第80話:脆すぎる、記憶。1

「幻想月世界旅行記」ールーク・ハミルトン・ジャンセン著より。


「ワイバーンよ。本当に後悔はしないのか? これと契ることは、そなたの友、リンドブルムを裏切ることになるのだぞ。」


 魔王ゾルディスの懐刀といわれる妖精召喚術士ナーガはもう一度尋ねた。彼女の手には妖精を封じ込めたランタンが下げられていた。その光は妖精が放つ光である。

竜騎士ワイバーンはもう一度跪く。

「はい。彼の前に最強の壁として立ちはだかることもまた、友情の形の一つかと。彼が完全な王となるためには、乗り越える試練がどうしても必要なのです。」

ナーガは笑った。

「それは詭弁にしか聞こえぬ。ワイバーン卿。だが、あえて深くは聞かぬ。男なら誰でも語りたくは無いものを胸のうちに一つや二つ、抱えているものだ。私にとって重要なのはお前が我が陣営に属する、ということだ。さあ、契られよ。」


ナーガがランタンに息を吹きかけるとランタンから光が飛び出し、それは人の形を取る。黒みがかった銀色の髪、漆黒の瞳、灰色がかった翼。

「フェンリル族の妖精だ。こやつはお前の戦闘能力を大いに高めてくれるだろう。さあ、名前を付けてやれ。それがこやつとそなたの契りのしるしじゃ。」


 妖精はワイバーンの手のひらの上で、やはり灰色がっかった翼をはためかせ、期待を込めた表情でワイバーンを見た。ワイバーンは少し考えるとその名を告げる。

「お前の名はクロム・ビーストだ。よろしく、相棒。愛称は『クロ』だ。」

「OK,ボス。後悔はさせないよ。俺はあんたを最高の戦士にしてやる。俺が妖精界最高の戦士だからな。」


[新地球暦1841年9月17日 惑星ガイア]

[スフィア時間:星暦1552年12月2日]


「俺は、弱い。」

ルイは組織の幹部セフィラの一人、「基礎イェソド」のもとを訪れていた。彼は財務や物資の調達を担当する男で、フェニキア訛りの言葉を使っていた。

「そう焦るなルイ、まだチャンスはある。それに、素手でトリスタンとやりあう必要はないだろう。正面から行って勝てる相手ではない。傀儡マリオネットを使え。」


ルイは首を横に振る。

「そうじゃないんだ。俺は⋯⋯有人格アプリが欲しいんだ。特に戦闘に特化したタイプで。そうじゃないと、あの男を超えることができないんだ。」

ルイはハッキリとリクエストした。

「バカなことを言うな。原則的に人間の脳へのインストールは禁止されている、これは銀河系全体の禁則事項なんだぞ。」

基礎イェソドはにべもなく断った。しかし、ルイも食らいつく。

「それが『原則』というなら『例外』もある、ということだろう?」

基礎イェソドは少年らしからぬ反応に苦笑をもらした。

「そうだな。確かにお前の言う通り、あるにはある。でもそれは人工胎で育成された人造人間ホムンクルスくらいの話だ。元々やつらには人格が無いからな。それですら最近では禁止の方向へと論議が進んでいる。増してや普通の人間にそんなことしたら⋯⋯、廃人になってもしらんぞ。」


「そんなことを言っても、すでにこの組織でもノウハウはあるんでしょう? 俺は知ってるんだ。本部の地下に隠された実験棟をね。頼むから幹部セフィラの会合でかけあってみてくれよ。」

基礎イェソドは理解に苦しむ。

「ルイ、なぜそれほど焦っている? あのダァトはお前のことなど覚えてもいないのだろう? なぜそこまでトリスタンにこだわる。」

ルイは、凜の首に幼子のように腕を回したリーナの姿を思い出していた。確かに、自分を突き動かしている衝動、それは嫉妬で間違いはない。ルイは答えた。

「多分、それが俺の『初恋』だからじゃないのか。」

とても子供が言うようなセリフじゃないことを言ったので基礎イェソドは笑った。

「おいおい、まるで年寄りみたいな物言いだな。」

ルイは食い下がる。


「あんたはフェニキアの出なんだろ?あんたにはそれを手に入れるルートがあるし、それができる、俺はそう思っている。」

基礎イェソドの言葉は辛辣だが、その語調には愉快さが込められている。

「ふん、こどものくせに。」

ルイも笑った。

「ああ、こどものくせに両手の指をあわせたよりも多くの人間を屠ってきたからね。いやな子供には違いがないさ。」


しかし、予想に反してルイの嘆願はあっさりと聞き届けられた。それは、同期生としてリーナと接触したフランソワからの情報のおかげであった。

「リーナはスフィアに行きたい、と言う希望を持っています。」

短剣党の活動基盤のほとんどはガイアにあるため、スフィアにリーナの身柄を移されてしまってはお手上げなのである。そこは、義眼デバイスによる社会保安システムが完全に構築されているため、大規模な組織行動を取るのは難しいからだ。それに、間違いなく凜の庇護下に置かれるのは間違いない。そうなる前に有効な一手を打つためには試す価値がある提言だったのである。


それにルイはもともと拾われた孤児。のたれ死んでも被害はそれほど大きくはない、そう決した。反対したのは彼の直属の上司である栄光ホド勝利ネツァクだけであった。


[新地球暦1841年9月23日 惑星ガイア]

[スフィア時間:星暦1552年12月8日]


ルイにインストールされるのは諜報・破壊・戦闘のために開発された人造戦士用の有人格アプリである。正確には、魂の無い肉の塊を動かすためのソフトである。ちゃんとした人間にインストールのは初めてであった、と言われている。

それを何処から入手して来たのは武器調達・軍事教練を統括する幹部セフィラである。「ティファレト」であった。施術を前に「ティファレト」はルイに説明する。


「ルイ、有人格アプリは人間の脳の大脳皮質の一角を自分用の活動領域に勝手に改変してしまうのだ。まあ、パソコンのハードディスクをCとDドライブにパーテーションするようなものかな。そして、そのDドライブにそいつはインストールされる。それは恐らくは君の人格、性格、記憶に大きな影響を及ぼすだろう。大事な記憶があるなら、今のうちに書き留めておく事をお勧めする。」


ティファレト」の説明にルイは首を横に振った。

「もういいよ、先生。俺の『片割リーナれ』の記憶はもうどっかに消えてしまったらしい。だから、俺の記憶だけ残っていてもしょうがないんだ。昔の思い出に未練はない。一思いにやってくれればそれでいい。俺は生まれ変わりたいんだ。」


ルイは施術台の上で横たわると目をつむった。サヨナラ、リーナ。俺はきっと「生まれ変わって」も君のことを忘れないはずだ。だから必ず君を迎えにいく。

ルイの頭に電極がつけられたヘルメット状の器具が取り付けられる。本来は、人工的に作られた身体に、制御用ための人格プログラムをインストールするための装置だ。程なくしてルイは眠りに落ちていった。

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