第85話:やらしすぎる、テングサ。1

[新地球暦1841年11月1日 惑星ガイア]

[スフィア時間:星暦1553年1月16日]


「やばいな、恐らく、残された時間はあまりない。」

凜が苛立ちを見せる。ケビンが呑気そうに言った。

「そりゃそうだ、お前さんが偉そうに大統領選挙投票日までにリーナを取り返すとか、つけてもいないのにリーナには高性能の発信機がつけられている、とか言って奴らを煽ったからじゃないか。」


「いや、あながちはったりでもないんだよね。」

発信機などつけてはいないが、「奥の手」は打ってある。奥の手の存在から目を逸らすためのハッタリなのだ。ただ、こればかりは「奥の手」次第だが。

「そう言えば、やつらはリーナのことを『ダート』と呼んでいたのだろう?それが何か関係が有るのか? 「泥んこダート」?ってなんだろうなぁ。」


思わぬ発言に、凜もゼルもボケなのか天然なのか測りかねていた。

「ケビン、まさか本気で言っているのではないでしょうね?あなたは『セフィロトの樹』もご存知ないのでしょうか?」

ゼルが呆れたように聞く。

「もちろん、知っているさ。あいつらの『中二設定』の話だろう。あいつらはセフィロトの樹の十個のセフィラとそれを繋ぐ22のパスを互いのコードネームにしているんだ。その中でも知識ダァトだけ、中央のラインにありながら表立ったつながりのない、特殊なセフィラなんだぜ。」


それくらいは知っている、とややドヤ顔のケビンに凜はさらに尋ねた。

「それで、知識ダァトは、何についての『知識』だと考えているんだ、ケビン?」


「あ⋯⋯。」

ケビンが腑に落ちた、と言った顔をした。

「いや、今ごろ気がつきました、って演技は要らないよ。」

凜が言うと

「いや、本当に初めて気がついた。そうか、どことも表立ったつながりのない「知識」、つまり、『銀河系宇宙航路図』。」

凜は苦笑しながら続けた。

「御名答、って今頃かい。つまり、やつらはリーナのことをティンカーベルの『器』程度にしか考えていないんだ。もし、ティンクが抽出手術に抵抗でもしたら、間違いなく奴らは、リーナを容赦なく壊して取り出すだろう。しかも、こちらは大統領選挙の投票日までにリーナを取り返す、と時期を明確に切った。やつらは自分たちに時間がないことをしっているはずだ。」


「くくく。」

突然ゼルが笑ったので凜は訝しそうに聞いた。

「どうした? ゼル。」

「リーナが器ということは、つまり『女体盛り』ですね。まさに男のロマンです。特に、『ワカメ酒』。」

いきなり下ネタにスイッチが入ったようだ。

「わかめ……?こいつは何を言ってるんだ?」

ケビンが訝しげに尋ねる。

「いや、ただの下ネタだ。無視してくれ。」

凜がそう言ったもののゼルは止まらない。

「でも、リーナは赤毛だから、海藻的には『ワカメ』じゃないかもしれません。あの海藻サラダに入っているあの赤いやつ、何て海藻でしたっけ?」

凜はあきれながら答える。

「テングサだ。寒天の材料のな。ゼル。いい加減に妄想はそこまでにしておけ。恐らく、仕込んでおいた『奥の手』が動きだす頃合いだろうから。そろそろね。」

「くくく⋯⋯『テングサ酒』⋯⋯。」

ゼルはまだ止まらないようだった。


[新地球暦1841年11月2日 惑星ガイア]

[スフィア時間:星暦1553年1月17日]


リーナは手足を拘束され、手術台に寝かされていた。

「鍵の乙女アブリルのピンチと一緒だわ。」

リーナは自らの危機にかかわらず、のんきにそう思っていた。

「幻月」のヒロイン、アブリルは地球と月を結ぶ「ゲート」を開く「鍵の乙女」だったのだ。その、魔法の術式が彼女の中に存在しているのだ。おそらく死んだ母親から受け継がれていたのだろう。母の故郷はこの惑星スフィアで、その出自は貴族の娘だったのだ。アブリルは彼女の秘密を知ったワイバーンに捕らえられ、満月の夜、神殿の祭壇の上でその門を開く儀式に供されようととしていたのである。


ゲート」が開けば、地球と月を自由に行き来出来るようになるだろう。しかし、それは月の宝を狙っている悪い人間にその扉を開くことに他ならない。そんな人たちの欲望のために、この美しい星を危険に晒してはいけないのだ。


[新地球暦1841年11月1日 惑星ガイア]

[スフィア時間:星暦1553年1月16日]


「やはり、データを提供してはいただけませんか? 知識ダァト。」

ティファレト」がかぶりを振る。

「宇宙航路図なんて、私、知りません。」

リーナは必死に否定するが、誰も聞いてくれなかった。実際、あるのは知っているが見たことは本当に一度も無いのだ。見る必要もないものだったからでもある。


「そうですか。それでは、ティンカーベルごとあなたの脳から抽出するしかありませんね。」

こうして、リーナからの抽出が決まったのである。手術にはティファレトがあたることになっており、警備のためにルイもそこに待機することになっていたのだ。


[新地球暦1841年11月2日 惑星ガイア]

[スフィア時間:星暦1553年1月17日]


「お兄ちゃん、助けて。」

リーナは叫びたかったが声が出せなかった。

「リーナ、少し気分が悪くなるかもしれません。その代わり、この手術が済めば頭の中の『雑音ノイズ』は聞こえなくなり、スッキリとした目醒めになると思いますよ。」

ティファレトはリーナの頭に電極をつけ始める。

(ティンクの声は『雑音ノイズ』なんかじゃない。)

リーナはいやいやをするように首を振った。


「徐々に眠くなりますよ。知識ダァト。」

脳波を刺激して睡眠に関係するホルモンの分泌を促す。

「ダメ⋯⋯眠ってしまっては⋯⋯ダメ。」

リーナは必死に抵抗するが、徐々に眠りの淵へと引きずり込まれていく。


「C3領域特定しました。ティンカーベル、抽出を開始します。」

ティンカーベルの住まいであるC3(大脳皮質コンピュータ)の領域が特定される。それは大脳皮質のそこかしこに点在していた。

「意外にまとまってはいないものなのですね。」

ティファレトは興味深かそうにいう。

「では、始めてくれ。」


「お願い、やめて。私を抜いたら、リーナがダメになっちゃう。」

ティンカーベルは必死になって抵抗する。C3領域からティンカーベルを抜けば、大脳皮質は再びシナプスの再接合を始めるだろう。それは記憶の大幅な改変が始まることをいみする。そして下手をすると、リーナが植物人間のような容体に陥る可能性だってある。

しかし、その抵抗も虚しく、ティンカーベルは強い力で首根っこを掴まれ、リーナの中から引きずり出されるかのような感覚に絶望を覚えていた。ティンカーベルとしてはもし自分が抽出されたなら、その瞬間に自己消去しようと決めていた。しかし、その最後の抵抗すら許されないかのような圧力であった。

「リーナ⋯⋯ごめん⋯なさい。」

ティンカーベルはリーナから引き剥がされそうな感覚に必死に抵抗していたが、その力もだんだん弱まっていく。


その時だった。

「ああっ、もう。あともう少しだったのに。」

少年の声が聞こえる。すると、ティンカーベルを抽出しようとしていた機械の電源が突如落とされた。

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