第89話:はるかすぎる、月世界。②
「マーリン、行くぞ。」
「ええ。」
凜はマーリンの腕を掴むと
狙撃者は即座に他の警護官によって取り押さえられた。
「ロン、しっかりするんだ。」
凜はロナルドを抱きかかえると容態を確認しようとした。被弾したその腹部からの出血がひどい、ロナルドの顔は真っ青になっていた。
「ゼル、バリさんを呼んでくれ!」
「はい、すでに召喚ずみです。出でよ、ソロモン七十二柱、序列第6位ヴァレフォール!」
ヴァレフォールは医療技術を司る有人格アプリである。その容姿は黒髪の長身の青年だが、前髪は白く、顔には大きな縫合された傷跡がある。黒い外套に黒のスーツ。そして白いドレスシャツ、ネクタイがリボンタイではなく、普通のタイにしてあるところが彼に取って『ギリギリ』の線なのだろう。読者様の時代なら著作権的にアウトである。
(くっそ、なんて格好だ。しかし、突っ込んいる
いつもは普通の白衣姿で現れるくせに、凜に突っ込む暇がない時ほどこう言うふざけた格好で出てくる連中なのだ。
「
ロナルドを横たえるとヴァレフォールはロナルドの脈を確認する。凜はロナルドに声をかける。
「ロン! しっかりしろ。今、医師が治療するから。」
「まあ、『無免許』医師なんですけどね。」
涼しい顔でヴァレフォールが言う。
「おい、余計なことを言って、患者を不安にさせないでくれ。『この国では』、という大事な文言を省くんじゃねえ。」
凜は舌打ちをした。ロナルドは凜を見ると力なく微笑んだ。
「凜、……私のことを初めて『ロン』と呼んでくれたね。」
「乙女かっ!」
思わず凜も突っ込む。しかし、恐らく傷が深すぎて精神が錯乱しているのだろう。凜は危機感を深めた。
「大丈夫だ。すぐに傷を塞ぐ。」
ヴァレフォールはロナルドから流れる血から彼のゲノムを読み取り、惑星ガイアの大気中に散布されているナノマシンを使って止血し、傷口を修復する。みるみるうちに血が止まる。
「マーリン、弾丸を摘出してくれ。」
ヴァレフォールがマーリンを見上げた。
「了解です。」
マーリンが杖をかざすと体内に撃ち込まれた銃弾が浮き上がって来た。凜はそれを取った。
「恐らくもう大丈夫だろう。 」
凜は駆けつけた救急隊にロナルドを託すと立ち上がった。凜は銃弾をケビンに渡すと、再び観衆の中に戻る。
「パパ!」
リーナは駆けつけようとしたが制止されてしまい、残念ながらそうはできなかった。
「大丈夫だよリーナ。パパはもう大丈夫だ。」
リーナは凜の胸に顔を埋め、何度もありがとうと言っていた。
就任式はその後も続けられた。テロには決して屈しない、という政府の姿勢を示すためである。
[新地球暦1842年1月25日 惑星ガイア]
[スフィア時間:星暦1553年4月10日]
スフィアに帰る前、凜はマーリンとグレイスを伴い、ロナルドを見舞った。ロナルドは完全に良くなっていたのだが、どちらかと言うと過労のために2、3日安静にしているように医師に入院を勧められていたのだ。個室の病室には妻のリズとリーナもいた。ロナルドは凜を見ると起き上がった。
「ロン、そのままでいいですよ。」
凜の言葉にロナルドは首を振った。
「いや、もうとっくに傷はふさがっているからね。ホントは仮病なんだ。」
ロナルドはベッドに腰掛けた。リズがその肩にガウンをかけた。
「これから国交の正式な樹立に向けて忙しくなるだろう。党の中にもスフィアとの国交の必要性に疑問を差し挟む者もいたが、あの(暗殺未遂)事件ですっかり黙ってしまったよ。」
ロナルドは嬉しそうだった。理由を問う凜にロナルドは答える。
「あの、ヴァレフォールという有人格アプリさ。あのアプリを使えば身体の全てがゲノム通りにリセットされる。つまり、どんな病気にも効く、というわけだ。欲の深い連中が早速僕のところまで陳情に来たよ。凜を紹介してくれ、ってね。」
どの国にも利に聡い連中はいるものである。凜は半ば呆れ、半ば感心していた。
「いいえ、残念ながら遺伝子が原因の病気もありますから、なんでも即座に治る訳ではありませんけどね。ガンや外科手術には役立ちますし、これで戦死者が大幅に減ったのも間違いないですね。」
マーリンが苦笑まじりに言う。
「⋯⋯でも、ほんとうは遺伝子の『書き換え』もできるのだろう?」
ロナルドの問いに、凜は
「ええ。多少は、と言うことにしておきましょう。我が国の医療に関しては先住民のゴメル人の知恵を色々と拝借していますからね。私が所属する聖槍騎士団は医療騎士団ですから、多少のお力添えはできると思いますよ。」
凜の答えにロナルドは満面の笑みをたたえる。
「ありがとう、凜。選挙では大いに助かったよ。そして、いつもリーナを守ってくれて感謝している。あの子はティンクを受け入れてからすっかり引っ込み思案なおとなしい子になってしまった。でも凜、キミのおかげでどんどん自分の意見を言えるようなって来た。私はそれが嬉しくて⋯⋯そして、寂しかった。そして、リーナはスフィアへの留学生候補に合格したんだ。⋯⋯でも、私は悩んでいる。この子を月に送り出してしまっていいものかどうか。もしかして、ロバートが生まれて用済みになった、なんてこの子に思われやしないかどうか。」
「パパ!」
リーナがロナルドに抱きつく。
「パパ、愛しているわ。そしてとても感謝しているの。パパは私に新しい世界への鍵をくれたわ。だから私はスフィアで一生懸命頑張って、一生懸命勉強してパパの役に立ちたいの。だからスフィアへ行きたいの。追い出されたなんて絶対に思ったりしない。
私、お兄ちゃんと接して解ったの。ガイアの技術なんて、とっくのむかしにスフィアに抜かされているわ。だから、あのテロリストたちもお兄ちゃんには全然歯が立たなかった。
だから私が出来る限り勉強する。きっとそれはパパの役にも、この国にも、そしてこの
娘の言葉にロナルドも目を細めた。
「もちろん、解っているよリーナ。キミが僕とリズに感謝してくれていることも、ロビーに優しくしてくれていることも、一生懸命頑張ってくれていることも。
だけど、僕のリクエストは違うんだ。キミにはもっと自由に生きて欲しい。僕は自分の役に立てるためにキミを娘にしたんじゃない。⋯⋯僕はキミと初めて出会った時にピンと来たんだ。きっと僕たちとこの子とはどこかで縁があったに違いない。僕とキミは血は繋がっていないけど、もっともっと深いところで、そしてもっともっと強い絆で、リーナは僕たちと結ばれた娘に間違いないんだ。
この気持ちは僕だけじゃない、リズも一緒だ。僕たちは家族になるべくしてなったんだよ。」
ロナルドとリズ、そしてリーナは抱き合う。
「⋯⋯だから、リーナ。月に行きなさい。そして⋯⋯できれば今パパがどうして助かったのか、勉強して来て欲しい。この技術はガイアにはまだ無いものだから。」
「⋯⋯ありがとう、パパ。私、頑張ってくるから!」
しかし、リーナの出国には少なからず反対があった。それは彼女の中に有人格アプリであるティンカーベルがおり、そして国家機密たる宇宙航路図があったからである。しかし、国交の交渉の過程で、有人格アプリに関する研究に留学生を受け入れることと、宇宙航路図の写しをリーナがスフィアにいる間貸与する、と言う条件で認められたのである。
こうして、リーナのスフィアへの、聖槍騎士団への留学が認められたのである。リーナには護衛として
「霊剣『ラ・クリマ・クリスティ』はワイバーンとの戦いで折れてしましましたけど。本当にこの名前で良かったのでしょうか?縁起がいいとは思えません。」
ティンカーベルの問いにリーナは笑った。
「あなたが縁起なんて言うとは思わなかったわ。いいのよ。リンが使うのをやめてしまったから、私が代わりに使うのよ。とても素敵な名前なのに、もったいないわ。」
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