第88話:はるかすぎる、月世界。①

「幻想月世界旅行記」ルーク・ハミルトン・ジャンセン著。


「アビィ。これであなたのお父上の快復に必要な龍岩石は全て揃った。あなたのこの惑星ほしを巡る旅はここで終わりだ。僕もここでお別れしよう。⋯⋯一夏の冒険としてはかなり刺激的な体験だったよ。」

リンは不意に宣告した。

最後の龍岩石をワイバーンの残した剣からはずしたリンはアブリルとクリントにそう告げたのだ。


ワイバーンは取り逃がしたものの、邪神と化したワイバーンの妖精クロム・ビーストを封印したことによって、リンのこの夏の任務は幕を閉じたのだ。


そして、それは龍岩石を求めたアブリルとクリントの旅が幕を閉じたことを意味しているのだ。

「長かったね。⋯⋯いや、あっという間、とも言えるが。港まで送ろう。きっとお父上もあなた方の帰還をお待ちかねに違いない。」

アブリルはその言葉を聞いて愕然とする。そうだ、この旅はいつかは終わる。いや、早く終わらせるためにリンの手を借りたのだ。確かに、今心からホッとしている。でも、心から喜べない自分がここにいるのだ。


[新地球暦1841年12月8日 惑星ガイア]

[スフィア時間:星暦1553年2月23日]


 ブラッドフォードの再選で、ロナルドも副大統領になることが確定した。その後の就任式までの2ヶ月で高級官僚や各国の大使、国務大臣などの人事を決めなければならない。もちろん、ザックが再選したためほとんどのポストは留任ということにはなるが、論功行賞による配置換えや昇進も含めると、人事に関しては選挙期間中以上の多忙さに直面することになったのである。そのような状況のもと、ロナルドは思いがけない出来事に直面する。


「ロン、国務省から電話です。」

スタッフに受話器を渡される。

「国務省? バーニーが電話でなのか? ⋯⋯いったいどんな要件なんだろう?」

ロナルドが出るとそれは国務長官のバーニー・シュルツではなく、普通の女性職員であった。思わぬ女性の声に彼は面食らった。

「メアリーナ・アシュリーの保護者様ですね。おめでとうございます。」

という第一声から始まる。それはスフィアとアポロニアとの交換留学生にリーナが合格した、という通知であった。


「⋯⋯リーナが、なぜ?」

無論、ロナルドにとっては初耳であった。事態をすぐには飲み込めず、思わず連絡をくれた職員に聞いてしまう。女性スタッフは一瞬、何を聞かれたのか解しきれず、無難に答えた。

「それは⋯⋯お嬢様が大変優秀な学生だったからだと思われます。」

「はあ、⋯⋯どうも、ありがとう。」

ロナルドは通話をオフにした。


[新地球暦1841年12月20日 惑星ガイア]

[スフィア時間:星暦1553年3月5日]


「リーナ、聞いておきたい事があるんだが。」

クリスマス休暇で大学から帰省した娘に、ロナルドは話を切り出した。思えば、しばらく選挙にかまけて家庭を疎かにしていた。彼はスフィアへの交換留学生の選考に合格したことを告げた。


「はい、私にも連絡がありました。帰ったらパパには早めに話そうと思っていたの。」

リーナは少し見ないうちにまた大人びて見えた。ロナルドは娘に聞いた。

「その、なぜリーナはスフィアに行きたいのかね?」

ロナルドはリーナが『幻想月世界旅行記』の大ファンであることは知っていた。友人のフランクもロナルドの父も、そして若かりし頃はロナルド自身も好きだった。

しかし、それはあくまでも物語の中の世界だ。凜も竜騎士でも魔法使いでも無いし、スフィアも理想郷などではない。しかしリーナの瞳は希望と喜びに輝いていた。

「わたし、ティンクのおかげで、たくさんのことを学び、覚えることができるわ。だから、わたしはスフィアでいろんなことを学びたい。そして、ガイアとスフィアの間の架け橋になれるような仕事がしたいの。」


ロナルドには確かめたいことがあった。意を決したように父は強い語調で言った。

「パパは反対だ。月はここからあまりにも遠い。私はリーナのことが心配なんだ。」

これまで、親に強い口調で言われるとリーナは自分の意見を何一つ言い返せなくなってしまう。もちろん、それは養女である、という引け目から生じる態度であろう。しかし、ロナルドはここで言い返せないリーナのままでは心配であった。自分の意志を誰も味方がいない異郷の地でも通せるのだろうか。


「でも。」

そう言ってリーナは言葉を止めた。

「パパ、もう『一度』時間を取って、私の話を聞いてくれますか。」

しかし、そうはならなかった。というのも、リーナは毎晩のようにロナルドの書斎を訪れると なぜ自分がそうしたいのかを『何度』となく聞かせるようになった。

(まるでディベートの訓練のようだな。)

ロナルドはそう思いながらも、娘の話に耳を傾け、時折鋭い質問を挟んだ。


 一方、凜はマーリンと共にブーネの持ってきた情報から短剣党シカリオンについて解析していた。そして、その結果は驚くべきものだった。

「これは思ったよりも根が深いですね。」

マーリンも凜も絶句した。

「どうやら、これは世間で言われているような僅か2、3年で成長した、というようなにわか仕込みの組織ではないね。用意が周到すぎる。」

凜は自分の見込みが甘かったことを認めざるを得なかった。それはアポロニアの政界・経済界・宗教界のそこかしこに根を張り巡らしており、軍にも多くのシンパを抱えていたのだ。

しかも、アポロニア一国だけのものではなかったのである。


「彼らの戦闘部隊は軍隊並みに組織されているね。しかも良く訓練されている。そして、資金も潤沢だ。さらにその流れもキレイに隠されている。これぞまさにプロの仕事だ。それに、幹部連中の言動を見るとガイアだけでなく、スフィアとフェニキアが一枚噛んでいる、というところだろう。何だか嫌な予感がするよ。」

戦慄を隠さない凜にマーリンも苦笑する。

「そうですね。この分だと、 またまたとんでもない名前が出て来そうで怖いですよね。」


 確かに、あの時点でブーネを引き上げたのは迂闊だったかもしれない。しかし、リーナを助けるためには他に手がなかった。さらに言えば、ここで現実を知ったからこそ、次の手を打つ必要性を意識できた、ということは収穫であるとも言える。

「ロナルドにも情報を流さねばならないね。⋯⋯『ある程度』だけにはなってしまうと思うが。」

「ええ、国交が成立したらまず軍事機密の情報保護協定から結ばねばならないでしょうね。」


この「短剣党」が後々まで凜たちの前にたちはだかるようになることはまだ、彼らも予想だにしていなかったのである。


[新地球暦1842年1月20日 惑星ガイア]

[スフィア時間:星暦1553年4月5日]


この日、大統領の就任式が行われた。


凜とグレイスもその式典に招かれた。そして選挙協力のかねてからの見返りとして、これでしばらくは惑星防御砲の案件をロナルドに任せることができることになっていた。凛は騎士団長正装に身を固めたグレイスに囁いた。


「今回の交渉はグレイスさんのおかげで本当に助かりました。⋯⋯ところで、槍も剣も使わない『選挙』はどうでしたか?」

グレイスは凜に目もやらずに言った。

「ふむ、⋯⋯極めてわかりにくい、というか歯痒さしか感じぬな。そうであろう? 民衆は何が『正義』かではなく、何が『有利』かで自らの帰趨を決める。そして、それに振り回されるかのように、政治家どもは自分の信念も言動もころころと変わる。まるで、風見鶏のようにな。それは果たして、本当に民衆のためになるのだろうか。」


「手厳しいですね。」

マーリンが苦笑した。グレイスは続けた。


 「私は正義を体現する『覚悟』と『実力』を持った者たちが自らの力量によって主張する。それこそが選挙の本質だと思う。無論、私とて民を導くなどと言う烏滸がましいことは言わぬ。それは陛下と坊主(僧職)の仕事だ。だが、為政者が民に振り回されてどうする?⋯⋯ そう思うのも、やはり私も騎士だからなのだろうな。」


「さすがはグレイスさんです。」

凜が褒める。グレイスは面白くなさそうに呟いた。


「お追蹤を言うな、トリスタン。⋯⋯それに、めんどくさそうなところはことごとく私に回し、面白そうなところはみんな卿らがやってしまったのだからな。私こそ蚊帳の外であったわ。」

グレイスはシカリオン討伐のことで、自分が蚊帳の外になってしまったことを僻んでいたのだ。

(いや、普通に考えたら逆だと思うけど。)

『戦いを嗜む』根っからの女騎士シュバリエールに凜もマーリンも苦笑を隠せなかった。


「大丈夫ですよ、グレイス。一番美味しいところはまだ貴女のためにとってありますから、どうぞご安心ください。」

ゼルが無表情のまま告げた。

「ゼル、そう言うのを『取り逃がした』と言うのだ。自慢どころか冗談にもならぬ。」

グレイスの口調は怒っていたが、いい終わってから彼女は口の端を上げた。

(いや、本当に厄介になるのはこれからです。)

マーリンもそう言いたかったのだが、それを口にはしなかった。


なにしろ、野党の連邦民主党にも短剣党シカリオンは入りこんでいたのだ。彼らの目的は軍にある宇宙船を合法的に奪うことであった。そのために大統領をトニー・クラインにさせ、軍の指揮権を欲していたのだ。

(地球に向かうための宇宙船と地球への航路図を手に入れること。これがここ数年の彼らの行動の理由だったわけだ。無論、彼らがこのまま諦めるとは思えない。)

凜はまた新たな展開に慄然とした。敵は国内の抵抗勢力だけではないのだ。やつらとハワード、いや『ドM様』が結びついてしまったとしたら。きっとその化学反応ケミカルは猛毒を生み出すことだろう。


式典はつつがなく進んで行き、やがて、ロナルドが新たな副大統領として登壇し、ザックとがっちりと握手する。観衆から拍手が巻き起こる。と、その時だった。突如警備に当たっていたはずの警官が飛び出し、拳銃を抜くとザックを襲ったのだ。

「死ね! 悪魔の手下め!」

そして、何発も発砲したのだ。パン、パン、パンと乾いた銃声がこだまする。


「ザック!」

とっさにロナルドはザックを庇うとその銃弾をもろに身体に受けてしまった。その全身を激痛が駆け巡る。

(あれ、痛い⋯⋯いや、熱い。)

ロナルドはその場に崩れ落ちた。

「パパ!」

リーナが叫んだ。

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