第78話:俗っぽすぎる、名前。①

[新地球暦1841年9月14日 惑星ガイア]

[スフィア時間:星暦1552年11月29日]


「ほう? それですごすごと引き下がってきたのかね。『ザ・タワー』ともあろうお方がねえ。」

栄光ホド」はルイを珍しくコードネームで呼んだ。

「すみません。相手の強さが別格過ぎました。なにしろ、『あの時』の熾天使セラフだったものですから。おそらく、あれ以上無理に食いさがれば、こちらが全滅していたでしょう。全滅ならまだしも、生け捕りにされる可能性が高かったので、冒険する価値はない、と判断しました。作戦失敗の全責任は俺にあります。」

ルイはそう答えた。無論、「栄光ホド」が彼を罰することはない、そう知ってのことだ。しかし、ルイからは悔しさと無念さが湯気のように立ち昇っているようだった。


「お前ほどの手練れが尻尾を巻いて引き退るとはな。棗凜太朗=トリスタンか。これまた厄介なヤツが出張ってきたものだ。後、他にヤツについて気づいたことはあったのか?」

栄光ホドが腕を組むとルイの目をじっと見つめる。

「ヤツの天使グリゴリの術式は見たことがありません。噂の、その重力子界アストラル空間を自在に操れるというか、ひどく不気味な物を感じました。幹部セフィラティファレト』からもっと情報を得る必要があるでしょう。」

ルイの答えに栄光ホドは満足そうに頷く。

「なるほど。それで、やつを倒すには何が必要だろうか?」

彼の質問にルイはいたずらっ子のように笑う。年相応の愛らしい笑顔だ。

「それを考えるのがあなたの仕事です。ただ俺はそれを実行するだけのことですよ。幹部セフィラ栄光ホド』。」

そう言って司令官室を辞した。


[新地球暦1841年9月14日 惑星ガイア]

[スフィア時間:星暦1552年11月29日]


「ロン、リーナがテロリストに拉致されかけた。」

大統領に告げられてロンは昼食のサンドイッチを危うく落としかけた。

「なんだって?誰が、いつ、どうやって?」


「⋯⋯だから、『かけた』、と言ったろう?」

掴みかからんばかりのロナルドに大統領は思わずひるんでしまった。

「キミが推薦した『特別保安官』が駆けつけてくれて事無きを得たがね。」

「ああ。良かった。」

ほっとしたロナルドはその場にへなへなと座り込んでしまった。「短剣党シカリオン」対策で凜にフリーハンドで動いてもらうために、大統領に「保安官」として任官するよう頼んでおいたのが功を奏したのだ。もちろん、外国人を公安関係の職に任ずるのは法に反するが、国家として認めていないスフィアの人間であることがこの時は良かったのだ。 凜は要するに『傭兵』の扱いなのである。

 

 ただ、そのスフィアとの友好関係が、正確にはスフィアの「国王派」との関係が深いことがマイナス要因なこともあった。

「国王」や「貴族」のいる『封建的』国家との交流が、連邦の『カースト制』への回帰につながるのではないか、という批判がトニー・クラインの陣営から巻き起こされたのである。


『カースト制』とはこの惑星ガイアに人類が地球から移民した方式の名残であった。移民船には十分なペイロードが無かったため、多くの人類の遺伝子は凍結受精卵の形で運搬され、人工胎によってこの世界に生まれるようになった。

この時、スタッフである科学者たちに高邁な精神があり続ければ良かったのだが、実際にはそうならなかった。生まれた子供たちと、自分の子供たちとの間に教育上や生活上の差別を設けたのである。科学者たちとその子孫は貴族として惑星に君臨し、人工胎から生まれた人間と、その子孫を奴隷として搾取し続けたのである。それは、時経つうちにいっそう酷くなり、選挙権の有無や基本的人権の有無にまで明確な格差がもたらされるようになってしまったのである。


差別を受けていた人類はこう呼ばれていた。『土民アム・ハーアレツ』である。無論、『土民』たちの中にもこの状況を良しとしない者たちもいた。

それは新大陸の開拓に送り込まれた人々である。隣の惑星スフィアに住む人類が、再び奴隷からの独立を勝ち取ったことをフェニキア経由で知った彼らは、独立のための戦いを起こす。やがて独立を勝ち取り、「カースト制」の廃止を高らかに宣言した。それこそが、この「アポロニア国家連合」なのである。

 よって、アポロニアの人間にとって「カースト制」はきわめて忌むべき制度なのであり、自分たちの国家の存立理由レゾンデートルなのである。


ちなみにスフィアには最初からカースト制のような制度は無い。というのも、スフィアに入植しようとしていた人類が「ウロボロスの蛇事件」でドM様の策謀にはまって絶滅しそうになった時に、今の『アーサー王と円卓の騎士』の統治システムが確立したからであった。スフィアはいわゆる「自由王政」、つまり王の下に人間は平等であり、功労者に与えられる爵位も一代限りである。

 しかし、スフィアに入植した科学者たちの子孫は「貴族ハイランダー」を名乗り、アーサー王に武力的背景がないのをいいことに脈々と生き残り続けているのである。再独立後も、円卓制度を悪用して騎士団制度を貴族的な制度にしてしまったのも彼らだ。現在の反士師派の首魁であるハワードはその典型である。


それゆえスフィアとの交流が「カースト制」の復活につながることはあり得ないのであるが、人々の潜在的な恐怖心を煽るには十分であった。

「スフィアとの協力がカースト制の復活につながらないという確証はあるんですか?」

マスコミに悪意のこもった質問にロナルドは不快感を隠さなかった。

「我々は二度と奴隷にはなりません。だからこそ、スフィアと共に戦うのです。残念ながら、スフィアは現在我々よりも優れた技術を有しています。そして、彼らは主人としてではなく、友として手を差し伸べてくれているのです。皆さんはそれを疑うというのですか? できればその疑いの根拠を見せていただけませんか?」


9月も後半に入るとアポロニア大統領選挙はさらに本格的な論戦に入っていた。今回の選挙はまさに人類の生き残りをかけた選挙である。


人類最大の危機、メテオインパクトが近づいているのだ。その日は後5年とされている。

「銀河連盟は我々を見捨てた。我々は彼らにとっては未開な部族どころか、野生動物に過ぎないのだ。 一方、スフィアはその所有する先住民族ゴメル人の智慧を差し出せば、その対価として救出されるとの約束を受けたが、拒否した。それは、彼らが奴隷として売りさばかれる、という意味だったからである。我々はスフィアと協力し、この危機を回避しなければならない。」


この枕詞だけは、ブラッドフォードも、対立候補のクラインも一緒であった。

そして、その後の言葉が違うのである。


「物質界最強のブラックホール砲を導入すべきだ。」

そう主張するクライン陣営と

「物理攻撃の限界は見えた。空間転送陣によって、危機を回避すべきだ。」

と主張するブラッドフォード陣営が「がっぷり四つ」に組んでいたのである。

世論も真っ二つに割れていた。


設置する費用も運用する費用も、天文学的なものであり、どちらか一方を選択しなければならなかったからである。ただ、どちらも方式は極秘であるため、民衆にとって理論的にどちらが良い、と決めることは難しいとも言えた。そのため、選挙戦は明確な対立軸が存在するものの、論議の中身は不明確、という難しいものであった。


「こうなるとイメージ選挙になりそうですね。」

マーリンがロナルドに言うと、

「これまでイメージ選挙でない選挙なんてあったことはなかったけどね。デマとアジの投げつけあいさ。」

そう言ってウインクした。


 互いに対するネガティヴ・キャンペーンが張られた。

ブラッドフォード陣営は、「反逆者」である執政官と手を組むクライン陣営を非難し、クライン陣営は「圧制者」である国王派に与するとブラッドフォード陣営を非難していたのである。


そのため、選挙戦は連合共和党対連邦民主党の戦いのはずが、にわかにスフィア王国内の士師(凜)派対執政官マッツオとハワード派の代理選挙の様相を呈してきたのである。

 そのため、両陣営の選挙活動に外国人であるスフィアの騎士たちが応援要員として次々と送り込まれるという混沌とした展開になってきたのである。


「ロナルド、これはもはや選挙法に違反するのではありませんか?」

凜が半ばこの状況にあきれつつロナルドに尋ねる。

「ああ、そうだね。もちろん、君たちの祖国くにがこの惑星ガイアにあれば言語道断だね。一応、今回の件は国の選挙委員会でも話し合われた上での決断だ。」

ロナルドの答えに凜は驚く。

「無茶苦茶ですね。理由をお尋ねしても構いませんか?」


「もちろんだ。理由は3つある。

まず、以前にも行ったことがあったと思うが、我が国と君たちの国の間には正式な国交が無い。つまり我が国はスフィア王国の存在を公式に、正確には法的に認めていないのだよ。だから我が国の公職選挙法に抵触しない限り君たちの行動は自由、ということになるんだ。

 2つ目の、そして最も重要な理由だが、今回の選挙の争点は君たちのどちらを選ぶかが大きな争点の一つになっているからだ。無論、我が国にも経済や福祉、軍政など様々な問題も多いし、両党の目指す政策にも隔たりがある。わたしたちも、そういう大切な点は丁寧に国民に説明していくつもりだ。

 しかし、今回はそれどころじゃない。国民の命がかかっているんだ。そして、それを救う手立ては君たちが握っている。しかも、銀河連盟規約によって、僕らには開示されることがない技術だ。君たちに説明してもらう方が手っ取り早いのだよ。わかってくれたかね?」


「なるほど。理解しました。」

凜は納得する。

「最後の一つはなんですか?まだ聞いていませんが。」

マーリンが改めて尋ねる。ロナルドは苦笑した。

「そうだね、最後の一つは、君たちが『王国』である、ということだ。つまり『選挙』を体験することによって君たちに『民主主義』の大切さを学んで欲しい、ということだ。」


「なるほど。これは手厳しいですね。」

マーリンはおどけてみせた。

「ただ、その場合皆さんにはわたしたちが真似をしたくなるような民主主義を見せていただかなければならなくなりますが。」


「その通りだ。そして、私はあまりそれに関しては自信がない、というのが実情でね。」

ロナルドがばつの悪そうな顔で言う。大統領選挙だってそうだ。候補は広く議論されるどころか、上下院の議員と知事だけの、いわば密室で決められてしまうのだ。無論、最後は党員投票で決まるが、候補自体を選ぶことは稀である。


 選挙戦といっても、インターネットやテレビ番組にCMを流したり、地方都市で集会を開いたりTV討論会を行なったり、といった公のものから、ボランティアによる戸別訪問といった活動に至るまで多岐に渡る。


グレイスはブラッドフォード大統領の遊説に付いていって惑星防御システムについて現地で説明し、理解と協力を求める、というのが仕事であった。


「クライン候補は地球へ帰還するための独自の取り組みにもやる気を見せています。スフィアに全てを賭けるのは危険ではないか、と聞いているのです。」

そんな反応を聞いた凜はロナルドに尋ねた。

「地球に帰還する、という方針は惑星間協定違反だったはずですが。もちろんこれは、国家間の取り決め、と言うよりは移民船時代からの不文律のはずですが。」

 これはかつて二つの惑星スフィアとガイアに植民のためのテラフォーミングを行う前の古い協定であった。

「もう時代は変わったのだよ。そして、ここは自由の国だ。主張するだけならね。」

ロナルドはにべもなかった。


「あり得ません。ガイアだけでも20億人を超える人間がいるんです。到底できっこありません。公約にならないどころか、詐欺に近い文言ですよ。」

マーリンも抗議する。


「だから、発言だけなら自由なのだよ。有権者だってそれくらいはわかるはずだろう。」

しかし、ロナルドの楽天的な予想は外れた。意外にトニーの支持率が伸びていたのだ。彼は主張する。

「スフィアには空間転送の技術があります。それを使えば、我々を地球へと転送できるはずです。わたしが大統領になれば、その技術を提供するよう求めることでしょう。」


「光年を超える距離の転送はまだ無理ですよ。そりゃ、いつかはできるようにするつもりですが、今回の危機までに、とても間に合いませんよ。」

演説のニュースを聞きながら凜が呟く。

これは間違いなく連邦民主党陣営からの揺さぶりであった。というのも、有権者の中には地球帰還を称える「原理パリサイ派」の信徒は多い。日曜礼拝の度にマクファーレンのような僧職者に煽られては堪らない。


「結局、アポロニアの皆さんと我々の意思の疎通が未だ十分ではないのでしょう。グレイスさんも頑張ってくれてはいますが、もう少し梃入れが必要かもしれませんね。何が良いでしょう?」

マーリンも考え込む。


「私に良い考えがある。」

ロナルドは凜の肩に手を置いた。

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