第36話:早すぎる、子育て。

[星暦1551年 5月1日]


 5月に入ると、メグは故郷の「五月祭メイフェア」に参列するため、休暇を取り、故郷のシャーウッドに帰って行った。


「実父も養親も凜に来て欲しい、と要望していたのだが。」

メグは凜が来てくれないことに落胆も不満もあったが、彼の抱える多くの懸案を考えるとそれほど強くは言えなかった。


「ごめんね、メグ。流石に異邦人がタイトルを2年続けて続けて総なめ、というわけにもいかないしね。ヴェパールで送るから。」

  凜も残念そうだ。去年の弓技大会は心底楽しかったので、是非にでも行きたい気持ちもあった。しかし、あまりに無双しすぎると却ってエルフ族の心情を逆撫でする可能性もある。いろいろと勘案した結果、参加の見送りを決めたのだ。


「いってらっしゃい、メグ、凜のお世話は私に任せて、実家でうーーーーーんと、楽しんで来てね。」

凜を独り占めできるとあってビアンカは嬉しそうだ。

(ぐぬぬ⋯⋯)

メグは密かにほぞを噛んだ。


[星暦1551年 5月3日]

 メグをシャーウッドまで送った後、凜たちはグラストンベリーに立ち寄る。それは、ラドラーから呼び出されたからであった。

 ヴェパールはグラストンベリー地上港のそばにある、伝令使杖カドゥケウス騎士団の本部に到着する。


団長室に通されたのは凜とマーリンだけであった。

「先日は、アマレクとの交渉の際、閣下にはご尽力くださり、ありがとうございます。」

ラドラーに下げた頭を上げると、視界の奥にはアトゥムが暗い顔をして立っていた。


「実はな、このところ、アトゥムのアヌビスが起動しないんだ。」

ラドラーの言葉に二人は驚いた。


ただ、凜には思い当たる節があった。

「この間の……あの親衛隊の人、その同級生の『お兄さん』が関係しているのかな?」

アトゥムは項垂れたまま、顔を上げなかった。


「スネ夫だ……。」

ゼルがスネフェルの名を大胆にアレンジして来たので、凜とマーリンは噴き出してしまった。ただ、事態はそのものは笑い事では済まない。凜はアトゥムに近づいた。


「きみにとって辛い過去のことだとは思うのだけど、その話を君の口から聞かせてくれないか、アトゥム。君の心を縛る鎖の正体が何かを見せてくれないと、それを解くための鍵も、断ち切るための手段も見つからないと思うよ。」


アトゥムは頭を振る。ただ、それは弱々しいものだった。

「しばらく、僕はここに滞在する。もし、君が僕に話しても良いと思ったら、僕の部屋を訪ねて来てくれないか?」

そして、アトゥムの耳元でラドラーに聞こえないよう囁く。


「君の翼は本当は4枚、あるはずだ。」

アトゥムは一瞬、ギョッとしたように顔を上げると、また項垂れた。


[星暦1551年 5月6日]

3日ほど経って、アトゥムが凜に当てがわれた部屋を訪ねて来た。その顔はひどく思い詰めているものであった。不安と悩みがその行先を見失ったまま彼の心を締め付けているのだろう。

「棗卿、俺のことを笑わないか?」

その目は座ったようにこちらを見ている。凜は彼の眼を真っすぐに見つめた。

「凜でいいよ、アトゥム。そりゃ、エピソードが面白ければ笑うこともあるかもしれない。でもね、これだけは信じてほしい。僕は君の自尊心の在り処を笑うつもりは無い。絶対にね。」


「わかった。……その、俺もトムでいい。」

アトゥムは部屋のソファの端に座った。凛はコーヒーを出した。ラドラーはコーヒー通なのだ。それで、客間にはどの部屋にもコーヒーメーカーのセットが置いてある。アトゥムはコーヒーに手を付けるでもなく、じっと座ったまま、どこか虚空を見つめているような目で座っていた。カップから湯気が立ち上っていた。


「俺は人を殺してしまった。……」

ようやく、アトゥムは最初の一言を絞り出した。凜はアトゥムの表情をじっと見つめ、言葉が紡がれるのを辛抱強く待った。

「……それも、一人じゃ無い……んだ。」

そう言ってしばらく泣いていた。ただ、声も立てず、嗚咽ももらさずに。凜はしばらく次の言葉を紡げないアトゥムに水を向けた。

「その、『スネ夫』くんの弟も、その一人なのかい?」

アトゥムは頷いた。そして、袖で涙をぬぐう。


「でも、わざとじゃ無い。……わざとじゃ、無いんだ。」

アトゥムは、アヌビスが初めて発動したあの日、7人の同級生を切り刻んだことを話した。それはラドラーから聞いた話とほぼ一致していた。


「彼らが君にしていたこと。その、君に対する暴力は、それがその日、初めてではなかったのだろう?」

凜がそう言うと、アトゥムは初等学校時代の凄惨なイジメのエピソードを語り始めた。涙ぐみながら話し続ける。凜は向かいのソファに腰掛けると、口を一切挟まず耳を傾けていた。


「笑わないのか?」

一通り語り終えたアトゥムが気づいた時、すでに日がくれていた。

「なにを?」

凜は尋ね返す。


「俺が……いじめを受けるような、弱い人間だということに。」

アトゥムの声は震えていた。

「別に。君と似たような経験をした人は意外に多いと思うよ。……どちらかと言えば、どこにでもある話だ。ただ、断っておくけど、君の場合は『弱い』人間だからいじめられるのではなく、いじめても壊れない『強い』人間だからこそ、いじめられたのだと思うのだが。」


「俺は『強く』なんかない。」

(どっちなんだよ。)

アトゥムの返事に凜は訂正を加えた。

「じゃあ、『頑丈』だった、ということでいいかな。」


凛はもう一度脚を組み直した。

「同級生の遺族に会ったのは、あの時が初めてだったんだね?」

凜の問いにアトゥムは頷いた。


「それじゃ確かにスネ夫くんののリアクションはやむを得ないか。さてとトム、今、君が抱えている問題について話そう。君がアヌビスを受け入れた時、……そうだな、あの日、アヌビスが初めて発動した時、何かが見えなかったかい?」


アトゥムはボソリと言う。

「女の子……小さな女の子が見えたんだ。そう、背中に羽が4枚生えた。だから、棗卿に俺の羽が4枚、と言われた時、これは棗卿……凜に言わなければ⋯⋯そう、思った。」


「なるほど。」

凜にはアヌビスの発動しない原因が解ったようだ。


「ゼル。ちょっとでてきてくれないか?」

「呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃーん。」

凜に応えてゼルが姿を現わす。

「凜、できれば壺をさすりながら呼んでください。壺がなければ股間の……。」

ゼルのくだらない冗談をスルーしたまま凜は続けた。


「アトゥム、君にはゼルが見えるかい?」

アトゥムは頷いた。

「わたしはアザゼル。凜に宿る『歌の妖精』です。」

ゼルが多少「盛った」自己紹介をする。凜はそれもスルーして続ける。


「普通、僕ら地球人種テラノイドのように義眼デバイスを持たない人間には、ゼルが顕現(実体化)しない限り、見えることはないんだ。つまり、こいつが見える、と言うことは君の中にも、ゼルと同じような『有人格アプリ』がいる、という証拠なんだ。むろん、それは君にというよりは、アヌビスにインストールされているものだけどね。君にはそれを目覚めさせる必要がある。」


「なぜ?」

不思議そうにトムは尋ねた。

「アヌビスは単なる兵器じゃない。だから、そう簡単に操作できるものじゃないんだ。そうだな、簡単に言うとコンピュータのオペレーションソフトみたいなものかな。君はコンピュータへのコマンドをマシン言語で入力なんてしないだろう?同じようにアヌビスが君の意思に応え、君の思い通りの力を発揮させるためには必要不可欠なんだ。」


「では、どうやって?」

凜の説明にアトゥムが躙り寄る。

「ゼル、抽出してくれ。」

「良いのですか? 敵に塩を送ることになりますが。」

ゼルは凜の意図を確かめる。


「大丈夫だ。アヌビスを初代ラムセスにくれてやったのは舜さんだ。次にこいつがオイタをした時は、舜さんに出張らさせるから。」

「ベルに怒られても私は知りません。」

ベルとは凜の僚友である宝井舜介にインストールされた有人格アプリ「ベルゼバブ」の愛称である。


 ゼルは自分の責任ではない、と何度も断りを入れてからアトゥムの頭に手を置いた。

すると、ゼルの手のひらに卵のようなものが現れる。

「これはひどい。『解凍』すらしていませんね。」

ゼルは卵を凜に手渡す。

「トム、手を出して。」

凛はアトゥムの手に卵を乗せる。そして、アトゥムのもう片方の手を取り、卵の上に乗せた。


「トム、イメージして。これが授けられた君の翼だ。その翼は闇を切り裂く光の翼。それは傷つきし者を包み込む癒しの翼。それはどこまでも羽ばたいていく力の翼。そして、弱き者を救う守りの翼だ。君はその翼に名前を付けるんだ。君はそれを何と呼ぶ?」


「リコ……リス」

アトゥムは頭に浮かんだ名をそにまま呼んだ。別に前もって考えていたわけじゃない。ただ、最初に、彼女を見た時、そう言っていた、そんな気がしたのだ。


 すると、卵にヒビが入る。下からくちばしで突きあげているのだろうか。何かが生まれ出ようとする命の息吹を感じる。アトゥムが手をそっと開けると、卵のからが割れると同時に煙が噴き上がる。


「うわ⋯⋯!!」

びっくりしたアトゥムが尻もちをついた。その煙は小さな形に収縮すると、1歳になったかならないくらいの、小さな小さな、女の子の姿になった。

「生まれた。」

ゼルが額に浮かんだ汗を拭った。

「私が産婆さんです。凜、わたしをほめてください。さあ、産婆カーニバルです。」

「それは『サンバ』違いだ。」

やっとつっこんでもらえてゼルがほっとしたような笑みを浮かべた。


リコリスが屈託のない笑顔を浮かべ、アトゥムに向かって両手を差し伸べる。

「トム。リコはあなたに抱っこを求めています。」

ゼルが説明する。

 家族では末っ子だったアトゥムは、自分より小さな子の相手をしたことが無いのだろう。ぎこちない手つきでリコリスを抱き上げた。リコリスは喜びの声を上げ、その小さな手はアトゥムのシャツをしっかりと握りしめる。

アトゥムは思わず自分の頬をリコリスの頬を寄せる。


「トム。この子がアヌビスを補助する有人格アプリ、リコリスだ。今日から君がこの子を育てるんだ。」

「俺が……?」

突然の状況にアトゥムは声も出ない。

「まあ、彼女すらいない童貞君チェリーボーイに、突然子どもができれば戸惑いもするでしょう。」

ゼルが言い放つ。凜が説明を加えた。


「トム、このリコリスは普通の赤子とは違って身体はどんどん成長していく。半年も経たないうちに、君は再びアヌビスを起動できるようになるだろう。しかも、以前とは比べ物にならないほど強力にね。そうなればアマレク最強兵器、と言われる所以がわかると思うよ。ただ、それには君が彼女に愛情と信頼を注ぐことが必要だ。そうすればするほど、アヌビスはより強力になるはずだから。」


アトゥムに抱かれたままリコリスは眠りにつく。するとその姿が消えた。

「眠りにつくと、成長を開始します。起きた時に相手をしてあげてください。その愛情が、有人格アプリの栄養になります。」

ゼルが付け加えた。

「有人格アプリは人間と同じです。この銀河系の多くの惑星では一個の人間としての権利が認められています。だから、機械でもただのプログラムでも無いのです。リコリスは人から人へと受け継がれることを念頭にプログラムされているので、宿主が代わると初期化されるようになっているのです。」


「凜。なぜ、リコリスはこの姿なのだろう?」

アトゥムの問いに答えたのはゼルだった。

「私たち有人格アプリは、宿主が最も愛情を注ぎやすい形態をとります。その方が、自然に栄養を摂取することができるからです。」


「なるほど。」

アトゥムは思い出していた。幼い頃、母親の胎はらに命が宿ったことが明らかになった日のことを。

「あなたの妹がここにいるの。カーメス、あなたがお兄ちゃんよ。」

母親はそう言って幼いアトゥム(その時はカーメス)の手を自分の腹にあてさせた。

その子の名はリコリス、となることも決まっていたが、残念なことに流産してしまった。


 アトゥムは悲しかったが、それ以上に悲嘆にくれる母親に、その気持ちを打ち明けることなく、記憶の片隅に押し込めていたのだ。

「母さん、リコリスはここにいたよ。よかった。俺、『パパ』じゃなくて、『お兄ちゃん』、だったんだ。」


その日から、アトゥムの子育て?の日々が始まった。

「安心してください。う◯ちはしませんから。」

リコリスはよく泣いた。途方にくれると度々ゼルを呼びに来るアトゥムであった。


「これじゃしばらく、グラストンベリーに逗留せねばならないか。」

とりあえずメグの休暇がおわるまでは、第十三旅団は伝令使杖カドゥケウス騎士団にとどまることとなった。


アヌビスが起動しない間、アトゥムは騎士団から『天使』を借りることになったのだ。「マルドゥーク」という剣であった。


[星暦1551年 5月13日]


 いまだ精神的に幼い状態のリコリスは不意に現れては泣きじゃくる。道場の稽古中でも御構い無しであった。

「どうした?トム?」

リックが、リコが泣きやまずにトムが途方に暮れているところにやってきた。

「こいつ泣き止まないんだ。」

困り果てたようなトムにリックはアドバイスを与えた。

「ああ、その抱き方じゃだめだ、ちょっと貸してみろ。」


リックがアトゥムの腕からリコを取り上げると上手に抱っこしてやる。

「これくらいの『赤』になるとな、最初はこう、赤の動きたいように動けるように抱いてやるんだ。そうすると自分が安心できるポジションをとるから、⋯⋯こう、ほらこういう風にしてやると、ほらおとなしくなったろう。はい、いい子でちゅねえ。」

リコは満足そうにきゃっきゃと笑う。

「なるほど、うまいもんだ。意外な特技があるんだな、リック。」

アトゥムが感心する。

「意外なもんか? 俺はね、こうやって5人の弟妹を育ててきたんだ。もし『子守騎士』というジャンルがあるなら、この俺様はとっくに大天位よ。」

そう言ってリックが笑った。


 アトゥムは幼い頃は兄姉に囲まれていたし、名前がカーメスからアトゥムに変わってからは大人に囲まれていた。学校では同年代の子供にいじめられていたし、伝令使杖カドゥケウス騎士団にいた時も、団長の親族でアマレク人、という立場では周囲の団員たちから特異な目で見られたり、腫れ物にでもさわるように扱われて来た。これまで同年代の友人はいなかったのである。


 今、リックや凜のような同年代の人間と交流が持てるのは、アトゥムにとって、彼が人として成長するための一つの段階を踏んでいるのかもしれない。


「そうか、いい方に向かっているのだな。」

ラドラーは凜の報告を受けるとホッとしたように呟いた。しかし、すんなりとはいかなさそうだった。


クレメンス家からラドラーに連絡が入ったのだ。


「タケが来る? なぜ今、そしていったいなにをしに?」

ラドラーの声は明らかに不快感が滲み出ていた。


[星暦1551年 5月18日]


「そうか。しばらく、グラストンベリーにとどまるつもり⋯⋯なのか?」

ヴェパールでシャーウッドまで迎えに行った凜たちに話を聞いたメグは意外そうな声を上げた。


むろん、メグを迎えに行って、すぐに連れて帰ることができるわけもなく、メグの養家であるデュバルタクス家や実家である王太子夫妻の歓待を受けることになった。


食事だけでなく、どうしても弓も見たいとせがまれ、凛は1年ぶりに悍馬「スルーヌ・ヴェンリー」とコンビを組み、笠懸ハット・ショットを披露した。また、王太子の息子、つまりメグの弟であるシグに弓を教える、という機会も設けられた。


シグ王子は去年の祭りの時からすっかり凜のファンになってしまっていて、奉納試合の様子などの動画を集め、何度も見ているそうである。

「ねえ、お兄ちゃん、お姉ちゃんと結婚してよ。そうしたら僕のお兄ちゃんになってくれるんだよね。」

シグの発言にメグは顔を真っ赤にしていた。

「そ、そのようなこと。トリスタン卿にご、ご迷惑がかかる。」

しどろもどろになってメグは弟に言い聞かせる。


「え、なんで? お姉ちゃんもお兄ちゃんのこと大好きだから、お兄ちゃんの話ばっかりしてるんでしょ。結婚してもらえばいいじゃん。」

子供は無邪気になんでも思ったことを素直に言ってしまうものだ。


周りの大人たちもニヤニヤしながら見守っていた。


[星暦1551年 5月21日]


「うう⋯⋯散々な目に遭った。」

帰りの艇内でメグは顔を手で覆っていた。しかも、シグは伝令使杖カドゥケウス騎士団に留学しており、帰りもヴェパールに同乗して一緒であった。

「メグ、耳まで真っ赤ですよ。」

隠しきれない長さであることをわかっていてマーリンがメグをからかった。


「メグ、しばらく、グラストンベリーにとどまることになったから、ヴァルキュリアの方にも顔を出して来たらいいんじゃない?」

凛は助け船を出すかのように勧めた。


しかし、彼らがグラストンベリーの伝令使杖カドゥケウス騎士団に帰って来ると、様子がどうもおかしいのである。

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