第120話:苛烈すぎる、才女。②

 ジェシカが陸軍士官学校に入ったのは、一に学費がかからない、というところにあった。当時はまだ駆け出しレーサーであった兄に経済的な負担をかけたくなかったのである。フェニキア軍は各星系ごとに基礎過程を学び、「専科」と呼ばれる専門課程教育を首都星などで受けるシステムだ。エウロパの士官学校もご他聞にもれず、座学ではない訓練課程は極めて過酷なものであった。


 そして、ジェシカの所属したチームの教官がハートマン軍曹だったのである。彼は砲兵として、二等兵から叩きあげたまさに古強者であった。ただ、彼の指導法はとにかく罵声を浴びせ続ける、というもので、評価は分かれていた。


 「お前らはクソだ。馬のケツからひりだされたクソだ。よく覚えておけ。」

初対面で、いきなりこう言われて面食らったことを覚えている。そして一挙手一投足、気に入らなければとにかく口汚く罵られる。そんなトレーニングにみな辟易していた。

「お前らはクソにたかる虫だ。このフンコロガシめ。マグソコガネめ。もっと足を蹴り上げろ! なんだその顔は!? これぐらいで音を上げてるようでは戦場では死ぬだけだ。なんだ不満か?じゃあ、死ね! 今すぐ死ね!ただし、お前の死体は自分で運べ。転がったままでは迷惑千万だ!だったらゾンビになれ、なんだ泣いているのか? ゾンビだったら目からポロポロ蛆虫をタレ流せ。さあ、続けろ!苦しいだと?ゾンビなら、臓物なんか不要だ。ここで全部、ぶち撒けてしまえ。」

(昨日まではクソ、今日からは虫か⋯⋯。そして明日はゾンビと。この人はある意味ボキャブラリーが豊富なのだな。)

ジェシカはムカつきを通り越して感心していた。というよりカリキュラムがあまりにきついため、もはや怒るだけのエネルギーが残っていなかっただけとも言える。

彼の罵詈雑言はもはや名人芸と言ってもよかった。ジェシカも日替わりで「クソ虫」、「雌豚」、「生ゴミ」、「石ころ」など呼び方が変わり、その都度きつい言葉を浴びせ続けられたのだ。


しかし、あまりにきついしごきに、精神的に変調をきたすチームメイトもで始めた。そして、ついに自殺未遂者が出てしまった。未遂で幸いだったが、ハートマンの指導方針も態度も一切変わらなかった。

そして、ついにハートマンを殺そうとする者が現れたのだ。いや、正確には殺意はなかったと言える。夜の官舎裏で、外で飲んで気持ちよく帰って来たハートマンを二人掛かりで襲い、急所以外をナイフで何度も何度も刺したのだ。死んで楽をさせてやりたくないほどに彼を憎んでいたのである。


その襲撃現場を発見したのがジェシカで、彼女はその二人を力づくで止めたのである。

「何者だ?」

最初は、夜陰に紛れていたために、襲われている者も襲っている者の正体も気づかなかったのだが、気づいたいた時にジェシカは愕然とした。

「ダメだ、いけない。教官の理不尽さは戦場での理不尽さに耐えるための訓練の一環だ。これに耐えられなければ、戦場で生き残るのは不可能だ。」

なぜ、止めるという問いにジェシカは必死になって答えた。


 ハートマンは命に別状はなかったが、刺された箇所が運動機能を著しく損なっていたため、教官として現場に復帰するのは不可能と診断され、名誉除隊を言い渡された。そして、彼を襲った二人は不名誉除隊の上、傷害犯として裁かれることになった。ただ、ハートマンの指導法が人権侵害にあたる、と認定されたため執行猶予付きの有罪判決が言い渡されたのだ。


指導方法が人権侵害である、という被告側の弁護人の主張に、ハートマンは自ら証言台に立って、こう言い放ったという。

「私の指導方針は間違ってなどおりません。戦場には理想など通用せんのです。そこは、理想の対極にある場所、『地獄』そのものなんです。罪の無い者が頭に銃弾を喰らい、いい奴が手足を失う。愛妻家であろうと子煩悩であろうと、だれもそんなことを省みちゃくれない。そんな世界なんです。人間性の否定そのものなんですよ。

ならば、そんな地獄に、なんの準備も覚悟もできていない若者を送り出せというのですか?そんなことを言う人間こそ、もっとも彼らの人間性を否定する者、つまり彼らの人権と将来を軽んじている卑しむべきやつらである、私はそう信じています。」

そして、その上で彼を襲った二人の若者への寛大な処置を請願したのだ。


彼の退任の日、ハートマンは敬礼して見送るジェシカに近づいて、彼女に礼を述べた。そして言った。

「ビジョーソルト、戦場にヒューマニズムを持ち込むのは極めて危険だ。むしろそこはポーカーのテーブルだと思え。はったりだろうがなんだろうが、相手を騙し切ったやつが勝つ、いや、生き残る。与えられた作戦『だけ』を遂行し、戦場から生きて帰ること、それだけがお前の勝利だ。国の勝利など考えるな。それを考えるのは将軍と参謀の責任だ。だからお前は生き残れ。⋯⋯何としてでもだ。それだけは忘れるな。⋯⋯では。」


ハートマンの餞別は彼の人生訓そのもののようであった。

(しかし、人の命を奪う覚悟と、戦争の道具になる、ということは違うのではないだろうか。生き残ると勝つことが違うように。)

この時、ジェシカの頭をよぎったのが、テレビニュースで見たヴァルキュリア女子修道騎士会の女性騎士たちの姿であった。確かに戦場は厳しい。そこに人道主義は存在しない。それは頭でわかっていても、人間性を尊重した戦いはできないものだろうか? 『天使グリゴリ』という兵器を身にまとい、1人であれば1個小隊、1個小隊なら1個大隊、1個中隊なら1個師団相当といわれる「騎士」。彼らに答えがあるのではないだろうか。


「ビジョーソルト。それは、ただの理想論だ。それも未熟わかさゆえのな。だが、挫折もまた経験のうちだ。軍へ行って出世しろ、そうすればお前の疑問の答えが見つかるだろう。」

ジェシカの担当教授は彼女の言葉を一蹴した。しかし、ジェシカの下した決断は「ヴァルキュリア女子修道騎士会」への「留学」であった。トップクラスの成績で、専科のどこへでも推薦してやろう、そう慰留されたが、彼女の意志は固かった。

「騎士とは軍隊以前の制度であり、統率された軍隊にかなうはずはない、そうここでは学びました。しかし、『天使グリゴリ』という突出した兵器ゲームチェンジャーの出現により、戦争の形態は再び変わりつつあります。力を持ちすぎた兵士、つまり騎士をどのように統率するのか、私の関心はそこにあります。」


 彼女はヴァルキュリア女子修道騎士会の門をたたいた。そして、実技選考によって準天位相当の推薦を得た。彼女の最初の上司は「天位」に昇格したばかりのグレイスだった。ジェシカはグレイスに自分がヴァルキュリアを志した経緯を語り、自分の考えが浅薄なものであるかどうか尋ねた。グレイスはしばらく考えてからジェシカのほうは見ずに口を開いた。

「そうだな。理想を追い求めることを浅はかだと言えるのは、年長者の特権であろうな。そして、私はまだそう言えるほど老いてはいない。兵士が『道具』ではなく『人間』として戦える時代か⋯⋯。それには『戦争』そのものの定義を変える必要があるだろうな。自分個人の意思で戦争をしたい者はこの世に恐らくおらんのだろうて。そう言う点で、選挙大戦コンクラーベは戦争の代替としてはいい制度だと思うし、戦死判定制度もまた然りだ。これは『天使グリゴリ』をまとったことから可能になった手段だ。あなたはそれを研究してはどうだろうか?」


 きっと頭から否定され、嗤われるだろうという予想を覆され、驚いた顔をしたジェシカをグレイスは優しい目で見つめ、言葉をつづけた。

「……私の場合は、問題なのはむしろ、民間人、特に女子供に対する攻撃や略奪だと思っている。どんなに禁止されても、どんなに取り締まろうと不逞の輩は後をたたぬ。とりあえず私は、そんな犯罪を撲滅したい。これも他の者に言わせれば『見果てぬ夢』を追うことらしい。だが、私はあきらめない。見果てぬ夢だろうが、追求する価値はあると信じている。

 ジェシカ、あなたの理想も追求する価値は十分にあると私は信じている。理想を追求することを止めるということは人間性の否定に過ぎない。だから、あなたはその旗(理想)を誇りを持って振ればいい。」


彼女が一人の騎士として脚光を浴びたのがその翌年に起こった『ブレイク・ショット戦役』の時であった。

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