第40話:強すぎる、傀儡。

[星暦1551年 8月12日。アマレク連邦スフィア共和国、首都メンフィス]


リコリスが『孵化』してから三ヶ月ほどが経とうとしていた。その姿形は4歳の幼児ほどまで成長していた。


最初の一月はまさに付きっ切りであったが、最近はようやく手が離れてきたのである。

「にいに。」

リコは自分を抱くトムの首に腕を回した。

「リコ。」

トムもリコを優しく抱きよせる。


しかし、リコにはアヌビスを起動させるまでの力はいまだ、育ってはいない。



[星暦1551年 8月14日。アマレク連邦スフィア共和国、首都メンフィス]


「建国祭」は8月中旬に行われるアマレク人最大の祝祭である。

惑星スフィアにおける共和国の建国を記念するとともに、戦争や災害の犠牲になった人々を慰霊する祭りでもある。


とりわけ、国防の義務を負う貴族は参加が義務付けられており、アトゥムの名を負うトムもその例外ではなかったのである。


トムは久しぶりにアマレク国軍の軍服に袖を通した。アマレク軍は貴族の家ごとに、あるいは共同で騎士団を形成してはいるが、軍服は国で統一されており、その上で徽章がそれぞれの騎士団ごとの独自のものになっているのである。

アトゥムは右肩と左胸の2箇所につけられた、王冠と3本の鍵をあしらったクレメンス騎士団の徽章を確かめた。

式典は大統領官邸と総督官邸、そして国会議事堂に面した国民広場で、朝からずっと行われる。そんな堅苦しい式典を苦手とする、若者のアトゥムは気が重い。午前中から硬い椅子にずっと座らされ、昼食を挟むとまた式典でずっと座っていなければならない。

「くそ……、暑いし肩も凝る。さっさと終わらないかな。」

赤道直下にあるメンフィスはとにかく暑い。だから、式典のために広場の上には天蓋が張られ、涼風が送り込まれている。それでも暑いのだ。


やっと、式典から解放されたかと思えば、夜は夜でパーティーである。しかも、その晩はクレメンス騎士団の晩餐会であった。アトゥムの名を背負う以上、出席せざるを得ないのである。


「アトゥム、調子はどうかね?」

アトゥムの出自は末端の分家であるため、他の家族は呼ばれてもおらず、彼は会場の隅っこにいた。良くも悪くも目立ちたくはなかったのである。しかし運悪く、用を足すために偶然通りかかった当主のラムセスの目についてしまったのである。


「はい、閣下。現在調整中であります。」

トムは敬礼しながら答えた。「アヌビス」の不調は、クレメンス家の当主である大統領の耳にまで届いていたのである。

「経過は順調かね?」

「はい閣下、どうぞお任せください。」

ラムセスとの会話はそれだけで終わった。義父を見送ったアトゥムは大きく息を吐いた。


「よお、カーメス、元気か? すっかりでかくなったな。」

トムは一息ついた隙にいきなり背中を叩かれ、驚きのあまり大声を上げそうになった。彼が振り向くと、そこにいたのは意外な人物だった。アンテフ・C・マクベイン。それは、彼の実家、マクベイン家の長子であった。

彼はネットメディアでニュースライターをするジャーナリストであった。


「アンテフ兄さん、どうしてここに?」

トムが尋ねる。末席の分家であるマクベイン家の者が呼ばれるようなパーティーではないのだ。

「取材だよ、取材。……俺なんかお呼びじゃないさ。しかし、カーメス、なんか噂だとお前、調子悪いんだってな?」

アンテフは耳打ちをするようにトムに尋ねた。さすがジャーナリストの端くれだけあって、耳ざといようだ。


「まあね。でも詳しくは兄さんにも言えないんだ。アヌビスは軍事機密なんだよ。しかも最高レベルのね。」

真面目な弟の答え方にアンテフも微笑む。

「もちろん、知っているよ。俺だって可愛い弟を陥れたい、なんて思ってないさ。噂だよ、あくまでもな。でも、お前が案外楽天的な表情(かお)をしていたから、ちょっとほっとしたよ。安心しろ。俺が取材したいのは別にお前じゃないんだ。なあカーメス、『インプ』って聞いたことはないか?」


アンテフの問いにアトゥムは首を傾げた。

「さあ。初めて聞いた名前だけど。」

否定されたアンテフは苦笑を浮かべる。

「そうか。聞いたことも無いのか。最近、政府が直々に開発したとか言うパワードスーツなんだけどな。」


アンテフの誘い水にも全くアトゥムは乗れなかった。

「そうなんだ? 実は、 俺も最近はずっとスフィア王国でラドラー卿の世話になっているんだ。だから、クレメンスの家のことも、共和国のニュースもよくわからないんだ。それに⋯⋯。」

トムは思わずアヌビスがまだ起動できないことを口にしそうになるのをこらえた。


「その『インプ』ってえのは、まだ、それほど数も無くてしかも高価だが、めっぽう強いらしいんだ。その⋯⋯スフィアの『天使グリゴリ』並みにね。」

アンテフが説明を続けた。


『天使』は、アマレクとは販売取引しない、という契約の上で、フェニキアに販売を委託している。

そのため、アマレク人は天使を使っていないのである。無論、天使の原型となるものは惑星の至るところで発掘されているし、横流しの入手ルートはいくつもある。それで全く所有していない、というわけではない。発掘された権天使をコピーしたものが「機神セト」、能天使をコピーしたのが「機竜ホルス」としてアマレクの騎士団にすでに実戦配備されているのだ。


「いいじゃない。そんなに強い兵器が開発できれば、スフィアとアマレクの軍事バランスが少しは均衡がとれるんじゃないの?」

トムの無責任な論評に、アンテフは首を振る。

「問題はそこじゃないんだ。実はな、『インプ』は『アヌビス』のコピーじゃないか、って噂があるんだ。」

「へえ、そうなんだ。」

トムは別にどうとも思わなかった。現在、トムの手にだけに強大な力がある。それも自分の手に余るほどの。そして、それは一族の中に妬みと嫉みしか産んでいない。もしみんなが同等の力を持つことができるのであれば、それは決して悪いことではないのではないだろうか。


アンテフは続ける。

「それで、今年の閲兵式典でそれがついに披露される、というのがもっぱらの噂でね。血の気の多い連中にまたスフィアとの戦いを望むものたちもいるのさ。」

確かに、強い力を手に入れるならば、それを試したい気持ちにもなるだろう。しかし、それはまだ少年のアトゥムにさえ、無謀なことと思えた。

「まだ、性能実証すら済んでいないのに、いきなり実戦投入なんて、そんなことができるの?」


少年の極々まともな意見に、アンテフは目を細める。

「本当はお前の言う通りだ。でも、そうじゃないんだ。その性能の実証のために戦争をやりたいんだ。もし『インプ』が『天使』より強ければ、間違いなく星外でも高く、そしてたくさん売れるからな。」

トムにはまだ意味が解らない。

「天使はカスタムメイドだよ。それを量産するつもりなの?」


アンテフと別れた後、トムの心にもやもやしたものが残っていた。そのもやもやが、どんな気持ちが複雑に絡み合ったものなのか、言い様がなかった。


「よお、最強の『不発弾』じゃないか。」

次に現れたのは、トムが最も接触を避けたい相手であった。


スネフェルとタケロットである。


ただ、総督軍のスネフェルと大統領軍のタケロットは決して仲が良い、ということはなく、この二人の取り合わせはトムにとって違和感のあるものであった。

「お言葉ですが、『不発』ではありません。ただの『調整中』です。」

トムも憮然として答えたが、ここで事を荒立てることもできないので、そこはじっと我慢することにした。


「よう、カーメス。明日、発表されるインプについて聞いているか?」

先日、凜にやり込められて、嘸かし不機嫌だろう、と思っていたタケロットが上機嫌だったので、トムは意外そうな顔をする。

「いいえ、とりたてて何も。」

大分アルコールが入っているな、そう思わせる言動、そして挙動であった。


「そりゃそうさ、共和国最強兵器のオペレーター様だ、知る必要もなかろう。」

スネフェルが嫌味を言う。


「おお、そうだったな。それは失念していた。ただ気を付けろよ、カーメス。うかうかしていると、お前はただのポンコツ野郎で終わるぞ。精々、励むんだな。偉大なる我らが共和国と、そして偉大なる我がクレメンス家のために。」

そう言い残して、ややふらついた足取りで去っていく。その後を、若い武官たちが慌てて追っていった。トムは首を傾げる。

「インプ⋯⋯いったい、どんな兵器なんだろう?」


[星暦1551年 8月15日。アマレク連邦スフィア共和国、首都メンフィス]


閲兵式はそれはそれは壮観だった。アマレクは決して軍需産業だけで身を立てているのではない。とりわけ、安価で大量にそれなりの品質の商品を生産する、という国家である。ただ、その反面、というか副作用として、労働者への人権の配慮や環境への影響をあまり考えない、という欠点があり、それがスフィアにおいてアマレク人と地球人種テラノイドとの間で争いの原因になってきたのである。


現在、アマレクとの直接の交渉は円卓が一手に請け負っており、その中でも、正統十二騎士団アポストルの一隅を占める「赤道方面国防騎士団・兵衛府」が中心になって、折衝しているのである。


今回、建国祭に円卓を代表して派遣されたのは総督と人脈があるハワード・テイラー、兵衛府の団長、ジョバンニ・ビスコンティ・ゴールドであった。

兵衛府はアマレクとの国境地帯を麾下の7つの騎士団と共に守護している。


 二人はクレメンス大統領や総督と共に兵士たちやセトと呼ばれる人型陸戦兵器、またホルスと呼ばれる空戦兵器の良く訓練された行進を観ていた。


そして、漆黒に塗り上げられたパワードスーツの一隊がパレードの殿しんがりを務めていることに気づいた。

「閣下、あれはなんです⋯⋯? 初めて目にしましたな。」

ハワードが傍の総督に尋ねた。

「さすがはハワード卿、お目が高い。あれが我が国の新兵器、『インプ』ですよ。おそらくは貴国の『天使』の銘品にも引けを取らぬ強さがあるでしょう。」

「ほう?」

ハワードが興味深そうに声を上げた。

「どうやら私も、お役に立てたようですな?」


ハワードの恩着せがましいとも言える言い方にも総督は機嫌を損ねることもなく、

「むろん、あなたの働きは非常に大きい。感謝していますよ。」

そう答えた。


「あれが⋯⋯くだんの『インプ』か? ⋯⋯あれはアヌビスのコピーで間違いないな。しかも粗悪デッドコピーだ。」

テレビ中継でアマレク軍の軍事パレードを見守っていた凜が呟く。

「あれはただの『人形』です。『魂』が入っていませんから。」

ゼルがボソッと呟いた。

「どうもそのようですね。なんという無謀なことを。」

マーリンも同調する。


「アトゥム」として参列していたトムは、インプを装着した二つの部隊を率いるそれぞれの隊長を見て驚いた。

大統領府付きのインプ部隊はタケロット・クレメンス、そして、総督府付きのインプ部隊はスネフェル・アトキンスであった。


彼を恨み、憎しむ者たちがそこはいたのである。

「なるほど、インプ部隊を任されていたのか。」

トムは昨晩彼らが浮かれ、機嫌が良かった理由を得心した。


その後の演武はさらに圧巻であった。重力子弾を鞭の先につけて操る事ができ、それこそまさに「天使喰いエンジェル・イーター」であった。

「確かに、あれなら位階ヒエラルキーの低い天使グリゴリの装甲ならひとたまりもないかもしれないな。」

モニターを見ながら、凜が珍しく褒めた。


「確かに、現時点の俺よりははるかに強い戦力といえるな。」

トムも認めざるを得なかった。


「これは素晴らしい。」

「歴史が変わった瞬間に、私たちは立ち会ったのかもしれない。」

フェニキアを始めとする通商国家から招かれた賓客たちは、殊の外興味を惹かれたようだった。

「これが本格的に実用化されれば、天使グリゴリの地位も安泰ではありませんね。」

マーリンが腕をくんで唸る。


「実用化することができれば、ですけどね。」

ゼルが付け加えた。その表情はいつも以上にシニカルであった。


ところで、惑星スフィアに住むアマレク人にとって建国祭にはもう一つの意味がある。「国辱」の日、でもあるのだ。およそ550年前のこと、今のメンフィスではなく当時の旧メンフィス(現在のグラストンベリー)の時代のことである。分離闘争(エクソダス)の指導者、不知火尊によって都市上空にある巨大な宇宙港は破壊され、その瓦礫が建国祭を祝うために集まった群衆の上に降り注いだのだ。その時、200万人を超える軍人や貴族、民間人が犠牲になったのである。


当時、奴隷として蔑んでいた地球人種テラノイドにされたこの事件は彼らの矜持に深い傷をつけたのである。戦後の平和条約で相互を憎むよう国民を教育することは禁じられていたが、その後、何度か政治的な緊張や軍事的な小競り合いが生じると、やはりこのできごとがクローズアップされる。


「今年は特に病気がひどいな。まあ、550周年という区切りの年ではあるがな。何も隣国への憎しみを煽ることはなかろうに。もう、ただの歴史の一事件に過ぎないのにな。」

アンテフはニュースで報じられる、スフィア王国の駐メンフィス大使館前でシュプレヒコールを上げるデモ隊を見ながら呟いた。


「なぜ? 地球人種テラノイドが汚い手を使って、数多(あまた)の罪もない群衆を殺戮したのは紛れもない事実でしょう?」

トムが答える。その声には嫌悪感がこもっていた。

「なんだ。あれだけ地球人種テラノイドと交流のあるお前ですらそれかよ。考えてもみろ。お前はその時どこにいたんだ?」

アンテフはやれやれと言った表情でトムに尋ねた。

「いや、生まれていないよ。そんなの当たり前だよ。」

アンテフは続けて尋ねる。

「じゃあ、彼らを殺したやつは今、生きているのか?」

「いや、とっくに死んでるだろう?人間なら。」


「それでは、殺されてもいないお前が、殺してもいないやつに何か文句を言う資格があるのか?」

アンテフの言い分はもっともだったが、トムにはトムの言い分もあった。

「俺は、それが原因でずっと虐められていたんだ。俺には彼らを憎む権利がある。」

アンテフはため息をついた。

「それじゃ、こどもの頃お前をいじめていたやつの言い分と一緒だ。違うか?」

「それは⋯⋯。」

トムは口ごもった。自分をイジメていたアマレク人たちと比べても、凜やリックはトムを対等に扱ってくれた。

「カーメス、それだけは見誤らないでくれ。これは元、兄貴としての進言だ。お前は決して憎しみに飲み込まれるな。子どもの時のあの辛い事件をもう一度味わいたくなければだ。人間は大きな力を手にすればするほど孤独に陥って行く。だから、お前に手を差し伸べてくれる人たちを大切にして欲しい。お前には肌の色や生まれで人間を判断して欲しくないんだ。」

アンテフは懇願するようにトムに言った。


マクベイン家の歴史は時代に翻弄され続けた。500年以上も昔のこと、リーバイ・マクベインの地球人種テラノイドの奴隷養子、ゼロス・マクベインは不知火尊=パーシヴァルと名乗り、地球人種分離闘争エクソダスの指導者となり、再独立を成し遂げ、安価な労働力であった奴隷を失ったアマレク人の経済に大打撃を与えた。そのため、マクベイン家はクレメンス家の家族会から追放されたのだ。


しかし、その当時、クレメンス家の次期当主と見られていたアモン・クレメンスに秘書として仕えていたリーバイの娘、マリアンはアモンの子アトゥムを産んだ。それは当初、許されざる恋であった。しかし、アモンは生涯独身であったため、早逝したアモンの兄、カーメスとも子どもがいなかった。


それで仕方なくクレメンス家宗家はアトゥムを養子として迎え入れたのである。彼以外に「アヌビス」に認められた者がいなかったからである。それと共に、マクベイン家も再び、クレメンスの家族会に迎え入れられたのである。


そして、500年の歳月が過ぎた今、弟のカーメスが再び、「アトゥム」としてアヌビスを与えられた。だからこそアンテフは願うのだ。その力を憎しみではなく、互いへの尊重と敬意によって使える真の騎士、本当の意味での「おとこ」になって欲しいのだ。

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