第62話:はかなすぎる、誓い。②

「ルイ・リンカーンか? たいそうご立派な名前だな。……コソ泥にしては。」

男はルイの名を聞くとふっと笑った。ルイは多少気を悪くしながら反論する。

「俺も本当の自分の名は知らないんだ。俺は『親なし』だ。この名前をつけてくれたのは孤児院の先生だ。」


男はおもむろにタバコに火をつけるとルイの目を見据えた。

「おい、坊主、なぜこんな悪いことをした? 人様の物を盗んではいけない、と教会で教わらなかったのか? 先生だって立派な人間になってほしくてリンカーン、って名をくれたんだ。」

子どものルイに「テロリスト」などという概念など解るはずもない。その銃の持ち主である「怖そうなオジさん」にルイは悪びれずに答えた。


「オジさんの車を取ったのは悪かったよ。でも、俺にはどうしても会いに行きたいヤツがいる。だからどうしても車が必要だったんだ。でも俺は『親無し』だから、誰もそこまで連れて行ってはくれなかった。だから仕方がなかった。もう、二度としないから許して欲しい。」


「本当にもうしないのか?」

ちっとも謝っているように聞こえないルイの言葉に男は尋ねた。

「少なくとも、おじさんの物には手をつけないよ。でも、他の人の物については、おじさんとは関係無いでしょう?」

自信満々に答えるルイに男は苦笑を隠そうとはしなかった。

「面白い坊主だな。⋯⋯」

男は、幼いながらのルイの機転と胆力に驚いた。そして男は尋ねた。

「お前、仕事が欲しくはないか?」


「オレみたいなガキを雇うとこなんかあるのかよ? ⋯⋯ってホントですか?」

ルイは食いつく。

「ホントだ。お前みたいな利口な坊主にしか出来ない仕事だ。もし成功したら現金で500ドルやろう。しかも、お前の会いたいヤツがいる街までは送って行ってやる。どうだ?」


これはルイにとって願っても無い話であった。二つ返事で受けたその仕事とは、女装して大きなヌイグルミを持って、とあるパーティ会場に潜入し、そこにヌイグルミを置いてくる『だけ』、というものだった。

「簡単ですね?」

ルイの答えに男は作り笑顔を浮かべる。

「そうだ。簡単な仕事だ。でも、誰にでもできる仕事じゃない。少なくても俺みたいな『おじさん』には到底できない仕事だからな。」


ルイはその日、久しぶりにシャワーを浴び、体を洗った。そして、女の子のドレスを着せられる。長い髪のかつらをつけられるとなかなかの美少女ぶりであった。

「坊主、なかなか似合ってるじゃないか。完璧な変装だよ。それから、仕事が終わったらこのゴーグルデバイスをかけて、その指示に従え。いいな。」


夕方、大きなホテルお前まで連れていかれたルイは、パーティーの入場受け付けの列に紛れ込むように指示された。ルイは家族づれの後ろにくっついてそのパーティー会場に潜入した。あどけない女の子の持つぬいぐるみに警戒するものは誰もいない。警備のものたちも家族とはぐれたのかな、という程度にしか見られない。ルイはパーティ会場の椅子にぬいぐるみを置くと女子トイレの個室で指示を待つ。


「ねえ、まだなの?」

トイレでゴーグルに話しかけるも、返答はない。

しばらくすると、突然、ドン、という何かが炸裂する音と、人々の悲鳴が上がる。その振動はルイが座るトイレの便座も大きく揺るがした。その時、ゴーグル型デバイスに反応があった。


「坊主、今だ。ゴーグルをかければルートが矢印で指定される。それに従ってそこから逃げろ。」

ルイがトイレを出ると煙が立ち込めている。ルイはゴーグルを掛けると煙を吸わないよう口を押さえながら、映し出される指示に従って移動する。人々が泣き叫びながら走り回り、サイレンが鳴り響いていた。

ルイは何度も人とぶつかりながらもそのホテルから脱出する。


(いったい、何があったんだろう?)

ルイは怖くなって走り続けた。なにがなんだか訳も分からず、指示に従って走っていると後ろから車が寄って来た。

「乗れ。」

差し伸べられた「おじさん」の手を取ると、ルイはそのまま車に引っ張り上げられたのである。

ルイは荒い息を吐きながらゴーグルをはずした。

「ああ、苦しかった。火事だったの?」

男の答えは質問に対するものではなかった。

「よくやった、坊主。作戦は大成功だ。」

「⋯⋯作戦?」

ルイたちが泊まっていたモーテルに戻ると、その言葉の意味がようやく分かった。

彼が潜り込んだのは捕鯨船団体のパーティだったのである。捕鯨船団体は短剣党シカリオンの取り締まり捜査の強化のために与党政治家に多額の献金をしており、その寄付金を集めるためのパーティであった。


彼らが忍ばせていたドローンが会場の惨劇を映し出す。流されたおびただしい血。バラバラに散った体の一部。目を見開いて虚空を睨みつける死体。ショックのあまりルイは嘔吐しそうになった。

「これ、まさか⋯⋯。」

嫌な予感にルイは息を飲む。

「やったのは、お前だ。ルイ。お前が仕掛けた爆弾が爆破したんだ。」


男は初めてルイを名前で呼んだ。ルイは自分の名前を呼ばれてこれほど気持ちが悪いと思ったことはなかった。ルイはトイレに駆け込んで嘔吐した。これは、人間としてはごく当然の反応だった。胃の中に吐くものなくなったルイは、胃液の酸で喉に焼け付くような痛みを覚えつつも、なおも吐き気が止まらなかった。その後ろに男は立ち、話を続けた。


「それでな、ルイ。お前が殺したのは5人だ。初陣にしてはなかなかのもの⋯⋯いや、大したものだ。」

そして、10ドル札で50枚の束をルイの傍に投げて寄越した。あれほど欲しかったはずの金のに、ルイにはそれに触る勇気が無かった。


「どうした、ルイ。それはお前の金だ。お前が血と汗を流して稼いだ金だ。おっと、血を流したのはお前じゃなくてお前と同じくらいの歳の女の子だったみたいだぞ。まあ、うさちゃんのヌイグルミじゃ、当然、そうなるわな。なにせ爆弾入りだったんだからなあ。⋯⋯ところで、その、なんの罪もない人間の血と汗と涙がしみ込んだ、その金を握って、友達、いや、お前の好きな女の子かもしれないな。その子に合わせる顔がルイ、お前にはあるのかい?」


それは、一番痛い問いだった。ルイは便座に顔を突っ伏したまま、首を横に振った。みんなを笑顔にするのが大好きだったリーナ。そんなリーナを俺は裏切ってしまった。人殺しになった自分は一体、どんな顔をして彼女に会いに行けばいいのだろう。彼女の笑顔を取り戻すどころか、軽蔑されるに違いない。


男は言った。

「ルイ、お前には間違いなく才能があるよ。ただし、こっちの世界の話だけどな。もしお前に行くあても、帰るあても無いなら、しばらく俺たちと一緒にいればいいさ。少なくとも食うだけにはには困らん。俺のコードネームは『栄光ホド』だ。よろしくな、ルイ。」

その日、ルイは孤児院に帰ることも、リーナに会うことも諦めた。間もなく彼は見たこともないような外国へ連れていかれ、同じような年頃の子供たちと軍事教練を受けた。そして洗脳教育を一心に受ける。そうでもしないと気が狂ってしまいそうだった。


その中でもルイはめきめきと頭角を現して行く。

「俺が死んでも悲しんでくれるやつは1人もいない。」

組織は、暗殺者ヒットマンとして彼に仕事を与えた。そしてルイはわずか2年の間に三人の要人を暗殺し、5回の爆弾テロを成功させた。

彼が「美少女テロリスト」として軍や警察に知られるようになるまで、それほど時間はかからなかった。

ルイは「女装」をしたままでいたのだ。むろん、彼に同性愛の性向は微塵もない。いわゆる『男の』である。それはもともと自分が犯した罪の重さから顔を背けるためだった。女装して別人になりきれば、人を殺めたのは自分の中にいるもう一人の自分の仕業だ、と自分に言い聞かせながら『任務』にあたることができたからだ。そして、得てして女の子の方が警備側にもターゲットにも油断を生じさせやすかったからでもある。

今や自前の髪は肩まで伸び、かつらをつける必要もなくなった。そして、少女のように薄化粧を施した彼が「少年」であることを知っているのは、彼の直接の上司である2人の幹部セフィラ、「栄光ホド」と「勝利ネツァク」、そして彼が率いるチームだけであった。


やがて、彼の「勲功」は彼をその組織の中での序列を押し上げていった。

短剣党シカリオンには十人の大幹部がいる。その組織は「セフィロトの樹」になぞらえて組織されていた。党首の「王冠ケテル」を頂点に十人の幹部が「セフィラ」と呼ばれ、彼らを補佐する22人の準幹部が「パス」と呼ばれていた。基本的に幹部の本名も素性も構成員にすら知られていない。

しかし、実際に会って話をすると、彼らの中にはガイアに住む地球人種テラノイドのみならず、スフィアやフェニキアの人間もいた。

そんな中で、ルイは徐々に存在感を強めていったのである。彼はやがて準幹部パスの座に就く。


ザ・タワー」、そして、これが彼の組織の中での新たな呼び名となった。


そして、ルイの中で再び自分の野望がむくむくと沸き起こってきたのである。

「リーナを取り返す。」

死ぬのは怖くない。人を殺した自分に死を忌み嫌う資格はない。でも怖いのは自分が死んでも誰も悲しむ者がいないのが苦しい、それが彼の動機であった。


彼は地下の訓練施設で射撃の訓練を続けていた。そして、自分のチームにも教練を施す。今年、短剣党シカリオンにとって最大の作戦が行われることになっていたからである。

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