第49話:苛烈すぎる、記憶。②

 それは、リーナの脳の大脳皮質を変化させ、ティンカーベルの司るスーパーコンピュータ領域が完成したことを意味していた。大脳皮質コンピュータ。C3シーキューブである。

「ごめんなさい、リーナ。この船には私を受け入れられる適合者はあなたしかいなかったの。」

 ティンカーベルは幼子に自分を受け入れさせたことをわびた。人体への『有人格アプリ』のインストールは原則禁止されているからである。それは、インストールされた人の命や人間性を著しく損なう危険性があるからだ。


リズの腕の中で頭を抱え、苦しんでいたリーナの身体が弛緩する。

「リーナ?」

気を失ったのかと彼女の意識を確かめるリズに、リーナはぱちりと目を開いた。

「リーナ、大丈夫なの?」

心配する母にリーナははっきりと告げる。

「ごめんなさい。ママ。私はもう大丈夫よ。」

リズが腕をほどくと、リーナは母の肩を頼って立ち上がった。

(『拒絶反応』、『人格崩壊』……なし。)

ティンカーベルはリーナの体調を確かめた。


「リーナ、無理をしなくていいんだよ。もう少し横になっていなさい。」

いたわる母にリーナは首を横に振った。

「リーナ、ほんとうに大丈夫なのかい?」

ロナルドも尋ねた。


「すこし、待っていてね。パパ。」

リーナは立ち上がると船長用のデスクの端末をいきおいよくタイピングする。ティンカーベルはあっという間に船全体への支配力を回復した。


 しかし、リーナの叫び声をテロリストたちは察知していた。

「おい、船長室あそこに誰かいるぞ。」

「兵士かもしれない。射殺しろ。」

テロリストたちは船長室に侵入を試みるが、部屋は施錠されていた。

「船長、扉を開けろ。」

テロリストたちの要求に船長は首を横に振った。

「鍵は先ほど君たちが取り逃がしたティンクが持っている。それに、中にいるのは見学中のただの一般人だ。君たちと同じガイア人だよ。」


しかし、テロリストたちは引き下がらなかった。

「いや、中にパソコンがあれば、ティンカーベルの逃亡先はそこに違いない。開けろ。」

頑として拒絶する船長を見て、テロリストたちは確信を深めたようだ。

「では、ブレードを使え。」

彼らの代名詞である短刀が登場する。その刃はドアに当たると火花を散らしながら、まるでグラインダーで削り取るように硬い金属で出来たドアのノブを切り取っていく。


「リーナ、リズ(エリザベス)。私の後ろに下がって。」

ロナルドは侵入者に備え、家族を部屋の奥へと押しやる。ティンクはリーナのデバイスを通じて、船のコントロールを取り戻していたのである。


ドアが開くと銃を向けた男が入って来た。

男は部屋を見回すと三人にすぐに気づいた。

「手を上げろ。」

命令に従って三人は手をあげる。男はパソコンに気付いた。

「それを渡せ。」

ロナルドはリーナからパソコンを受け取るとそれを渡した。

「こいつか。」

そう言って電源を落とす。このまま持ち帰るつもりなのだろう。男はにやりとした。


その時だった。

「さあ、ショーの始まりよ。(It's show time.)」

リーナが言った。


 それと同時に船橋ブリッジのドアから、荷物の番をしていた傀儡マリオネット呼ばれる遠隔操作式の警備ロボットがなだれこんで来たのだ。

大抵の賊は荷物を狙うため、貨物室カーゴ・エリアには武装した警備ロボットが常駐しているのだ。そして旅客エリアや乗務員エリアは人間の警備員が安全を守っている。今回は貨物室にテロリストが一切手をつけなかったため、スルーされていたのだ。


「なぜだ?なぜこいつらが動ける?ティンカーベルはここにはいないのか?」

しかし、ティンクが逃げ、コンピュータ・コアが休眠スリープ状態にあるのに、誰がどのように傀儡マリオネットに指示を与えているのか、ここにいる誰にも皆目見当がつかなかったのである。


 しかも、占拠されているパーティ会場にも同時に警備ロボットがなだれ込む。しかも、荷役用の作業ロボットまでやって来たのだ。

「ティンクは生きている。そう、ここではないどこかで。」

船長が呟いた。まるでそれは祈りの言葉のようであった。


 ロボットたちは次々にテロリストたちに襲いかかった。彼らは『天使』を起動する間も無く、手や足を潰された。今回の襲撃は武装した兵を襲うわけではないので軽装の者が多かったのだ。


「くそ、ロボット三原則はどうなっていやがる?」

自律型ロボットは人を襲わないように、活動領域外での機能を制限されているのだ。

「ようは『自律』じゃないんだ。誰かが、どこかでこいつらを操っているんだ。いったい誰だ?どこにいるんだ?」


 ティンカーベルはリーナのC3領域を目一杯使って、傀儡マリオネットを使い続けた。テロリストたちは徐々に追い詰められていく。

「くそ、こちらも傀儡マリオネットを連れてくるべきだった。」

間違いなく操っているのは『有人格アプリ』のはずだ。ロボットたちはテロリストの関節をなんの躊躇もなくあらぬ方向へ折り曲げていったからである。響き渡る骨のひしゃげる音と、テロリストたちの苦悶の声に、さすがの乗員クルーたちも同情を禁じ得なかった。


「だめです。抵抗が強すぎます。ティンクの確保はあきらめて、撤退しましょう。おそらく通報もされているはずです。」

「くそっ。」

部下に促されて、テロリストのリーダーは忌々しそうに、撤退を指示した。


しかし。

「おい、こいつ、上院議員のアシュリーじゃないのか?」

部下の一人がロナルドの正体に気付いた。

「よし、こいつは使えるぞ。俺たちが撤退を完了するまでの盾に使うぞ。いや、そのまま連れ帰って政府から身代金を頂戴するのもありだな。行きがけの駄賃だ。連れていけ。」

リーダーはそう命じると銃を突きつけている男はロナルドを無理やり勾引しようとした。


「なにをする?」

「あなた!」

抵抗するロナルドをテロリストの一人が銃のグリップで殴った。

「ダメ、パパを連れて行かないで!」

リーナが叫ぶと、テロリストたちと対峙していた作業用ロボットが反応する。そのアームが突然伸びると、ロナルドに手をかけたテロリストの頭に摑みかかった。

「がっ。なにしやがる。」

突然の状況にテロリストは銃を撃った。

 銃声に驚いたのか、そのアームは男の頭部を握り潰してしまったのだ。

頭蓋骨がひしゃげるいやな音と、大量の血液、そして脳漿がリーナの目の前で飛び散る。そしてリーナのほほにもしぶきがかかった。


あまりにショッキングな場面を目にしたリーナはそこで失神してしまった。

「これ以上はまずい。『殺し』の段階に入っている。」

ロボットが自分たちを殺傷することに踏み切ったことで、テロリストたちは撤収し、この事件はようやく終わりを告げた。

 テロリストたちは逃走し、その後ようやく警察がかけつけたのである。


「そういうわけだったのですか。」

凜は驚きを隠せなかった。凜の場合、脳の構造のC3領域への変化は緩やかなもので、数百年の時を要した。リーナのように数分でC3を脳内に構築できるとは思ってもみなかったからである。

「しかし、リーナはショックのあまり、記憶喪失になってしまってね。もう、事件のことも、それ以前のことも、ほとんど何も思い出せないんだ。そして、PTSD(心的外傷後ストレス障害)なのだろうか、すっかり引っ込み思案な子になってしまったんだよ。」


(人格が一変した……。完全に、大脳皮質を弄られた後遺症だな。しかし、よく廃人にならなかったものだ。)

凜はそう思ったが、さすがにそれを口に出してロナルドに告げることはできなかった。


「彼女の脳にティンクのインストールが成功したのは、恐らく、リーナが当時7歳という極めて脳が柔らかだった時であったからでしょう。凜の場合は大分おっさんでしたから。」

ゼルが解説する。

「おいおい、誰がおっさんやねん。僕だって17歳の時だよ。まだまだピッチピチやで。」

凜は思わずツッコミを入れる。


「もう一つは、リーナが極めて優秀な脳で、しかもとても優しい子であった、ということです。まあ、『推しメン』に惜しげも無くバイト代の全てを入れ上げるノータリンのドルヲタの凜とは格が違うのですよ。」

ゼルはズケズケといい、それは凜の心にグサグサと突き刺さった。

(おそらくティンクは短時間でリーナにインストールするために、宇宙航路図のほかは、傀儡(マリオネット)の操作系のプログラムくらいしか持ち出せなかったのでしょうね。)


ロナルドはこう話を結んだ。

「それで、これは国家機密なのだよ。つまり、リーナの中に宿る存在の正体が明らかになれば、当然、テロリストだけでなく、他の国の情報機関にも狙われることになるからね。そう、リーナの中に我らが『母なる惑星(ほし)』地球への道標(みちしるべ)がある、というわけなのさ。」


話が終わった頃、リーナがリビングにやって来た。リーナはソファに座った凜のひざに座ると、その身を凜にあずけ、凜の顔を見上げる。

「お話は終わった? ねえお兄ちゃん、私の部屋に来て?」


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