第76話:不審すぎる、地味子。1

[新地球暦1841年9月10日 惑星ガイア]

[スフィア時間:星暦1552年11月25日]


「リーナ、お願いがあるんだけど。」

ロボフトの練習が終わり、研究室に戻ると同期生のフランソワ・ロジャースが話しかけてきた。

「フラン、どうしたの? 例の課題を見てあげる、という約束ならちゃんと覚えているわよ。」

リーナは相変わらず内気ではあったが、仲良くなった仲間とは打ち解けて話せるようになって来た。フランソワはリーナと同様「地味子」で、リーナも彼女と同じ匂いを感じていた。そして、同じ「幻想月世界旅行記」のファンだと知って意気投合していたのだ。


「私ね、こういう会に通っているのだけど、あなたも一緒に来てくれない?」

パンフレットには

「人は死んだら地球に帰るのか?」

と書かれていた。

「宗教? 私、実家に居た時はきちんと教会に通っていたから、私は結構よ。」

リーナは丁重に断りを入れたが、フランソワは自分一人で年寄りたちの相手は嫌だ、と引き下がらない。根負けしたリーナは一度だけ、付き合うことにした。


「リーナ、行ってはいけません。良からぬ何かを感じます。」

ティンクがいかないようにリーナに忠告した。

「大丈夫よ。⋯⋯多分。」

リーナは苦笑した。

「だって、『幻月』ファンに悪い子はいないもの。」


「それが安易なんですよ。」

ティンクはもう一度警告した。

「宗教だったら興味はないわ。それに、大学の敷地を出る時はちゃんとSPさんに付いて来てもらうから。」

これがリーナの不自由な生活の正体であった。国家機密のティンクの宿主であるため、大学構内からの外出の際には必ず地元警察の許可と警護を受ける必要があるのだ。無論、このような不自由な生活が余計に彼女の中にある「スフィア」への憧憬を加速させる。もっとも、大抵の用事は構内で済ませることが可能なため、生活に支障をきたすほどの不自由はない。


「フランなら、……多分、大丈夫だと思うのよ。」

 フランソワとはこれまで1年ほどの付き合いがあるが、遠慮もなしにプライベートに土足で踏み込んでくるような子ではなかったのだ。無論、「子」と言っても彼女の方がリーナより6つも年長なのであるが。ただ身長はリーナの方が高いだけである。


[新地球暦1841年9月13日 惑星ガイア、アポロニア連邦、学園都市セント・アンドリュース]

[スフィア時間:星暦1552年11月28日]


その「集会」は予想していたものほどおどろおどろしいものではなかった。「礼拝」ではなく「集会」と銘打っていただけあって、儀式と言うよりは聖典に基づくディスカッションやシンポジウムなどが主であった。リーナにとってその教えは耳触りの良いものではあったが、彼女の腑に落ちるものではなかった。

「ありがとうリーナ、付き合ってくれて。どうだった?」

終わった後、フランソワに尋ねられたリーナは率直に感想を述べた。

「まあ、こんなもんじゃない? 評価できるのは寄付を求めずにカネカネ言ってなかった事ぐらいかしらね。」


彼女たちが集会場を出て、警察からの迎えの車(覆面パトカー)で大学の寮へ戻ろうとした時、リーナは異変に気付いた。SPが根こそぎ入れ替わっているのである。

「ちょっと良いですか? 婦警さん、(警察)バッジを拝見してもよろしいですか?」

リーナは不審に思い、隣の女性警護官に警察手帳の提示を求めた。すると彼女たちが上着から取り出したのは拳銃であった。彼女たちは、助けを求めて叫ぼうとするリーナの口を塞ぎ、そのまま自動車に押し込める。フランソワはそのまま走って立ち去った。


(なぜ? やっぱり罠だったの? ティンク、ティンクはどこ?)

リーナは慌ててティンカーベルを呼び出そうとしたが、応答がない。彼女は手際よく手を後ろにされ手錠をかけられ、モニターの眼鏡とルーターのピアスを外される。「お兄ちゃん」を呼ぶペンダントにも手が届かない。その間にクルマは勢いよく走り出した。


リーナを拉致したのはドライバーを含めて全て女性であった。両脇の女性たちが力を込めてリーナの腕を掴んでいるのを見かねたのか、

「あまり、手荒な真似をするな。彼女は我々のVIPなのだから。」

助手席の『少女』が命じた。


リーナも口を塞いでいた手が外されると、リーナは荒く呼吸をした。恐怖で言葉が出ない。助手席に座る少女がリーナに尋ねる。

「リーナ。あなたはチェイニータウンのセント・バーバラ孤児院にいたのでしょう?その時一緒だったルイ、という名のこどもの事を覚えていませんか?」

「ルイ?……いいえ。」

少女の問いにリーナは首を振る。名前の響きに懐かしさを感じるものの、行き当たる記憶はない。4年前の「ファビュラストレジャー号事件」の時にティンクを受け入れた結果、大脳皮質をいじられたため、彼女のそれまでの記憶はほとんど残ってはいないのだ。とりわけ、孤児院での記憶はほぼ失われていたのである。たとえ残っていたとしてもかなり断片的であり、養女になった後も交流があるフランクの記憶くらいである。ただ、懐かしい

孤児院の名前が出たおかげで体の震えが止まった。


「ルイですよ。サンタ・バーバラ孤児院で一緒だった、ルイですよ?」

ルイはもう一度強い口調で問うと、リーナも首をもう一度振った。

「ごめなさい。わたし、4年前に一度、記憶喪失になっているの。だから、孤児院にいた時の記憶は断片的なものしか残ってはいないの。」


「記憶⋯⋯喪失?」

ルイは聞き返してしまった。血の気が引いたようなその表情にはショックの色がありありと浮かんでいた。

(俺の人生の中で最も大切で、最も輝いていた俺とリーナとの記憶おもいでが無い、だと?)

「ええ、そうなの。本当に、ごめんなさい。」

ルイはショックを隠せなかった。リーナと再会するために、その4年前に孤児院を出る決意をして、1年後実際にそこを飛び出した。以後3年間というもの、彼女と会うためだけ、いや、会って彼女を取り返すためだけに、どれだけ多くの修羅場を潜り抜けてきたことか。

(そんな、バカな……。)

彼の体が衝撃で震えが走った。


[新地球暦1841年8月13日 惑星ガイア]

[スフィア時間:星暦1552年10月28日]


「ルイ、朗報だ。」

組織の幹部である栄光ホド勝利ネツァクに呼び出されたルイはリーナの誘拐を命じられたのである。

「この、お前の探し物だろう?」

ルイの心は踊った。


「2年前、つまりお前がまだペーペーだった頃だ。俺たちは尊師を奪還するためにアシュリー上院議員の妻と娘を誘拐したのだ。人質交換のためにな。

そうしたら、ヤツの娘、つまりメアリーナが『ワイアット・アープ』を起動させたんだ。その起動の言語形式はフェニキア語だったんだよ。この意味が分かるか?」


「さあ?」

ルイはあまりそのことに興味は無かった。もう彼の心では彼女を手に入れたら、ということに興味が移っていたのである。


「彼女の中にあのファビュラストレジャー号の有人格アプリ『ティンカーベル』が住み着いているのさ。そう、貴重な宇宙航路図と共にね。あの時メアリーナは奪還されてしまったが、怪我の功名で、ティンカーベルと航路図のありかが判明したんだ。

 彼女こそ我々が探し求めて来た第11の、そして最後の大幹部セフィラ、『知識ダァト』だ。俺たちの計画に絶対に必要な存在なんだ。ルイ、お前の任務は『知識ダァト』の回収だ。」


ルイは女性でチームを作り、すでに組織によって大学に潜入していた工作員フランソワと大学構外におびき出し、拉致を決行することにしたのである。

ルイたちは警護官を拘束して、入れ替わってリーナの拉致に成功したのである。


[新地球暦1841年9月13日 惑星ガイア]

[スフィア時間:星暦1552年11月28日]


(俺は、こうやってキミに会うために、それだけのために、全てを犠牲にしたと言うのに。)

ルイは忸怩たる思いであった。しかし、リーナの表情には恐怖だけで、懐かしさを微塵も感じていないようであった。


「お兄ちゃん、助けて。」

リーナは凜の名を呼んだ。

(くそ、不幸せそうだったお前を俺が助けに来たのに。ほかの男の名が呼ばれる。これほどの屈辱があるだろうか?)


その時だった。ドライバーが急ブレーキをかける。目の前に突然、人が現れたからだ。

「どうした?」

ルイが前方を見ると、そこには凜が立っていた。

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