第99話:灰汁が濃すぎる、レーサー。②
「なぜ、お前はレースに出たいのだ?」
「え?」
ロゼは驚いた。不意に父親の口をついて出てきた言葉が、「ダメだ」という否定の言葉ではなかったことに。ロゼは一度深呼吸してから吐き出すように言葉を紡いだ。
「オカンとの約束やねん。私が元気でいるところをオカンに見させてやりたいねん。ウチはオカンに会いたい。でも、オカンはウチがお嫁に行くまでは会ってくれへん。だから、ウチがここにいてる、元気に生きてるゆうのを見させてやりたいねん。」
ロゼの目を見てジョーダンは一度ため息をついた。
「そうか。……トリスタン卿に全て任せる。私にはそれ以上のことはできん。」
ジョーダンは娘の訴えに直接は答えず、それだけ言って行って去ろうとした。
「閣下、それでよろしいのですか?」
凜が声をかけた。
「二言はない。私ははめられたのだよ。ハルパートにな。あいつは主席の座を狙い、親父に根回しをした。それが悪いとは言わない。むしろそれこそが商売人の基本だからだ。そして、それすら私は怠ってしまった。だから今、こんな目にあっている。私にはこの商売の世界は合わないのかもしれんな。
だから、トリスタン卿、君にすべてベットするんだ。あなたの肩には国家の存亡と人民の命がかかっている。だから、あなたはすべてに最善を尽くしてくれる、私はそう信じているよ。だから、
「わかりました。スタッフはお借りします。ロゼの件ですが、ジェシカさんもチームに加えていただければ、差し支えありません。」
凜の答えは意外なものであった。
「私⋯⋯ですか?」
ジェシカの声がうわずる。
「なるほど、そうきたか。いいでしょう。⋯⋯ジェシカ、トリスタン卿の補佐をして差し上げなさい。」
ジョーダンはふっと笑うと部屋を後にした。
「かしこまりました。」
ジェシカが深々と頭を下げる。
「ええ?」
ロゼは不満そうだ。折角のレース。しかも凜ともっと近づけるチャンスなのに、いきなり、「お目付役」まで付いてくることになったからだ。
「ウチだけで充分やん?」
「まあジェシカさんは『元』はとはいえ天位騎士ですからね、遊ばせておく手はありませんね。」
マーリンも納得し、ロゼの不満は却下されてしまった。
こうして凜たちはジョーダンと正式に契約を結び、およそ1年にわたるグランプリへの戦いが始まったのである。
[星暦1551年2月3日。惑星スフィア。フェニキア領エウロペ。宇宙港]
「アポロニア・グランプリ」とは11隻の船が競う
今週末には予選の第1戦が行われる。その前夜祭がこの宇宙港にある最高級ホテル、ホテル・イスカンダルで行われた。出場するクルーは、1階にある大ホールで、メディアや招待されたファンを相手にサービスをしなければならないのだ。
オーナーたちは、最上階のラウンジで同じように懇親会が開かれる。
出席した人たちのほとんどがフェニキア人であり、無名の新人である凜たちに誰も見向きはしなかった。
「どうかね?」
主席としてあいさつを終えたジョーダンがカクテルを片手に凜たちの近くにやってくる。ジェシカは今日はジョーダンの秘書としての仕事が忙しいようで、ジョーダンとともに行動していた。
「何分初めてのことですからね。なにをしていいやら分かりませんし、それ以上に需要がない、というのが正直なところです。」
凜はそう言って頭をかいた。そのとき、凜の身体にどん、とぶつかるものがいた。ノーモーションでぶつかったため、結構な衝撃で、凜はつんのめりそうになってしまった。
「おや、珍しい。主席閣下がレースに復帰、という噂は本当だったんですね?眉唾モノだったので、思わず確認しに来てしまいましたよ。」
ヘラヘラと笑いながら来た男は、そう不躾に言い放った。
「誰です?」
凜が尋ねるとジョーダンは答えた。
「シルベスタ商会の
パットはニヤリと笑うとジョーダンに会釈をした。
「お久しぶりですね、ジョーダンの旦那。旦那がレースに引っ張りだされたのはこちらの界隈では大ニュースでしてね。ひと昔前の最新鋭のマシンがどれほどのものか、少し拝見させていただきました。錆びついてはいないようですね。でも、旧式は旧式だ。」
パットはそう言ってから凜たちの前に立った。
「坊や。今回のアポロニア・グランプリは何かと話題でね。なんとエウロペの主席の座が掛かっているとか。それで、賞金も掛け金もこれまでに比べて破格になったのだよ。ちゃんと予選を勝ち上がって来てほしいものだね。坊やにできるかな?」
そう言い放つと踵を返した。
「『坊や』だからといって、なめないで欲しいです。その昔、『坊や哲』という最強の雀士が阿佐ヶ谷の界隈を⋯⋯。」
凜ははいはいとゼルのボケをいなした。
「 彼はどんな人なのですか?」
凜の問いに答えたのはゼルであった。
「『
パット・ペンディング氏はもともとは科学者ですが、自分の実験のために多額の借金を抱えた方のようです。ついに、自分の女房子供を借金のカタにしてしまい、現在は『身請け』するためにレースに身を投じているという噂のようです。」
「なるほど。」
また濃いのが出てきたものだ、凜はそう思ったが一言呟くに留めた。
「まあ、レースに身を落とす人間に、ロクなやつはいないさ。」
ジョーダン氏が吐き捨てるように言った。その言葉に、ロゼは身体をピクリとさせた。
「閣下のいいようはいささか乱暴ですが、的を得ています。レーサーの多くは重債務者、特赦を狙う受刑者、賞金稼ぎ、軍人崩れや海賊崩れ、あるいは最下層民といった人がほとんどです。ローマ時代、剣奴に殺し合いをさせ、それを娯楽にした時から人間はあまり進歩していないのかもしれませんね。」
ゼルの言葉は無表情なものだが、哀愁にも満ちているように思えた。
「しかし、あの『放棄派』のシルヴェスタ家のレーサーです。裏に何かあると見ても良いでしょう。」
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