第8話 母として

 ソルチェは悪寒を感じて目が覚めた。ティオが出て行ったあと、体力を限界まで使ったことと、精神的な負担もあってか、すぐに眠ってしまっていたのだ。


 よくわからない不安を感じて目が覚めたが、見たところ周囲に異常はない。と、そこで洞窟の外の方から物音が聞こえた。


 ティオが帰ってきたのかと思ったが、念のため警戒しながら出口が見える位置へと移動する。そして岩の影から顔だけ出し、その光景を見て絶句した。


 10頭を超えるブラックウルフの群れが洞窟の出口でたむろしている。警戒しているのか、無暗に洞窟へは近寄らないようにしているが、斥候役なのか1頭だけ前に出て、そのまま洞窟にゆっくり足を踏み入れる。ソルチェは混乱しながらも、状況を把握しようと努めた。


(あんなにたくさん、いったいどうして……? ――わたしの血!?)


 ブラックウルフが何やら匂いを嗅いでいるのを見て、自分の血の匂いを嗅ぎ取って彼らは来たのだと気づく。


 野生の動物は自分の縄張りの変化には敏感である。知らない匂いなどすればすぐに違和感を感じとるだろう。そしてそれは彼ら魔物も例外ではない。


(また私が、足を……。ティオ、あなた……ごめんなさい)


 どこまで、足を引っ張るのか。そんな自責の念に駆られ、立ちすくむ。



 自分のせいでイグスがあの場に残ったこと。

 ――ティオとあの人だけならそのまま逃げ切れたはず。


 ザンギとの逃走劇。

 ――わたしがいなければもっと楽に逃げるなり、誘いに乗って生き延びることも出来た。


 そして今。

 ――やっと見つけた休める場所も、わたしのせいで魔物に見つかった。


 自責の海に沈み、足が震えてくる。そこでふと、最期の会話を走馬燈の様に思い出した。



『――ソルチェ、すまない』


『いいえ、あなた。この先で、待っていますわ』



『――母さんは必ず守るから』



 その言葉を思い出し、ソルチェの瞳に再び光が灯った。


(そうだ……あの人に待っていると言った、あの子は必ず守ると言ってくれた! 本当に迷惑をかけてばっかりだけど……でも!)


 気づけば足の震えは止まっていた。


(諦められるわけがない……諦めていいはずがない!)


 イグスが、ティオが諦めなかったのだ。自分が諦めていい訳が無い。


「お願い、私たちの……あの子の、道を照らして」


 自然と口に出たのは呪文、いや、母としての願いだった。


(わたしも……諦めない!)


「シャイニング!」


 岩の影から姿を出し、唱える。ソルチェを起点に光が辺りを包み込む。ブラックウルフ達は咄嗟のことに反応できず、まともに光を受けた。


 同時にソルチェは走り出した。目の前にいたブラックウルフは匂いと音でソルチェの動きを察知して吼えるが、それだけだった。このまま逃げ切れる。そう判断して洞窟の外へ走り出した。だが、


「ガウァアッ!!」


 吼えながら、1頭のブラックウルフが飛びかかる。


「きゃあっ!」


 咄嗟のことによろけ、転けそうになる。だがそれが幸いしてなんとか避けることが出来た。だが爪が引っかかったのか、羽織っていた上着が破けた。


 驚いて飛びかかってきたブラックウルフを見ると、ソルチェを睨んで唸っている。どうやら普通に見えているようだ。他のブラックウルフの影にいたのか、それともちょうど別の方向を見ていたのか、シャイニングの影響を受けなかったのだろう。


 ソルチェが警戒し、後ずさりしたところでもう一度飛びかかってきた。


 ソルチェは咄嗟に破れかかった上着を脱ぎ、飛びかかってきたブラックウルフに叩きつけながら避ける。血まみれとなっていた上着である。それを顔面に叩きつけられたブラックウルフは視界と嗅覚を同時に奪われ、上着が取れた後も血のりを落そうともがいていた。


 それを好機と見たソルチェは振り返り、再び駆け出した。どっちに逃げればいいかなんて分からない。ただがむしゃらに駆ける。しかし、特に武術の心得があるわけでもない、ただの女の足で彼らから逃れられるはずも無かった。


 後ろを向くと顔に少し血のりが残るブラックウルフが迫ってきていた。そのしばらく後ろには、視力が戻ったのだろう、他のウルフたちも見えた。


「ガァアッ!」


 先頭のウルフが吼える。諦めろ、とでも言っているのだろうか。だがソルチェに諦めるつもりなど毛頭無かった。最後まで諦めない、先ほど誓ったばかりなのだ。そのまま全力で駆け続ける。


 だが、現実は非情である。ウルフたちはみるみる追いつき、ソルチェに飛び掛る。ソルチェは避けることも出来ず、足首に噛み付かれた。


「あぁっ!!」


 足を取られ、倒れ伏す。咄嗟にウルフたちの方へ振り向くが、血のりのついたウルフがソルチェに飛び掛る。覆いかぶさる形で押し倒され、すぐ眼の前にウルフの血走った眼が見えた。次の瞬間、ウルフがその口を大きく開け、食らいつく構えを見せる。


「ティオっ……」


 己の死を幻視し、ごめんなさい、と心の中で呟いて覚悟を決める。だが、それが現実になることは無かった。突如ソルチェの背後から落ちてきた・・・・・・・・・雷によって眼の前のウルフが貫かれる。同時に激しい雷鳴が轟き、空気を震わせる。咄嗟に耳を覆ったソルチェだが、何が起きたのか理解できず、呆然とするしかなかった。


「母さんっ!!」


 すぐ後ろから聞きたかった声が聞こえる。振り返り、眼の端に涙を貯めながらその名を呟いた。


「っ! ティオッ……!」


 そこには体中に細かい傷を負い、息を荒くしたティオが佇んでいた。


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