第100話:ひずみすぎる、父娘。❶

[星暦1551年2月3日。惑星スフィア。フェニキア領エウロペ。宇宙港]


 男は宇宙港のホテルから宇宙そらを見ていた。

宇宙はどこまでも深い闇を湛えている。遠くに見える星は地上とは違い、瞬かない。それは、大気による屈折の影響を受けていないからだ。ここから見える輝く恒星はすべからく宇宙の一隅を照らしているのだ。

「人は死んだら星になる⋯⋯か。」

男はそう呟くと、強化炭素繊維で出来た窓に映る自分と眼があった。

「俺は、家族にとって、輝く星ではなかった。」


 男の名はパット・ペンディング。宇宙船レーサー自在天コンバート・ア・カー」のキャプテンである。

彼は元々は科学者で、人工知能の自動進化について研究していた。彼は、有人格アプリを安全に人間にインストールする術を目指していたのである。有人格アプリと共存する脳は、「大脳皮質コンピュータ(C3)」と呼ばれ、それを持つ人間に大きな能力を与えて来た。超人的とも言える戦闘能力や学習能力など、人によってタイプは違うが、人間として一つ上の存在になる、彼にはそう思えるのだ。


ただ、彼の研究には問題があった。有人格アプリを人間の脳に直接インストールすることは銀河系内では禁止されているのだ。当然、被験者となる者も現れない。それで彼は、その実験を事もあろうに自分の子供に施してしまったのだ。

もちろん、大学にも妻にも相談もせずに内緒で行った。もちろん、そんな実験は倫理的にも認められていない。しかし、彼には勝算があった。彼は彼の新理論を実証するために子供に有人格アプリをインストールしたのであった。


「これで、お前は目をさましたら、スーパーガールになっているだろう。」

不安そうな娘の頭をそう言って撫でた。

ところが、娘に拒絶反応が現れる。それでも彼は引き返さず、実験を続行した。実験は失敗に終わり、娘の人格は死んでしまった。その身体は有人格アプリだけのものとなってしまったのだ。


その事実を知って怒った妻は、その娘ともう一人の息子を連れ、彼の元から逃げ、そして警察に通報したのである。捜査の結果、パットは逮捕され、大学での研究者の職も解かれた。彼は全てを失ったのである。彼は娘の人格は死んでいない。眠っているだけだと主張し、裁判に臨んだが負けてしまった。彼には妻からも、大学からも多額の賠償金を請求された。まとまった金が必要になった彼は、一攫千金のために宇宙船レースの世界に身を投じたのである。


彼は、自作のドライバーアプリ「ブリキ」と、ライオン型の戦闘用マリオネット「レグルス」を率いて、レースの世界でのし上がっていく。パットの乗る船は「自在天コンバート・ア・カー」である。戦闘機型の機体が人型戦闘ロボットに可変する機体である。取り分け、宇宙船レーサー同士の格闘戦に特化した「強い」船である。彼は狂気溢れる戦闘スタイルの割に知的な風貌を持つことから「教授プロフェッサー」という二つ名で呼ばれていたのである。


 彼は彼を雇ったシルベスタ商会の社長にアポロニア・グランプリへの参戦を求められた。辺境惑星へのレース出場に顔をしかめるパットに社長は告げた。

「パット、あの惑星は『ゴメルの智慧』が眠っているそうだよ。なんでも「士師ジャッジ」と呼ばれる地球人種テラノイドの頭目にはその智慧を汲み出す鍵、有人格アプリが無事にインストールされているそうだ。君の研究者の専門じゃなかったか?」


「いえ、もう研究者を辞めてから大分経っていますから。」

パットはそう答えたものの、かつての好奇心がグラグラと腹の底から沸き立つのを感じていた。そして、偶然にも、それに出逢ってしまった。それが「棗凜太朗=トリスタン」である。そして、あの少年が連れていたのはまさに有人格アプリの具象体アバターであった。

「あの脳みそを持って帰りたい。」

彼は心底そう思った。そうすれば、きっと私の理論を完成させることができるに違いない。そして、「行方不明」になってしまった娘の「人格」をサルベージできる術を会得できるかもしれない。


 彼には彼の心の渇きを癒すためにこのレースに挑む。一つは金を、もう一つは名誉を。そして、「ゴメルの智慧の実」を得るために。



[星暦1551年2月7日。惑星スフィア。フェニキア領エウロペ。宇宙港。予選第一戦。]

 

 予選を一つでも優勝すれば本戦の出場が確定する。 予選は7戦あるので、最大7隻はそれで決まる。無論、予選を2勝以上することもあるので、残りの出場枠は、順位によって与えられるポイントの総得点順、ということになる。

本来は、主席が所有する船は予選免除、とされていたのだが、それもグランプリの主催者側から拒否される、ということになってしまった。


「一回くらい優勝できるといいなあ。」

 凜は不安を感じていた。AE-86「ミーンマシン」は優秀なマシンとはいえ、かなりの旧式である。聞くところによると、型番が二桁のマシンが使われていることはもうないそうである。とりわけパワー不足は否めない。

「ただし、ただの『スフィア』製ではなく、その先住民族である私の民が作ったのです。古いイコール性能が劣る、ということではありませんよ。」

マーリンは自分に割り当てられた兵装の操作パネルを見てニヤリと笑った。


「しゃあない。ジョーダンさんはこの星では嫌われもんやさかい。第一、今頃船を新調しようとしたら、レースが終わってまうわ。」

ロゼは頭の後ろに手を組んでシートにもたれかかって伸びをした。

 自分の父を決して父として呼ぼうとしないロゼの言動に凜は引っかかるものを感じていた。

「ロゼ、少し気になったのだけど。もしかして、ロゼはお父さんとあまり折り合いが良くないのかな?」

凜が率直に尋ねた。家族の行事をすっぽかすのも、よく家族と「はぐれて」単身で行動するのも、それが原因ではないのだろうか。ただ、とっくにそうと気づいていた周りの空気が少し張り詰める。


「⋯⋯せやで。」

ロゼはそう答えた。

「ウチはおとんに棄てられた女の娘やさかいな。」

「お嬢様。」

ジェシカがロゼの言いようを咎めた。その耳がピクンと震える。

「ホンマのことやん?⋯⋯ウチらは5人兄弟やけど、オカンは3人目やん。女を取っ替え引っ換え、ええご身分なこって。」

間違いなく、それがロゼと父親の確執の原因であることは疑いようがなかった。


「ロゼの母上のエマ様は、重い病気を患われ、療養しておられます。それで、大店おおだな女将おかみの重責には堪えられない、ということでご自分の意思で離縁なされたのです。ただ、その後の療養の費用は旦那様がきちんとお支払いされておられます。」

ジェシカが簡単に説明する。

「ほな、なんで結婚の誓いなんてすんの? 『健やかなる時も、病める時も』支え合うのんちゃうん? それともなにか? 『病める』妻は夫婦であることを『止める』時なんかいな?」

ロゼが嘲笑気味に言う。


「ロゼ、夫婦にはその夫婦にしかわからないこと、というものがありますからね。あなたのつらい気持ちもわからないとは言いませんが。ロゼも大人になってみれば案外理解できることかもしれませんよ。」

マーリンのフォローに、

「そういうことやないねん。『大人』になればわかる、みんなそればっかりやん。『こども』もの気持ちの方は全然考えんくせに。」

否定したものの、そのままロゼは黙ってしまった。きっと何度も何度も大人たちから言い含められた言葉なのだろう。彼女は口を尖らせ、頬杖をついたまま窓から見える宇宙そらを見ている。


ロゼは両親の離婚後も足繁く母の入院先まで見舞いに行っていたが、父ジョーダンの再婚が決まると、母はロゼが自分のところに見舞いに来るのを禁じたのだ。

「もう、ウチはロゼのお母ちゃんやないで。新しいお母ちゃんと、仲良くしてんか?」

もちろん、母にとって娘が見舞いに来てくれることは嬉しいことであった。しかし、ジョーダンの後添えは、そんなことをしているロゼを間違いなく疎むに違いない。エマとしては、それだけはどうしても避けたかったのである。

「なんでなんで? お母ちゃんがお母ちゃんを辞める事なんて出来ひんやん。娘の方かて、娘である事をやめたりしとうない。ウチはおとんとはちゃうねんで。」

ロゼの必死の訴えに母が首を縦に振ることはなかったのである。


翌週、母は突然、生まれ故郷のカルタゴの病院へと療養先を変えてしまったのだ。それは数千光年も離れた場所である。それもロゼに前もって知らせることなく行ってしまったのだ。

その置き手紙をロゼに手渡したのは、母をそこまで送り届けたパイロットのショーン・ビジョーソルトであった。その手紙にはこう書いてあった。


「ロゼ、突然、病院が替わることになりました。何も知らせんと行ってしまうお母ちゃんの我がままを許してください。ホンマに堪忍な。でも、お母ちゃんの病気を専門に診てくれんねんて。実家の爺ちゃん婆ちゃんと相談して決めてんよ。

 ロゼ、お願いがあります。どうぞ、お母ちゃんはもう死んだ、とあきらめてどうか新しいお母ちゃんに甘えてください。そして、お母ちゃんはきっとどこかで元気に生きている、と信じていい子にしていてください。ロゼがお嫁さんになるまで、母ちゃんは死なれへん。歯あ食いしばって生きたるさかいな。きっといつかまた会える。そん時はきっとお母ちゃん元気になっとるさかいな。


ほな、またな。

愛するロゼへ。お母ちゃんより。」


ロゼは母の手紙を思い出すと胃に熱いものがこみ上げて来る気がするのだ。まだ幼かったロゼはその感情の捌け口を知らなかった。ロゼは来る日も来る日もぐずるように泣き続けた。

「お母ちゃんのとこへ行きたい。」

その思いでロゼは宇宙船「ミーンマシン」にこっそりとのりこんだのだ。勿論、母のところになぞ連れて行ってもらえるはずもなく、パイロットのショーンに見つかってしまったのである。

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