第163話:謎めきすぎる、貴公子。①

[星暦1554年5月5日:公都シャーウッド]


 リーナを夢を見ていた。しかも、ごく幼かった頃の、孤児院での夢だった。しかし、ティンカーベルを受け入れてから、記憶は残っているはずではあるが、どこかにひっそりとしまい込まれてしまい、出てこないものであった。だから、なんの拍子かこんな映像が現れるのは意外であった。


 幼いリーナは同じ年頃の男の子と手をつなぎ、孤児院の建つ丘を駆け巡っているのだ。しかし、何かにつまづいてその子が転んでしまう。リーナもつられて転んでしまった。


「もう、危ないじゃない。」

リーナは起き上がる。幸い、擦りむいたりしていない。しかし、その子の膝は擦りむき、ついた埃から血が滲んでいる。

「大変、すぐに戻って手当しなくちゃ。歩ける?」

そう言ってリーナは幼き友の顔を見る。その顔は恥ずかしさと痛みでくしゃっとなり、泣きそうだった。

「大丈夫? ⋯⋯。」

「うん。」

「じゃあ、いこう! すぐに傷口を洗わないと。ほら⋯⋯。」


リーナはその子の名を呼んだ。しかし、なんと呼んだのだろうか? その名前は⋯⋯。


「リーナ、起床時間です。」

ティンクに起こされ、リーナは現実の世界に呼び戻されてしまった。

「……あの子、なんて言ったっけ?」

蜂蜜色の柔らかそうな髪の男の子。やんちゃで、かないっこないのにいつも私に張り合って、そのくせ、いつも私のそばにいたがった、あの子。


凜の旅団に所属する外国籍の団員たち、メグ、トム、ロゼ、そしてリーナは実際の「名家」の子たちである。メグの父はヌーゼリアルの王太子、トムの養親はアマレク大統領、ロゼの父はフェニキアの高官、そしてリーナの養親もアポロニアの副大統領であった。


それゆえ、彼らはメイフェアのフィナーレを飾る舞踏会に随員としてではなく、正式な招待客として個別に招かれていたのだ。


それで、リーナも朝から宮殿に赴き、メイクアップアーティストにドレスの着付けやらヘアセットやらメイクやらで大忙しであった。着慣れないドレスはリーナにとってはストレスであった。

(パパのお仕事のパーティーに連れて行かれるのが本当に嫌だったわ……。でも、その時、お兄ちゃんに出会ったんだっけ。)

ただ、背が高く、胸も豊かでスタイルの良いリーナは美しいエルフ族(ヌーゼリアル人)を相手にしても遜色がなかった。


「リーナ、とても素敵だよ。今日は貴女にとって『デビュタント・ボール(社交界デビューの舞踏会)』になるんだね。」

凜に褒められて嬉しかったのだが、また緊張の度合いを増したのだ。

(リーナ、血圧が上がりすぎです。)

ティンクが落ち着くように言い聞かせる。


「じゃあ、行きましょうか。我が麗しの貴婦人マイ・フェア・レディー。」

凜に手を取られ、共に入場する。最初のワルツは凜が踊ってくれるのだ。息の合ったステップで二人は踊る。手袋越しに握られた凜の手のぬくもりが彼女の緊張を溶かしてゆく。目もくらむかと思った照明にも慣れてくると、孤児院時代からは想像もつかなかった世界に今いることが本当に不思議に思えてならないのだ。

(私は[I]、踊る[dance]、ワルツを[the waltz]、月の王子様と[with Prince of Moon]、舞踏会で[at the Ball]。)

リーナは子供の頃にした言葉合わせゲームを思い出していた。たぶん一生、縁が無かったはずの世界だ。そんな世界に凜は連れて来てくれたのだ。 だからきっと、大丈夫。


「お兄ちゃん、以前、ネコのマリオネットでダンスをしてくれたの、覚えてる?」

初めて二人が出会った頃、オモチャのマリオネットでダンスを踊ったのを思い出したのだ。

「覚えてるよ、えーと、『ドラえも●』と『ドラ●ちゃん』、⋯⋯だっけ?」

凜の記憶があまりにもいい加減だったのでリーナは噴き出しそうになった。

「ひどい。⋯⋯『キャル』と『チャーリー』だもん。」

「ごめん、⋯⋯そうだったね。でも、もうすっかりリラックスできたようだね、リーナ。」


凜と踊り、緊張がすっかり解けたリーナはパートナーを代え、何曲かワルツを踊り、無事にデビューを果たすことができたのである。しかし、そのパーティの片隅に人々を騒つかせる人物がいた。


 美しく整った顔立ち、細い肩と腰、長く伸ばされたはちみつ色の髪は後ろで束ねられていた。女性的でありながらも、タキシードを着込んでいる姿は凛々しく、出席者たちは男か女かどちらなのだろうか、と好奇の目で見つめていた。


 リーナもその姿に目が釘付けになる。思わず妄想の世界の扉を開いてしまった。

(あの人、男かしら、それとも女? でも、やっぱり男で、お兄ちゃんとベッドで絡んじゃったりしたらどうしよう。どっちが『受け』で、どっちが『責め』で……いいえ、絶対、『受け』はお兄ちゃんで!)


(リーナ、リーナ、『腐りかけ』てますよ。)

盛り上がりすぎる妄想にティンクから水を差されて、ようやく現実に戻ったリーナは、その人物がこっちに真っ直ぐ近づいて来るのを見て固まってしまった。その人物はリーナに声をかけた。

「私と一曲踊っていただけませんか? 」

鈴を転がしたような声で、それだけでは性別の判断は付かなかった。

「あの⋯⋯。」

驚いて固まったリーナに

「私は、シャルル・ルイ・デオン・ド・ボーモンと申します。ミス・メアリーナ・アシュリー。」

彼は片膝をついて胸に手を当てて一礼すると、そう自己紹介した。


「喜んで。」

リーナが差し出された手を取る。その瞬間、彼女の体内を電流のようなものが流れたようなショックを感じた。

(なにかしら⋯⋯。この感じ。懐かしいような⋯⋯。怖いような。)

ティンクも同じものを感じたようである。


やがて、音楽が変わると二人は踊り始めた。すると、ティンクが震え出したのだ。

(どうしたの、ティンク?)

一曲終わるとその人物はリーナの耳元で囁いた。

「ありがとう、リーナ。僕のことはルイ、と呼んでよ。忘れないでね(remember me)。」

思わずうっとりしてしまうリーナであった。しかし、ティンクは気がついていた。


ティンクは凜とすぐにコンタクトをとる。

「凜様。あの人、間違いありません。フットボールの試合でリーナの誘拐に関わったテロリストです。」

凜はびっくりする。

「え⋯⋯? 短剣党シカリオンの? ……確か、『ザ・タワー』と呼ばれていた子だよね。あの時とは全く雰囲気が違ったけれど。」

(おそらく成長したからでしょう。それに、『彼女』には確か有人格アプリがインストールされていたはずです。それが変化をもたらしたのでは?)


凜は何度か対峙した時に彼女が見せた、切りつけるような視線を思い出す。

(凜、驚くところが間違っています。まず、なぜ彼がここにいるのか、それこそが疑問です。……それにしても彼は男なのでしょうか? それとも女なのでしょうか?)

ゼルの疑問は凜にとっても同様であった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る