第54話:小さすぎる、貴婦人。①

[新地球暦1839年6月23日 惑星ガイア]

[スフィア時間:星暦1550年9月8日]


リーナに弟のロバートが生まれた頃の話である。


「パパ、そのボール、なあに?」

フットボールの楕円の球をロンが握っていたのだ。

「ああ、これはパパが子供のころ、パパのパパとキャッチボールしていた思い出のボールさ。男の子が生まれたら、これでキャッチボールするのが、パパの夢、だったんだ。」

別に男系至上主義の世界では無いガイアだが、「男は名を繋ぎ、女は命を繋ぐ」というように名家になると男の子が望まれるのは不思議ではなかった。

「パパ。ロバートが生まれてくれて、本当によかったね。」

リーナは不意にロンに言った。


「あ、いや。そういう意味じゃ無いんだ。もちろん、リーナが私の娘で私は誇らしいよ。君のこともとても愛しているよ。リーナ。」

ロンは慌ててリーナを抱き上げると頬にキスをした。

(でも、ロバートが生まれたから、もう私は1番ではないんだろうな。)

リーナの中に弟への嫉妬はなかった。リーナにとっても可愛い弟である。でも、ただ単純に淋しい、という感情が湧き上がった。家族で血の繋がりが無いのは私だけなのだ、という事実に気持ちが押し潰されそうになっていた。


「ここは?」

リーナが目を開けると、そこは見知らぬ天井であった。

「そうか、わたし、攫われたんだ。」

彼女がうす暗い部屋を見回す。隣に母のリズがいた。リーナは母にそっと手を触れる。母がその手をにぎりかえしてくれた。

(良かった。ママも無事だったんだ。)

リーナは目に涙が溢れていることに気づく。そして、それが先ほど夢に見た2年も前の出来事のせいであったことに思い当たった。

(2年も経っているのに。まだ、私、こだわっているんだ。でも、お兄ちゃんは違う。必ず私に会いに来る、って約束してくれた。だから、絶対に助けに来てくれる。)

リーナはもう一度床に転がった。今度は体力を温存させるために。


短剣党シカリオン、と見られるテロリストに誘拐された要人、およびその家族は7人だった。

あの高級住宅街に住んでいた3つの屋敷から無作為で誘拐されたのだ。


アポロニア連邦最高裁判所判事ジェフリー・パットン・ギュンター。そして妻のアマンダ。

ガラテア州選出の上院議員ロナルド・カーター・アシュリーの妻エリザベス、および娘のメアリーナ。

大企業マックイーン・マテリアルのCEOアレックス・ジェイコブスと孫のジャスティン・クリーブランド。そしてそこに偶然遊びに来ていたジャスティンの友人で同企業COOロイド・ウイリアムスの孫娘、フィリス・アン・ウイリアムスであった。

ナベリウスはこれら出回るはずのない情報をすでに獲得していたのである。


「マジかよ。100点満点じゃん。」

ケビンはその能力に驚きを隠せなかった。

「ナベちゃんは優秀だね。こんな極秘情報をたった2、3時間で集めてしまうなんて。⋯⋯どう? 連邦捜査機関うちに来ない?」

「驚く必要などありません。これがスフィアであれば5分とかからない仕事です。褒められるには値しません。」

つらっと答えるナベリウスにケビンはウインクした。


そして、シカリオンが犯行声明を出した。サングラスをかけたままの装いで、「代弁者スポークスマン」と目される、コードネーム、「理解ビナー」といわれる大幹部の一人である。


彼は誘拐された7人を紹介し、彼らが極めて『紳士的』に扱われていることを述べ、最後までそう扱われるかどうかは政府の対応如何である、と警告した。

 そして、彼はメテオ・インパクトの危険性をハッキリと述べ、政府の情報隠蔽と偽の情報を流して国民を欺いている、と非難した。

さらに、全市民が一時的に星系外に避難することと、それには宇宙船が必要であること、それを得るために戦わねばならないことを主張したのだ。


それで、すべての「捕鯨」船はその採掘活動を止めて避難船として活用すること、宇宙船の高度な技術を持つスフィアに軍事行動を起こしてその技術を供出させることを要求した。

その手始めとして、スフィアの空母フォルネウスを引き渡すよう求めたのだ。求めに応じないなら人質を殺すであろう、ということであった。そして、彼らが避難先として挙げていたのが「地球」であった。


「どう思う?」

ケビンは凜に感想を求める。

「そうですね、ルネを取られたら僕はどうやってスフィアに帰るんでしょうかね?」

凜は嘆いて見せた。


「馬鹿げている。あいつらクスリのやり過ぎに決まっている。頭がおかしい。」

今回の誘拐事件の捜査本部長であるマーティン・シュローダーはどなり散らした。

凜は地方警察の会議室に作られた捜査本部にケビンとともに詰めていたのだ。


「でも彼らの狙いは悪くないですね。ルネなら地球までピストン輸送ならなんとか間に合いそうですからね。まあ、惑星一つ分のお金持ちくらいは。」

マーリンは涼しい顔で言った。

「じゃあ、スフィアはどうなるんだよ?」

凜が苦笑する。


「そんなこと言ったってなあ。いったいその地球とだれが話をつけるの? 地球で俺たちの人権は保証されているのか?だいたい、そんなことしたらスフィアと戦争になる。そして、それは2日3日で終わるもんじゃない。戦争にうつつを抜かしている間に、俺たちはジ・エンドだ。机上の空論も甚だしい。話にならん。」

ケビンが吐き棄てるように言う。


そいて困ったことに、インターネットでは彼らに迎合する書き込みも見られるようになった。シカリオンは若者、とりわけ既得権益の蚊帳の外にいる連中の耳に心地よいことを言っているのだ。

「こんなプロパガンダに踊らされて、やつらの戦闘員したっぱにでもなるヤツがゴロゴロと出るんだろうな。やれやれ。」

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