』ほど小さくはないのでね。」

そう言って、逆にビリーのコンプレックスを突いてきたのだ。


ビリーは大声で笑った。彼は怒っても笑うタイプなので様々な精神的な波長が込められた笑いだ。

「お前、面白いな。お前、東洋人⋯⋯漢人チノか?」

そして、空いていたジェシカの隣に腰を下ろす。

「いや、大和人ハポネスだ。ただし、暮らしていたのはアルゼンチンだったけれどね。何もない大平原パンパの真ん中に故郷の街はあったよ。」

「なるほど、お前の田舎臭い訛りはそのためか?馬のしょうべんで顔でも洗ったのかと思ったぜ。」

「君こそひどいメキシコ訛りだ。のどにサボテンのとげでも刺さっているのかと思ったよ。」

スペイン語の応酬にジェシカとメグは目を丸くする。凜にとっては久しぶりに使ったスペイン語であった。


「さて、君はどうしても僕を倒したいようだけど、そうできたらどんな報酬が約束されているんだい?」

凜は初めて彼に会った時、ハワードと共にいたのでその関係性を予期していた。

ビリーはためらいなく答えた。

「牧場⋯⋯だよ。僕は自分の牧場が欲しいんだ。だから、明日僕は君を殺す。僕の夢のためにね。」

スペイン語で述べたこの言葉こそが、彼の本音に違いなかった。彼は言葉を標準語スタンダードに戻すとメグを見つめた。

「そして、嫁も欲しいな。どう?ハニー。僕のモノになる決心はついた?」

メグはいやそうにそっぽを向き、からかいには答えなかった。メグの手が凜のシャツをぎゅっと握っている。出会いや前回の対戦を含めて、彼に対する生理的な苦手意識が芽生えてしまったようである。

 凜はメグの精神状態が「臨界」に達する前に店を出ることにした。


「ところで、先ほど彼とは別の言語で話していたようだが?」

宿舎に帰る道すがらジェシカが尋ねた。

「ああ、彼の夢の話だよ。彼は、選挙大戦コンクラーベで名を挙げて、牧場を手に入れたいそうだよ。」

「牧場」という言葉が意外だったのか、ゼルが口をはさむ。


「牧場ですか⋯⋯。この惑星で天然の肉を食べられるのはかなり限られた人ですね。ほとんどの人は聖杯で造られた培養肉しか食べたことがないのではないでしょうか?」

 スフィアでは環境保全のため、牧場での食肉、とりわけ肉牛の生産はあまり勧められていないのだ。それで、聖杯で牛肉の細胞から培養生産された人工肉が主に食べられている。


 もっとも、牛を飼ったところで、北からの魔獣、そして南には巨人族がいるため、それら強力な捕食者から家畜を守るために戦わなければならず、その警備にかかる費用を考えると、コストパフォーマンスはかなり悪いのである。

「まあ、その点彼なら心配はなさそうですが。」

ゼルが腑に落ちたように言う。


「いずれにしても、この惑星ほしが滅びてしまえば牧場もなにもないのだがな。」

メグは自室に戻ってからつぶやいた。かつて、この惑星に迫る危険が明らかにされたとき、それは気が動転したものだったが、最近はその危機にも慣れ切ってしまっているようにも思える。

(いや、そうではない。凜と共にいるからだ。なぜだろう、凜とともにいると、不思議と勇気が湧いてくるのだ。なんとかなってしまいそうな楽観的ななにかが。)

 メグは先日「M」とかいう人物から送り付けられた怪文書を思い出した。普通の人間ならとっくに逃げ出したいレベルの任務だ。「化け物」くらいの胆力がないと気が狂ってしまうだろう。


[星暦1544年9月8日。北の学都ウインチェスター。選挙大戦コンクラーベ第4戦。 「天狼の牙フェンリルズファング騎士団」(ホーム)対「聖槍騎士団」。]


翌日、都市の闘技場は満員の観客で満たされていた。若い年齢層の人口が多い街だけに華やいだ雰囲気である。チームとして聖槍騎士団は決勝リーグ進出を決めているとはいえ、個人成績レーティングを稼ぐためには、騎士の試合に消化ゲームというものは存在しないのだ。


聖槍騎士団は地上戦デュエルは落とし、空戦マニューバにはいる。メグは副将戦で出場、メグが勝てば大将戦を待たずに空戦は取れる。ただ、彼女の対戦相手はビリーであった。ビリーは空戦用のブーツに履き替え、メグの様子を見ていた。へらへら笑っているようにも見えるが、もともとそれが彼の面構えなのである。


「ビリーってここじゃすごい人気なんだってさ。ああいうタイプが母性本能をくすぐるらしいぞ。」

リックがメグに言う。緊張気味のメグを慮ってのことだろう。

「そうなのか?」

メグが逆に聞いてきたのでリックは苦笑する。

「さあ、俺は女じゃないのでね。俺的にはああいう手合いはどちらかといえばイラっとするかな。」


「自分を見ているようで、か?」

ゼルが茶々を入れたのでメグから笑みがこぼれる。

「俺はあそこまでちゃらくはない。……メグ、気楽にいこうぜ。」

リックが真面目に答えたのがよほどおかしかったのか、メグは軽く息を整える。目的を果たしたリックはダグアウトに引っ込んだ。かわって凜がメグに近づいた。


「大丈夫?メグ。……落ち着いていこう。メグなら勝てるよ。」

凜が声をかける。メグも軽く答えた。

「もちろん、そのつもりだ。」


 アンがメグにドリンクを渡した。メグがアンになにやら耳打ちする。するとアンの表情が一変した。

「……凜!」

コーチングボックスへ向かおうとする凜をメグが呼び止める。凜が振り向いた瞬間、メグが凜の首に抱き着いた。

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