第75話:幼すぎる、暗殺者。②

娘の問いに、ロンは答えた。

「そりゃ怖いさ。僕だって人間だからね。でも、僕がここで投げ出したりしたら、いったい、フランクの意思を誰が継ぐのだろうか? だからこの国とこの惑星ほしを救うための戦いを僕は放棄できない。僕は政治家なんだ。」

そう言い切ってから、ロナルドは格好をつけすぎたかな、少し反省した。


しかし、ロナルドにとって、リーナの反応は思いがけないものだった。

「パパ、やってみたら良いと思う。ママは私と(弟の)ロビーのことを心配してそう言ってくれたけど、本当はパパの応援をしてあげたいんだと思う。

ここでパパが辞めたら、流れ星が地球に当たって皆んな死んじゃうかもしれない。だから、頑張ってほしいの。」


「リーナ。」

ロンは娘を抱きしめた。

「良いんだね、本当に。」

リーナも父を抱きしめ返すとリズに向かって目をあげた。

「ねえ、ママもパパに賛成してあげて。」

「そうね。リーナのいうとおりね。」

リーナの言葉にロバートを抱いたリズもその輪に加わった。


こうして、ロナルドの副大統領候補としての戦いが始まったのである。



「幻想月世界旅行記」-ルーク・ハミルトン・ジャンセン著より。


「アブリル⋯⋯様。お願いです。この、このペンダントを私の娘⋯⋯リンダに渡してはもらえませんか? これは死んだ家内、つまりあれの母親の形見なのです。」

「ピーター、駄目よ。弱気になってしまっては。気を確かに持って。これは、リンダの結婚式の時に、あなたから彼女に直接手渡すはずの物なのでしょう? そこまでは絶対に死ねない、と言っていたのでしょう。」

アブリルを庇い負傷したピーターは虫の息であった。地には大量の血が流れ、抱きおこす兄のクリントの服は彼の血で深紅に染まっていた。アブリルは必死に彼に呼びかける。


ガイアから訪れた旅行者 、アブリル・レイドハーツと兄のクリントは病の床に伏せる父のために、はるばるガイアから惑星スフィアにわたり、北極圏の森に入り、龍眼石を手に入れた。しかし、悪党であるジャック・スミス海賊団に奪われてしまったのだ。

龍眼石は魔法の宿る石だったので、それはフェニキアの闇ルートで捌けば高い報酬が得られるからである。


竜騎士リンドブルムは、怒りと落胆に心震わす二人に新たに龍眼石を探すよう勧めたが、二人は奪還しようと天使兵器を持ち出し、海賊の本拠地に潜入したのだ。彼らはそれを発見し、喜び勇んでそれを取り返すと、警報が鳴り響いた。

それは、リンドブルムを陥れるための罠であった。

二人は命からがら彼らのアジトを脱出するが、それは凄絶な追撃戦チェイスの始まりだった。彼らは遂に追いつかれ、アブリルを襲った凶弾を代わって浴びたのはガイドのピーターであった。

ピーターは寡黙で温厚な男で、酒を呑まない限りは自分の身上について一切を語ろうとはしない男であった。彼は妻の命を海賊に奪われ、男手ひとつで娘のリンダを育て上げたのである。彼女の結婚が決まり、婚家に気まずい思いをさせたくない、と思った彼は、高額な報酬に惹かれてクリントとアブリルのガイドを引き受けたのである。


「悪いのは私なのに、なぜ、なぜそれを私に託すのですか?」

アブリルは涙ながらにピーターに尋ねた。

ピーターは微笑み、泣きじゃくるアブリルの頭を撫でながら言った。穏やかで、低い声で、そして、絶え絶えに。

「お嬢さんがリンダにそれを渡す、と言うことはあなたが生きてこの危機を脱する事を意味するからです。生きてください。どんなことがあっても、です。

ありがとう。私は最後まで人のために生きた。若い頃、憧れてはいたが、決して手が届かなかった騎士の死に様だ。私は最後、貴婦人のために自己犠牲を払う騎士として、名誉のうちにこの世を去るのだ。きっと、陛下は私をティル・ナ・ノーグへと導いてくださる。そう、ティル・ナ・ノーグへ⋯⋯。」


ペンダントを握るピーターの手が弛緩し、それはすべり落ちた。その鎖はアブリルの首にかけられていた。ただ、まだ危機を脱したわけではなかった。

「ごめんなさい。私がワガママを言わなければ、どうしよう?私はどうしたらいいの?」


その時、彼女たちを追う、天使兵器が墜落した。

その白銀の陰は、彼女たちが心底待ち望んだものであった。

「竜騎士、リンドブルム。」

背中に生えた4枚の竜の翼は悪魔の翼のように凶々しく、月明かりに照らされたその白銀の鱗は神々しいほどの厳かさを湛えていた。

リンは二人の乗る竜に飛び乗った。

「リン、ごめんなさい。私のせいでピーターが。私はリンダに合わせる顔がないわ。いったい私、どうしたら。」


アブリルは縋るような目でリンを見つめる。

「生き抜きなさい。立派に生きぬいて恥をかきなさい。そして、それを持ってリンダの元へ行き、あなたの不明を詫び、彼女の父の立派な最期について語るのです。それがあなたの負うべき咎、そしてそれを償うための罰です。」


「リン⋯⋯」


リンは振り向くと彼らを包囲する海賊たちに相対した。

「龍眼石を置いて行け。それはヤツラが俺たちから盗んだ物だ。」

彼らの要求にリンはふっと笑った。

「先にそれを盗んだのはあなた方だ。もう、茶番は終わりだ。私が登場したからにはもう 、すでに大勢は決した。あなた方は自分の命を分捕り物としてアジトへと持ち帰るが良い。これは、騎士ピーターの遺徳による慈悲である。

あなた方にも家族があり、あなたの帰りを待つ者もいるはずだ。騎士ピーターは娘を愛し、亡くなった妻を愛した。それゆえ、ピーターの慈悲をあなた方にも差し伸べよう。


二人の魂はティル・ナ・ノーグへと導かれた。そう、そこはあなた方が死んでも行けぬところだ。もし、あなた方がこの慈悲に縋らぬのであれば、私はそうではないところへとあなた方の魂を送り出すことになる。この七代目村正、ラ・クリマ・クリスティによって。」


リンは刀を抜く、純白の柄から伸びる刀身は月明かりを浴びて妖しい光を放つ。水に似た液体がが雫となって剣先から滴りおちた。この、「ラクリマクリスティ」がどれだけ斬っても刃こぼれをおこさせぬよう、刃に切れ味を与え続けるのだ。


皆、その刀の美しさと妖しさと、その場の空気の張り詰めように、まさに、息を飲んだ。

「ここで踵を返すのは、決して恥ではないのですよ。海賊諸君。」

彼らを睨むリンのアイスブルーの双眸は炎のような赤みを帯び始めた。



(そう言えば、私、ピーターの姿をフランクおじさまに重ねていたんだわ。)

何度か読んだくだりのはずなのに、リーナ頬を涙が伝った。無論、これはフランクの面影を思ってのことである。

フランクリン・バネットの死は彼女の心を抉っていた。


この物語を教えてくれたのはフランクだったのだ。月を見るのが大好きだ、と言ったリーナに、私が子供の頃に夢中で読んだ本だよ、と言って 分厚いこの本をくれたのだ。

この本は15巻の大シリーズで何度か映画やアニメーションにもなっている。

「私の親友で、亡くなった君のお爺さんにあたるドン(ドナルド・アシュリー)もこの物語が大好きでね。どうしてもスフィアとの国交を目指す。私たちにそう決意させた本でもあるんだ。こうやって命と、志は受け継がれていくのかもしれないね。」


幼かったリーナにとって、何かを受け継ぐ、という感覚はまだなかった。

(私は、アビィがピーターにしたように、フランクの恩に答えなければならないわ。⋯⋯生き抜くことによって。その遺志を紡いでいくの。そう、月との交流、それが私の今の望み、だわ。)

そう思うのも、何度かテロ事件に巻き込まれるという謂わば死地を経験したからであって、その経験は彼女の身体の急成長と相まって、一層彼女に大人びた雰囲気をまとわせるものとなった。


しかし、彼女の心までが大人になったわけではない。


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