第56話:小さすぎる、貴婦人。③

「そして、これからどうなるんだ?」

ケビンが立ち上がると説明を始める。

「ええ、今回、トリスタン卿の作戦はこうです。ボイスを使ってこのニコラウスに本部の通信回線に接触させます。そこに有人格アプリ『ブーネ』を送りこみます。そうすれば、ネットワークを通してすべての人質の監禁先を突き止めることができるでしょう。」


「ブーネ?」

シュローダーは聞き返す。モニターのアザゼルの横にキャップを被った半ズボンの少年が現れる。ゼルが紹介する。

「『ソロモン七十二柱』序列第26位ブーネです。彼は拠点制圧型アプリという性格を持っており、ハッキングを通してホストコンピュータを制圧、突入チームの援護をします。ブーちゃん、ご挨拶は?」

「ぶーちゃん」と呼ばれ、ブーネは明らかに嫌そうな顔をする。

「ブーちゃんと呼ぶな。」

ブーネはキャップを取ると会釈をする。

「ボクのことは『ミスターB』とでも呼んでくれ。今回、拠点制圧のプロであるボクがわざわざ出張ってきたんで、みんな大船に乗ったつもりで戦ってくれ。」

(惜しい、眷属語ハイ・エンダーズなら「ブーネ」だけに「大船」だったのにね。)

ゼルがほくそ笑む。


ニコラウスは飛空艇で自分にあてがわれた部屋に入ると、酒を飲み始めた。そして、ポルノ雑誌を読み始める。

「おいおい、とんだ生臭坊主だな。」

カンファレンス・ルームを失笑が包んだ。ただ、ニコラウスに『ヴォイス』が仕込まれていることを全く気づかれていない、という証左でもある。


 その間にも、様々な部署から情報が上がってきており、その分析や対処にも追われた。1時間後、飛空艇はいずこへかと着陸し、ニコラウスも飛空艇を降りた。


その後もニコラウスの「生臭坊主」ぶりは健在で、自分の部屋でシャワーを浴びると、最初に自室に呼びつけたのは娼婦コール・ガールであった。たっぷりと情事を楽しんだ後、ふたたびシャワーを浴びるとバスローブに身を包み、ソファに座ると葉巻をくゆらせ、高級ブランデーを楽しむ。


「惜しいな、あと長毛種ペルシャの白い猫でもいたら、完全に悪の親玉だったのに。」

ケビンが悔しがった。

 そして、もう一度ニコラウスが電話の受話器を取る。ここでブーネが行動を開始した。ニコラウスを経由して電話からシステム内部にもぐりこんだのだ。


「これでしばらくはお下劣な映像を見なくても済む、というわけだ。」

ケビンがやれやれ、と言いたげに両手を開き、首をすくめた。

「もっとも、つぎは人質奪還に向けた準備をしなければなりませんよ。」

凜がケビンにいう。


「それなんだが。今回、強襲アサルトチームをお宅の飛空艇で運んでもらうということになったが、代理人閣下には突入には参加しないでいただきたい。」

シュローダーが唐突に言い出す。

「ここは我々の国だ。我々の同胞は我々が救わねばらないのだ。あなたが治外法権者アンタッチャブルなのだから、この事件にも首を突っ込まない(ノータッチ)でいただきたい。」


凜は少し考えてから、

「わかりました。ただ、人質が3か所に分けられて監禁されている場合、わたしはリーナを救出するチームを運ぶことでよろしいですか?」

これが凜の要求の最低ラインであった。リーナの所在の座標さえつかんでしまえば、あとは転移陣ゲートを使えばいいだけのことだからだ。


やがて、ブーネから連絡が来る。予想通り3か所に分けて監禁されており、しかも本部や支部、といった自前の施設ではないことも明らかになった。そして、現在彼らがいる場所も、本部ではない、ということも明らかになった。


「意外に賢い、というよりは思ったより組織の規模が大きい、といえるだろうな。あちらさんは、こっちの力量を図るつもりなんだろうか?」

ケビンが感心したように言った。

「まあ、どちらかといえば、『蜥蜴の尻尾切スケープゴート』かもしれませんよ。少なくても精神的支柱であるニコラウス師は奪還したことですしね。」

凜が推測する・


「では、とりあえず同時に作戦をスタートさせましょう。時計をあわせますよ。」

凜がいつもの癖で、つい仕切ってしまうとシュローダーは咳払いをする。


作戦決行は翌未明の午前4時と決まった。

 凛とマーリンは強襲降撃艇ヴェパールと共に大陸西海岸にある大都市、ゴールドラッシュ市郊外にある富裕層の住宅街の一角の売り家にターゲットを定める。これがリーナと母のエリザベスが監禁されている座標なのである。


[新地球暦1839年6月29日 惑星ガイア]

[スフィア時間:星暦1550年9月14日]


「わたしはもう要らなくなった子どもなのではないだろうか?」

リーナはいつも不安だった。もちろん、実子のロバートがうまれたとはいえ、あの事件の時に体を張って両親をたすけてくれたリーナを邪険にするはずはなかったのである。

 しかし、その態度がますますリーナを精神的に追い込んでいったのだ。彼女はティンクを受け入れた時に生じた大脳皮質の変質のため、性格が内向的になってしまったのである。また、孤児院時代の記憶をほとんど失ってしまっていた。そのため、彼女はすっかり自信を失い、極度に人に嫌われることを恐れ、引っ込み思案になっていった。のである。彼女が唯一生き生きとできるのは読書をしている時であり、とりわけ、スフィアに関する物語は彼女の心を羽ばたかせるものだったのである。

 そして、彼女の前に現れたのが、「月の王子様」だったのだ。


 リーナは、凜が会いに来る、と約束したその日の正午、突然賊に襲われたのである。家族やスタッフたちと共に教会での礼拝に参列し、帰宅した直後のことであった。


「お兄ちゃんが助けに来てくれる。」

それがリーナの確信の全てだった。


リーナが監禁された部屋は薄暗い客室ゲストルームで、光が漏れないように分厚い遮光カーテンが入れられ、目張りもされていた。手は自由だったが、両足首に手錠をかけられていた。


リーナだけ解放される、と知らされた時、リーナはそれをきっぱりと断ったのだ。

「私はママと一緒でないと帰りません。」

エリザベスは

「リーナ、何を言っているの? あなた正気なの?」

そう言ったがリーナは頑なだった

「ねえ、ママ。私、あの人たちを信用出来ない。解放すると見せかけて、私を別の場所へ移すだけかもしれないもの。それよりも、お兄ちゃんを信じてる。だって、会いに来る、って約束したもの。」


「なぜ、それほどまでにお兄ちゃんを信じられるの?」

エリザベスはリーナに尋ねた。


「だって、それが騎士ナイトですもの。騎士は貴婦人レディとの約束は、法に次いで 守られるべきもので王の命令より上なの。だから、私は決めたの。騎士に約束を守ってもらえる貴婦人になる。だから、子供でいることはもう、止めたの。」

その時だった。ティンカーベルがリーナに囁きかける。


「ママ、お兄ちゃんが来るわ。」

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