第82話:魅惑的すぎる、太もも。①

「幻想月世界旅行記」ールーク・ハミルトン・ジャンセン著より。


「血迷うたかワイバーン!? 卿の行動は法の定めにも、陛下の御意志にも、騎士の道にも反している。いったい卿の何が卿を突き動かしているというのだ?」


竜騎士リンドブルムの声は、まさに失望と驚きとで深く彩られていた。これまで友と信じ、背中を託しあった戦友が、まさかこの時に敵の陣営へと立ったのだ。


「笑止。私は誰にも背いてなどいない。卿の信じる正義と同等の正義が別の方向ベクトルには存在しているということに過ぎないのだ。ただ、敢えて言うのなら、私はただ『自分』に背くことをやめただけだ。私は卿を彩る背景の一部であることをやめたのだ。行け、クロム・ビースト!」

ワイバーンの手に真っ黒な闇が渦巻きながら集まって来る。闇の中には稲光のような光が煌めいていた。


「妖精魔砲だっちゃ。フェンリル族の妖精は桁違いに強いので有名だっちゃ。」

妖精ゼルフォートも及び腰だ。

「しかしゼル、アブリルがさらわれてしまったのだ。ここで引き下がるわけにはいかない。」

「リンの魔弾程度では無理だっちゃ。ここは一度退き、態勢を立て直すっちゃ。アブリルなら大丈夫。ワイバーンは矜持のためにリンと袂を別つつもりだっちゃ。だから、騎士であることを辞めたわけではないっちゃ。きっと、彼女に酷いことをするはずがないっちゃ。⋯⋯アブリルは『鍵の乙女』。殺してしまえば魔王の企みの全てがパーになる、それくらいの分別は持ち合わせているっちゃ。」


アブリルは薄暗い部屋で目を覚ました。簡素ではあるが、粗末ではないベッド。上を見上げると高い天井の間際に格子がはめ込まれた採光用の小窓が取り付けられている。おそらくはどこかの屋敷の地下牢のようだ。彼女は自嘲気味に呟いた。

「ああ、これで何度目だろう。私は何の成長もしていないわ。リンの忠告に耳を貸さず、ワイバーンとの取引に応じてしまった。何の保証も担保もないのに、クリントを解放してくれる、という口車にまんまと乗ってしまった⋯⋯。」

アブリルは今度こそ、リンは自分に愛想を尽かすだろう、そう諦めていた。彼女は手で顔を覆った。その隙間から嗚咽が漏れる。


[新地球暦1841年10月30日 惑星ガイア]

[スフィア時間:星暦1553年1月15日]


「そう言えば、私も全く懲りない方かもしれないわ。」

リーナは本を置くとそう思った。正確に言うと、自分の中にある『宇宙航路』の情報にどれほどの価値があるのかを今ひとつ理解できていないのだ。だからこそ、何度も誘拐に遭うのかもしれない。


正確に言うと、ガイアの人々のほとんどはその真の価値を理解していない。恐らくは、ただの『先進文明国』へのパスポートのようなもの、それくらいの認識ではないだろうか? しかし、それは自ら危険な外宇宙への旅に乗り出し、たとえ命の危険に遭ったとしても、たとえ仲間を何人も喪ったとしてもひるまず、あきらめず、不屈の精神で銀河系を切り拓いてきた知的生命体が作り上げた知識の集大成なのである。ただの、『先進文明惑星』へのパスポートなどではない。その意義と価値は限りなく重いのだ。その情報の1バイトは血の1滴で出来ている。それを理解しない限り、この民には持つのが早すぎる知識なのだ。


「なぜ、あの人たちは『地球』に還りたいのかしら?」

正直に言ってリーナには理解できなかった。この惑星には帰るべき家があり、そこに愛すべき家族がいる。これだけで十分ではないだろうか?


「お兄ちゃん、スフィアには『宇宙航路図』はあるの?」

リーナは凜にそう尋ねたことがある。凜は答えた。

「あるにはあるよ。ただ、そのことは国王陛下と僕ら眷属ハイ・エンダーにしか知らされていない。まだ、僕らは宇宙を旅するほど成熟してはいないからね。」


リーナは尚も尋ねた。

おにいちゃんも地球には還りたい、って思うことがあるの?」

凜は少し寂しそうに笑んだ。

「どうかな。もし、あるとすれば、それは自分が育った場所が現在どうなっているのか、という興味に過ぎない。ただ、それだけだよ。」

凜は最後に交わした母親とのたわいのない会話を思い返していた。後悔も未練もやり残してきたことも地球にはみんなあった。でも、それは全て過去のものでしかない。すでに自分がいたという痕跡すら残ってはいないだろう。だからこそ、宗教の世界の理想郷としての地球へ逃れることを目指すのではなく、今、ここにある現実の世界を守らなければならないのだ。


「今は、みんなでこの惑星ほしを守りたい、ただ、それだけなんだ。」

地球を目指す者らの目的は宗教的なものでも高尚なものでもなく、この世界で既得権益のおこぼれにあずかれなかった連中が、今度こそ自ら主導権イニシアチブを握る機会を求めている、ただそれだけなのかもしれない。


「それじゃみんな、行こうか」

主将のマシューが立ち上がった。今日は、ロボフトの大学東部リーグのリーグチャンピオンが決まる試合なのだ。


厳重な警備のもと、両チームのプレーヤーが入場する。先日のリーナの拉致未遂事件で、短剣党シカリオンがリーナの秘密を嗅ぎつけたことが明らかになったからだ。そして、この次の週には大統領選挙の投票日が迫っている。もし彼らの狙いが現職大統領への支持を落とすことにあるなら、事件を起こすタイミングはここしかないはずだ。


スタジアムは8万人の観客が詰め掛けていた。

ロボフトは試合そのものの時間は1時間ほどだが、試合が止まると時計も止められるため、実際にはその倍ほどかかる。そしてハーフタイムショー などを含めると全部で3時間ほどだ。


試合前に国歌が歌われると、最初に機体ギアとそれを操る操者プレイヤーが紹介される。

男女差は全く無いが、やはり興味の有無が関係するのか、女性のプレイヤーは全体の四分の1ほどである。


背番号ゼッケン44、機体ギア、『ミヤモト・ムサシ』。操者プレイヤーはリンタロ・トリスタン・ナツメ。月から来たニンジャです。」

凜がコールされると観客からどっと喝采があがる。


凜は軽く手を振るとエントリー・シートと呼ばれるカプセル状の操縦席に座った。公式戦は不正操作が行われないようにプレイヤーは密閉されたシートでプレイすることが義務付けられているのだ。レフリーの許可なく、このシートを立てば失格を宣言されることすらある。


「ムサシ、起動リフト・オフ。」

凜の精神が完全にムサシとリンクする。勢いよくムサシが立ち上がった。今日は地方局ローカル・ネットではあるがテレビ中継も入っている。


試合は前半から激しい展開を見せた。凜もかなりマークされているため、ショートパスを受け、前線へとボールを送ったり、ブロッカーとしてボールキャリアの走路を確保したりと様々な役割を果たしたが 、思うようには活躍できなかった。


「凜、歯がゆいですか?」

ゼルが尋ねる。個人プレイが主な騎士の試合ジョストと比べてのことだろう。

「まあ、チームプレイは自分の思い通りに行くわけではないからね。」


試合は前半を6-7の僅差で相手にリードを許していた。


そして、ハーフタイムに入る。ハーフタイムショーは観客が参加する簡単なゲームや、対戦している両大学のチアリーディング・チームによる演技だった。


「うほー、いいねえ。あの太もも。」

チアリーディングを見ながら警備中のケビンもご機嫌だった。確かに休日出勤ではあるが、ただでロボフトの試合を見て、チキンも頬張れるとあればテンションも上がるというものだ。

「これでビールさえあればなあ。」

無論、勤務中の飲酒は論外である。ぼやくケビンを、一緒に巡回する女性刑事が嫌そうな顔で見上げた。


一方、操者プレイヤーたちにはその時間を用いてヘッドコーチから後半の作戦プランが説明されていた。

そして、その時、異変が起こったのだ。突然、ムサシの視界が遮断されたのだ。凜の目の前が真っ暗になる。

「凜、 ムサシが何者かにハッキングを受けています。」

ゼルが警告アラートを発した。

「 なんだって?」

凜はシートを出ようかどうか迷った。しかし、レフェリーの許可なくシートを離れれば失格者扱いになってしまう。それが凜の判断を一瞬、鈍らせた。

さらに、現在ムサシとの接続を遮断してしまうと外の状況は全くわからなくなってしまう。

すると、リーナの悲鳴が通信を通して流れて来た。


「しまった、狙いはリーナか。」

凜は『天衣無縫ドレッドノート』を抜き、カプセルを破壊して外に出た。凜が外に出ると、すでにリーナはシートごとさらわれていた。リーナをさらったのは、何者かにハッキングされ、操られた複数の機体ギアであった。

「リーナ!」

凜がフィールドに転移ジャンプすると、リーナの入ったカプセルはフィールド上空に乗り付けられた飛空挺に重力リフトで引き上げられて収納されると、その飛空挺はあっというまにその姿を消した。


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